2021年11月24日水曜日

2021.10.17 本日の宣教

『 イエス、すべての王② 』 (ヨハネの黙示録1:4~8)

ヨハネは、三位一体の神を信じる人々への祝福を祈っています。その祝福の祈りこそ「恵みと平和」でした。

「恵み」とはキリスト教を説明する上で最も大切な概念でありますね。受ける価値のない者を神の子どもとし、その者に送ってくださった素晴らしい贈り物のことです。それを聖書は、罪の奴隷として滅びていくしかなかった私たち人類を愛し憐れまれた神が、罪の代価として神の独り子イエス・キリストを十字架の上で死なせ、贖ってくださった。その神の愛の御業を心から信じ受け入れた人に与えられるプレゼントが恵みなのです。また「平和」こそ、イエス・キリストの十字架によって成し遂げられた御業であって、神との関係においても、また人との関係においても完全に回復されるはずのプレゼントであり、生活に実現できる調和を指します。すなわち、罪によってこの世界から消えてしまっていた真の恵みと平和の福音を告げ知らせることこそキリスト教会の使命なのです。

続けてヨハネは、王の王なるイエス・キリスト、「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方」に賛美を献げようと声を上げています。実に、罪こそが、罪人なる私たちの人生の根本的問題であり、罪を犯した者は誰でも永遠の死と滅びに落とされてしまうはずでした。その罪と死から私たちを救うために、主イエスは私たちへの愛のゆえに、御自分の血によって罪を洗い、罪から解放してくださったのです。そのため、私たちは王なる主イエスを賛美し礼拝を献げなければならないのです。ここの「罪から解放される」とは、「罪を洗われる」という意味で、主イエスの十字架の血潮は、人が犯すどんな罪も清めることができ、完全なる自由を約束しているのです。

ヨハネはここで、主イエスの血によって罪赦された人は、「神の国の王として、また神の国の祭司として変えられた」と宣言します。これは、主イエスによって救われた者に約束された特権であります。使徒ペトロも同じことを語っています。「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」(Ⅰペトロ2:9)…アーメン、これはいかに素晴らしい約束でしょうか。罪の奴隷の身分から神の国の王とされ、祭司とされる。この偉大なる約束をいただいている者に相応しいことは、「イエス・キリストの栄光と力」をほめたたえることです。

 最後に、神の国の約束をいただいている者たちは「再び来られるイエス・キリスト」を待ち望む生活をすべきであると勧めます。7節の「見よ」という言葉の意味は、これから大切なことを語るので、注意を払ってよく聞きなさい!ということです。すなわち、「雲に乗って再び来られる」イエス・キリストに注意しながら生きることが今私たちに求められることなのです。「雲に乗って来られる」とは、神の栄光と力を帯びて来られるという意味です。すなわち神の栄光と権威と力を帯びて来られる主イエスは、すべての人にあがめられる中で裁きの王として来られるのです。

イエス・キリストは「今おられ、かつておられ、やがて来られる、全能なる神」です。また、「アルファであり、オメガであるお方」です。すべてを始められた主イエスが、再臨の御業を通してすべての終わりを告げ、すべてを完成される。この主イエスの再臨への確かな信仰をもち、試練と苦しみのただ中で揺るがない信仰を全うする神の家族でありますように…。ハレルヤ!


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