~ 感謝が難しくなってきた時代 ~
今週の木曜日はアメリカの収穫感謝日(Thanksgiving Day)です。アメリカ最大の祝日でもあります。1620年、「メイフラワー号」と呼ばれる船に信仰の自由を求めて100人を超えるピューリタン(清教徒)の群れが乗っていて、マサチューセッツの海岸にたどり着きました。しかし厳しい冬に直面し、生活に困難を極めましたがインディアン(先住民)に助けられ、半数が生き延びることができました。そして翌年には収穫を上げることができ、先住民たちを招待し、神の導きと守りに感謝を献げたのが収穫感謝祭の始まりであると言われています。その後、毎年の11月4週目の木曜日を収穫感謝日として祝っているのです。
「あなたは、畑に蒔いて得た産物の初物を刈り入れる刈り入れの祭りを行い、年の終わりには、畑の産物を取り入れる時に、取り入れの祭りを行わねばならない。(出エジプト23:16)」
聖書は、最初の収穫感謝祭のことを記しています。神は、荒野の中にいたイスラエルの民に、彼らを乳と蜜の流れる土地に導き入れられることを約束され、そして、その収穫物をもって神に感謝の礼拝を献げ祝う時を持つことを命じられました。春には、大麦の収穫時期に、初穂の祭りを行ないます。そしてその50日後には、小麦の収穫があり五旬節を祝います。そして秋になると、ぶどうやオリーブ、いちじくなどの実を刈り取ります。その後に、「仮庵の祭り」とも呼ばれている収穫祭を守るのです。こうして、イスラエルの民は、約束の地で神が収穫をもたらしてくださることを認め、主に感謝をささげ、喜び祝うことになったのです。
日本の教会の歴史を見ると、特別に収穫感謝祭と区別して祝う日を設けることはしませんでした。もちろんキリスト者にとっては毎日が感謝祭であるでしょう。しかし頭ではそう思っていても、実際の生活の中で神への感謝ができているでしょうか。パウロが「どんなことにも感謝しなさい」とキリスト者の生き方について示してくれたように、感謝はキリスト者を説明する代名詞であることを覚えましょう。とりわけコロナ時代を生きながら、とうしても感謝するのは難しいと言われている世界に向けて、どんなことにも感謝できる生き方を身につける神の家族でありますように…。シャローム!