2023年5月31日水曜日

2023.5.28 牧師室便り

 ~生み出す教会 ~

 ペンテコステおめでとうございます!!!

2000年前の今日は、主イエスが約束された聖霊を待ち望み祈っていた120人の弟子たちの群れの上に聖霊が降られて教会が誕生した喜ばしき日です。

ペンテコステの聖霊降臨を経験した弟子たちは主イエスの預言の言葉通り、エルサレムからサマリア、地の果てに至るまで福音の証人として死をも恐れず出かけることになります。

聖書はエルサレム教会から始まった証人たちが、行く先々で、驚くべき御業と共に、教会を建て新たな弟子たちを誕生させたことを描いています。すべての働きの源こそ、「あなたがたに聖霊が降ると力を受ける」と約束された通りであり、聖霊は弟子たちに語る力、癒す力、忍耐する力、愛する力、幻を見る力などを与えられ福音伝道を確かなものとされたのです。そして聖霊の働きは地域と時代を超えて現代のキリスト教会にも同じく発揮されています。

しかし、現代社会においては、科学や理性が重要視されるにつれて、聖霊の働きを聖書時代のみに限定し、単なる人間の内側のエネルギーに過ぎないという流れが大きくなってきたのも事実です。

私たちの教会はいかがでしょうか。聖霊は生きて働かれていますか。神の家族の皆さんは、生活において聖霊の臨在を味わいながら過ごしているでしょうか。キリスト者を聖霊が宿っている神殿であると呼びますが、それにふさわしい礼拝者としての生活を献げているでしょうか。

聖霊が生き生きと働かれる教会であるか否かを判断する一つの基準に、その教会が主イエスの弟子を生み出しているかどうかがあると思います。

昨日、山形教会では、小泉町教会出身の宮田祐亮師の牧師就任式が執り行われました。宮田師の存在こそ、聖霊がわが教会を愛し働かれている証しです。これからも新たな働き人を生み出す教会として、聖霊に満たされつつ福音伝道に励みましょう。シャローム!




2023.5.28 本日の宣教

『 われ何をもちて、これに応えん 』   (使徒言行録2章37~39節)

「主はわがために血を流し、今も恵みを与えたもう。われ何をもちて、これに応えん。われ何をもちて、これに応えん。」先週の教会学校成人クラスの聖書の学びは、ローマの信徒への手紙3章7~25節「内在する罪の問題」の個所でした。24節「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰がわたしを救ってくれるのでしょうか。」という言葉を読んだ時に、私の心に、新生讃美歌300番「罪ゆるされしこの身をば」の繰り返しの一節が心に響いてきました。

さて、今日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。イースターから50日目に、キリストの弟子たちの上に天から聖霊がくだり、教会が誕生した日です。罪に囚われ死に定められた私たちが、罪を悔い改め、聖霊によって罪から解放され、永遠のいのちの希望を与えられたのは、ペンテコステがあり、教会を通してイエス・キリストの十字架の愛を知ったからです。2千年という時間と世界という空間を超えて、福音は今も私たちに福音の希望をもたらしてくれています。

ヨハネの福音書16章でイエス・キリストは、聖霊の降臨と働きについて弟子たちに、そして、私たちに語っておられます。13節「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」この個所を理解することは、極めて難しいことです。頭で理解することは、できないかもしれません。人生を通して、この真理が心に刻まれていくのかと思います。

 聖霊降臨は、イエスが十字架にかかり、使徒たちが恐怖でイエスのもとから逃げてしまい、3日目に復活したのちに40日にわたり彼らのもとに現れ、神の国について話されたのち、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使途1:8)と言われた通り、イエスは天に上げられ、五旬節に集まった使途や弟子たちの上に起こりました。使徒たちは、イエスが捕らえられ、十字架にかかるという現実に直面し、自分たちも捕らえられて殺されてしまうのではないかという恐怖に囚われてしまいました。イエスが十字架の死を事前に使徒たちに伝えた時に、使徒たちは、頭では決してイエスを裏切るようなことは死んでもしないと考え、イエスと共にどこまでもついていくと語っていました。そのような辛辣で悲しい出来事とイエスの復活の喜びの経験を経て、聖霊の降臨によって力強く、世界に福音を伝えていきます。

 先週、ズームというコンピューターのオンライン会議システムを使い、世界のYMCAの退職者約100人が参加し、様々な言語の人たちがウクライナとヨーロッパの総主事を通して、ウクライナ戦争でのYMCAの活動報告を聞き、平和を祈りあいました。この時にペンテコステでペトロが語った言葉(使途2章39節)が浮かびました。このYMCAの人たちも「われ何をもちて、これに応えん。」と人生を通して願うイエスの弟子たちです。

                                                                                島田 茂


2023.5.28 小さな泉の恵み

 今、私は国際協力関係のNPO法人でアルバイトをしています。技能実習生への暴行事件が岡山県で起こってからは、外国人の労働環境についての調査が中心になってきました。海外の動向を調べていると、ビルの清掃員の労働条件改善を求める「ジャニターに正義を」の運動や、最低賃金として時給15ドル以上を求める「fight for $15」の運動、そして、農村部の失業者に年間100日の仕事を与える「マハトマ・ガンジー全国農村雇用保障法」などなど・・・興味深い取り組みに出会うことができました。

こんなところで、ガンジーに出会えて嬉しかったです。インドに今でもガンジーの思想が根付いていますね。

移民や非正規雇用者が不遇な状態に置かれているのは、世界的な傾向ですが、少しでも状況をよくしようとする運動も世界各地で起きています。日本でも多くの人が声をあげています。

ただ、技能実習生への暴行の映像を見ていると、弱者をいじめてストレスを発散する職場内での大人のいじめも少なくないようです。いじめで憂さ晴らしをしないで、辛い状況をみんなの課題として、仲間を作って声をあげていく方向に、人々の意識が向かうようにするにはどうすれば良いのだろう・・・と考えていると、やはり、イエス様を伝えるしかないと思わざるを得ません。

 「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」(マタイ20:14)と語られる神様の御心を伝えていきたいものです。        

                               K.K.姉         


2023年5月21日日曜日

2023.5.21 牧師室便り

 ~ 今年の夏が怖い?! ~

先週の日本列島はラニーニャ現象によって突然の真夏日になりました。5月中旬なのに30℃を超えることになると今年の真夏にはどこまで気温が上昇するでしょうか。一瞬、暑さへの恐怖に包まれてしまう私でした。特に、突然の真夏日を説明するニュースを見ると、“ラニーニャ現象によるものだと言われていました。私たちが気温の関係でよく耳にする自然現象の言葉は”エルニーニョとラニーニャ“でしょう。

 気象庁のホームページを見ると、「エルニーニョ現象とは、太平洋赤道域の日付変更線付近から南米沿岸にかけて海面水温が平年より高くなり、その状態が1年程度続く現象です。逆に、同じ海域で海面水温が平年より低い状態が続く現象はラニーニャ現象と呼ばれ、それぞれ数年おきに発生します。エルニーニョ現象やラニーニャ現象は、日本を含め世界中の異常な天候の要因となり得ると考えられています。」と載っていました。

とりわけラニーニャ現象が発生した場合、日本付近では夏の気温が高くなり猛暑となる傾向があるそうです。

今現在、世界規模の異常気象がさらに激しくなっています。インドや南アジアの方はすでに40℃~50℃を超える猛暑が続き、スペイン、カナダ、タイなどは例年に比べ、極端に雨が少なくなり、自然発火による森林火災が後を絶ちません。その他、豪雨による洪水、低温による被害など、地球温暖化がもたらした厳しい変化に振り回されている現状です。それに加え、世界各地で起きている地震活動に心細くなっている近頃です。

それでは、どうすればいいでしょうか。ただ恐れと不安に包まれて生きるべきでしょうか。それでなければ、過去の快楽主義者たちのように“どうせ滅びるんだから快楽を極めようではないか!”と過ごすべきでしょうか。

 “マラナ・タ(主よ、来たりたまえ)”と唱えつつ、“キリエ・エレイソン(主よ、憐みたまえ)”と人々の救いのために執り成すべきでしょう。シャローム!




2023.5.21 本日の宣教

 『 立ち上がらせる聖霊 』 (使徒言行録3:5~10)

主イエスは天に上げられる前、弟子たちに大切な約束をされました。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。(使徒1:8)」

この約束の御言葉に従い、弟子たちは一つの場所に集まり祈り続けていたことを聖書は教えます。そして五旬祭の日が来て、祈っていた一同の上に、突然、激しい風と共に聖霊が降ってきました。その後、弟子たちは今まで経験したことのない聖霊による圧倒的な力に満たされることになります。

弟子たちは、主イエスの十字架を前にして逃げてしまい、主イエスが死より復活され彼らの目の前に現れても、恐れと弱さのゆえに引きこもっていたことを使徒言行録は記しています。 しかし、彼らの上に聖霊が降られたことで、全く新しい人に変えられていきます。昨日までの弟子たちを覆っていた恐れと弱さは消え去り、死をも恐れることのないキリストの証人として新しく生まれ変わることになったのです。弟子たちは閉じてあった門を開けて、人々の前に立つことになります。そして大胆にイエスはキリスト、メシアであるということを宣べ伝えます。

さて、本日与えられている使徒言行録3章では、使徒ペトロとヨハネが神の力によって足の不自由な男を癒す出来事が描かれています。この奇跡的な出来事は、聖霊降臨(聖霊によるバプテスマ)を体験し、聖霊に満たされている教会の力と働きがいかに素晴らしいものであったのかを示すしるしとなりました。聖霊に満たされた教会は、神の力を通じて人々に新しい命をプレゼントし、社会的な変化をももたらすことができます。その出来事の象徴的な言葉こそ、「立ち上がる」という言葉ではないかと思います。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。(3:6~7)

聖霊は、まず恐れと弱さの中で倒れていたペトロとヨハネを立ち上がらせました。そして彼らに信仰と勇気を与え、足の不自由な男性を奇跡的に癒し、彼をも立ち上がらせたのです。この出来事は、教会が聖霊の力を通して社会的な変化をもたらすことができることを示しています。ペトロはその後、「主イエスの名のほかに救いは得られない」ということを民の前で、さらに、大祭司・議員・律法学者たちの前で大胆に宣べ伝えます。そこで、ペトロとヨハネは捕らえられることになりますが、もう彼らを覆っていた恐れは存在しませんでした。なるほど聖霊によって立ち上がらせられた教会は、信仰と勇気をもって神の言葉を伝え、奇跡を行い、人々に神の愛と救いを示す証しとなります。このような証しは、聖霊の力と働きを体験し、信仰を持つ他の人々を引き寄せ、教会の成長と影響力をもたらすことになります。

聖霊は命です。すべてを新しく創造し、御心のままに変えていかれる神です。聖霊が私たちのうちに来られると、私たちの内側から新しい創造が起こり、大胆な証し人へと変えられます。さらに聖霊は、私たち小さな群れを用いて世界を変える夢を抱かれることでしょう。私たちを立ち上がらせる聖霊を讃美しましょう。ハレルヤ!


2023.5.21 小さな泉の恵み

 ~「小さな泉の村」通信~

小さな泉のみなさんへ

いままでいろんなことを教えてくれて ありがとうございました。

おべん当作りが楽しかったです。

おわかれの会に歌を聞かせてくれたりプレゼントをくれたりして、ありがとうございました。美月が帰ってくるまでつづけていてください。これからもがんばってください    美月より

この手紙を送ってくれた美月ちゃんは、今年の4月に、お父さんの仕事の都合で、中国の上海に旅立っていった小学3年生の可愛い女の子です。

彼女は、私の友人のお孫さんで、昨年からほぼ休むことなく、毎月、この会を楽しみにし、積極的に「小さな泉の村」に参加していました。とても利発なお子さんで、その小さな体で、大人に混じって一生懸命に料理をしたり、お弁当箱に詰めたりして、一人の働き人としても頼もしいものがありました。特に閔家のスルギちゃんと一緒に奉仕する姿は、私たちの心に灯りがともったように、周りを和ませ、喜びを与えてくれていました。                     

イエスさまが集めて下さった様々な年代の人々が集い、イエス様の愛を真ん中に確かな想いを持ち続け、これからも活動が続けられますように。

美月ちゃんが帰るその日には、笑顔で再会できますようにと祈った「泉の村」8年目の4月でした。 

                                   S.Y.姉

2023.5.14 牧師室便り

 ~ 道端での祈り ~

 コロナパンデミックが始まって以来、顔と顔を合わせることも、手を合わせて祈ることもできなかった瀬戸登喜雄兄との交わりが、たったの5分だけでしたが、3年半ぶりにありました。

 コロナ以前はほぼ月に一度の割合で入院されていた介護施設を訪問し、共に顔と顔を合わせ、讃美したり、手を組んで祈ったり、「アーメン」と声を合わせたりしながら交わっていましたが、コロナ下の3年半の間は対面による面会ができなくなってしまいました。その間、瀬戸兄の健康状態は悪くなり、済生病院に緊急入院をし、再び協立病院に戻り治療を受けることになりました。最初、済生病院に緊急入院した時は、生命の危機的状況にあるとの診断が出されたこともありましたが、奇跡的に回復され、先週11日(木)に誠友病院に転院することになりました。瀬戸兄を守ってくださった神と執り成してくださった神の家族の祈りに感謝します。すべてが恵みでした。

 コロナ下の3年半の間、何より不安だったのは目で見て確認することも、共に祈ることもできないで、ただ病院側からの知らせに頼るしかなかったということでしたね。その間、瀬戸姉とご家族はいかに辛かったことでしょうか。

 そして、協立病院から誠友病院へと転院するために移動する間の道端での僅か5分だけではありましたが、瀬戸兄のお顔を拝見し、手を合わせて祈る恵みのひと時が許されました。

3年半ぶりの短い触れ合いでしたが、瀬戸兄はしっかりと私のことを覚えられ、祈りと讃美に涙をもって応答してくださいました。だいぶ弱っておられ、声は出せませんでしたが、触れ合いによる主にある交わりが許されたことを感謝します。ぜひ、コロナによる面会制限が解除され、以前のような祈りと讃美による触れ合いができ、瀬戸兄が霊肉共に回復に向かうようにお祈りくださいね。加えて、山口姉との面会も許されるようにお祈りください。

日々、人知を超えた主の平和と恵みが神の家族の上に豊かに注がれますように…。シャローム!



2023.5.14 本日の宣教

 『 神に喜ばれる秘訣  』   ( ヘブライ人への手紙11:5~7)

「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。(11:5)」

エノクという名前は「従う者、教えられた者」という意味です。聖書が紹介しているエノクは、他の偉大な人物のように奇跡を行なったり、神秘的な力をもっていたりしたとは一切記されていません。しかし聖書はエノクについて、「神と共に歩んだ人」と紹介しています。「エノクは365年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」(創世記5:23,24)。…エノクは生涯、神と共に歩み続けた人でした。常に神の傍らにいて、いつも神の御言葉に耳を傾け、尋ね、神の御心に適った日々を生きたという意味でもあるのです。そのエノクについて神は、彼と永遠に共に歩むことを望まれ、生きたままエノクを天の御国へ連れて行かれたと聖書は記しているのです。ヘブライ人への手紙の著者も、そのようなエノクを喜ばれたと記し、神に喜ばれた証明として、死を経験しないように、天の御国へ移されたと証言しています。

そして6節の言葉を通して、現代のキリスト者に向け、エノクの信仰から学ぶべき信仰について定義します。

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。(11:6)」・・・すなわち、エノクのような信仰がなければ神に喜ばれることができないとまで語っているのです。特に、神に喜ばれる信仰の内容として、まず、「神が存在しておられること」と、「神は御自分を求める者たちに報いてくださる方」であることを信じなければならないと宣言しています。「神が存在しておられること」を信じるというのは、神が天地万物の創造者であり、すべての支配者であって、いついかなる時や場所においても生きておられるということを信じ、その信仰に基づいた関係を築いていくことこそ神に喜ばれる人の姿勢だと教えています。そしてもう一つ、「神は御自分を求める者たちに報いてくださる方」であることを信じなければならないというのは、神は、ご自分を愛し、神との交わりを慕い求め近づく者を喜ばれるということです。そして神は、ご自分を求めて近づく者には「恵み(贈り物)」を与えてくださるお方だということを明かしているのです。すなわち、日々、生きておられる神との交わりを楽しみつつ、神の約束された祝福を信じ、その恵みを求めて生きることこそ「主に喜ばれる秘訣」となるのです。

だから「神に喜ばれる秘訣」を生きるキリスト者は、目に見えるものに騙されません。常に神との親密な関係の中で与えられる御心を心に抱きつつ、御心を行うことを選びます。しかし、そのような生活を続けていくと、私たちもエノクのように、またノアのように社会的孤独感に包まれることもあるでしょう。それでも、その人は神を友として、神の臨在に触れ、時に適って与えられる恵みをいただきながら過ごすことができます。願わくは、常に神の存在に気づき、神を認め、神に従う信仰によって、神に喜ばれる神の家族でありますように…。ハレルヤ!


2023.5.14 小さな泉の恵み

 実家で母の面倒を見ながら農業をやっています。最近、高齢の為二カ月前には家の中で転び胸骨骨折で入院しましたが、祈祷会の皆様のお祈りのおかげで思いの他早く退院できました。大変感謝いたします。退院後は脱水症状がでて足腰が立たなくなったり結膜炎になったりと思わぬことで病院通いが増えだしました。一方、要介護2ですが、認知症が少し進みだしたので、ケアマネージャーに無理を言って隣町の介護施設でお世話になっています。私の町は高齢化と過疎化が進んでいますが、最も必要な介護施設が次々と閉鎖になり実際困っているのが現状です。このようなことで何とか日々の生活をこなしていますが、母は昔の人なので畑の草が気になるようで取りたくてしょうがないようです。私は少々草があっても作物が成長できれば良いと思っていますので二人で葛藤があります。

 現在祈祷会ではサムエル記第二を学んでいますが、ダビデはいつも主にお伺いを立てて行動していました。信仰がより確かなものになるよう神に日々祈っていきたいと思います。

                                    K.K.兄


2023年5月9日火曜日

2023.5.7 牧師室便り

 ~ 耳をふさがないで ~

牧師の仕事の中で一番大切なことと言えば、説教(宣教)です。それはキリスト教会が始まって以来、歴史と地域に関係なく共有されてきたことです。だからでしょうか。ある教派や牧師たちは一週間全部を主日礼拝の中で語る「説教」のために尽くします。

まずは説教の本文である聖書箇所を何度も黙想し、注解書や関連書籍を参考にして説教を作成します。そして週の後半に入ると牧師室に閉じこもり、説教の原稿を完成するために集中するのです。

しかし、ほとんどの教派や牧師たちは、牧会のための訪問や相談、週報作成、教会修理、草むしりなど、様々な仕事に覆われる現実を過ごしているしょう。それでも、説教は牧師にとって命のようなもの、何より大切なものであることに変わりはないはずです。

最近、新たに気づいたことがあります。それは、訪問に出かけたり、買い物に行ったり、外の仕事をしたりしながら、よく耳にイヤホンをつけたまま生活することが多くなっているということです。

好きな音楽を聞いたり、Youtubeの役立つ映像を聞いたりしながら、時間を無駄にしないように心がけて過ごしてきました。ところが、イヤホンがつけられている耳は常に何かを聞いていて、耳と頭の方は常に一杯になり、他のことを黙想するような余裕を失ってしまっていたということに気づいたのです。神は大自然から、また人々の声から、また沈黙からも語りかけようとされているのに、私の耳が塞がれてしまったために、その時、その時語られる神からのメッセージを逃してしまっていたような気がしたのです。

耳をふさがない、いつでも神が語られることを忘れないで歩む日々でありますように…。シャローム!



2023.5.7 本日の宣教

  『 どこも神の家  』  (マタイによる福音書9:9~13)

主イエスは家を持たないお方でした。天の御国を捨ててこの世に来られた時から十字架の上で死なれる時まで、一度もご自身の家を所有することはありませんでした。ある律法学者が、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と尋ねられた時、主イエスは「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(マタイ8:19~20)と答えられるほどでした。

現代社会の人々にとって家を持つということは大きな夢であり、逆に大きな重荷でもあるでしょう。なぜならば、長いローン契約をしてまで自分の家を持とうとするからです。それほど家というのは、人々に安定感と憩いを与えるものです。

しかし主イエスの姿から驚かされるのは、主イエスは家をもたなくても、行く先々、出会う人々の家を、まるでご自身の家のように受け取られ休まれる場所とされたことです。すなわち、主イエスがおられる場所はその場所がどこであってもご自身の家のように過ごされていたということです。本日の聖書箇所においても、主イエスは徴税人のマタイの家を、まるでご自身の家でもあるかのような姿で過ごされます。とりわけ当時一緒に食事を共にしていた人々は、徴税人や大勢の罪人たち、すなわち当時のイスラエル社会では禁じられていた人たちで、食事をしながら楽しそうに交わっていたのです。

その通り、主イエスはこの世の価値観に捕らわれる方ではありませんでした。そして主イエスはその場所が罪人の家だろうと、どのような人々が集まっていようと関係なく、その場所をご自身の憩いの場所、ご自身の家へと変えていかれたのです。主イエスはご自身のおられるその場所をご自身の家とされたのです。だからお生まれになった馬小屋においてもスヤスヤと眠ることができましたし、大波が起こる湖の小さな船の中であっても平安に眠ることができたのです。また、イスラエル社会では赦されない徴税人のザアカイの家をも、病人のラザロの家をも、さらに災いと呪いの場所であったゴルゴタの丘をも救いの場所、平和が実現する場所に変えていかれたことを聖書を通して学ぶことができます。まさに主イエスがおられる場所であれば、同じ場所にいる人々までも神の家にいるような平和と安息を味わうことができたのです。

主イエスは、いかに汚い場所、人々が好まない場所であっても、ご自身がおられるゆえにその場所を聖なる場所、神の愛と恵みが溢れる神の家に変えてくださるのです。そして主イエスは今日も、主イエスの名前で集まる二人、三人のいるところを神の家だと、神の国が実現する場所だと宣言しておられます。

愛する神の家族の皆さん、皆さんがいる場所がいかに騒がしく、汚い場所であっても、主イエスがそこにおられれば、そこは聖なる神の家、神の国と変わることを覚えましょう。私たちが日々、主イエスの御言葉に従い、主イエスと共にいることを望み、主イエスと共に歩み行動することができれば、その場所はどこであっても神の家、神の国に変わっていくはずです。ぜひ、あなたがどこにいてもその場所が主イエスを招き入れ聖なる神の家に変えられる恵みを体験する日々でありますように…。ハレルヤ!


2023.5.7 小さな泉の恵み

 4月24日に富山シティFM(77.7MhZ)SDGsカフェ第47回の収録をしました。こどもの日にちなんで、ゲストは新中学1年生12歳のKazutoさんを招きました。彼は、私のことを釣りの師匠と呼んでくれます。そう!私のお弟子さんです。でも彼の吸収力を思うと、私の弟子どころか、私の師匠にしたいくらいです。

彼と出会って既に5年、最初、彼は小学校2年生でした。彼は、私が理事長をしている一般社団法人環境市民プラットフォーム(PEC)とやまの事務局長の息子さんで、PECとやま最年少ボランティアです。

彼の毎日は、海や山など自然の中での遊び、釣り、料理、ギター、ピアノ、モノづくり、プログラミング等に取り組んでいて、困難があっても乗り越え、ワクワクの連続です。

1時間の収録は、12歳のKazutoさんとの対話が途切れてしまうのではないかと、多少懸念したのですが、そんな危惧はすぐに吹っ飛んでしまいました。1時間では足りないぐらいで、Kazutoさんの引き出しの多さに驚きました。

Kazutoくんの全ての活動は、お父さんの影響は大きいにしても、Youtubeなど自分で検索し、失敗をしても練習し、自分で習得しています。

彼は、ロボットなどのプログラミングにも取り組んでいて、国内の大会で上位に入るなど、凄い少年です。いつか教会に招きたいと願っています。

番組のオンエアは、https://city-fm.co.jp/

5月10日(水)14時~15時、5月11日(木)18時~19時 富山シティFMでHPからネットで同時間に聴くことができます。

                               島田 茂 兄


2023年5月1日月曜日

2023.4.30 牧師室便り

 ~ 総会を迎えて ~

「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。(箴言16:9口語訳)」

本日の礼拝後、2023年度定期総会を開きます。2022年度は「互いに重荷を担い合おう」という主題標語を掲げていましたが、そのように歩んだ一年でしたか。コロナのゆえに互いを確認することも、重荷を担い合うための深い交わりを持つことも難しかったと思います。心のうちでは願いながらも、肉体の弱さのゆえに具体的なアクションを起こすことまでは至りませんでした。そのため、いよいよコロナから解放されつつある2023年度こそ、互いに重荷を担うことによってキリストの愛の律法を全うできるのではないかと願っています。まずは、病床の方々をはじめ、神の家族一人ひとりを覚えながら執り成し祈り、重荷を背負い苦しむ兄弟姉妹を訪ね励まし合うことからでしょう。

毎日忙しさと疲れが繰り返されマンネリ化してしまった私たちの信仰生活に、新しさと感動を取り戻していきたいものです。そのためには、私たちの内に清い心を創造して、新しく確かな霊を授けてくださいますようにと慕い求めることです。 

日々、父なる神と御子イエスと聖霊に対して心の貧しさを覚え、三位一体の神を時間と空間を通して味わう霊性を高める神の家族お一人おひとりでありますように…。まず牧師から霊性を高める生活を心がけ、次に執事、信徒へと広がっていく恵みを分かち合うことができる2023年度の富山小泉町キリスト教会の歩みとなりたいものです。シャローム!



2023.4.30 本日の宣教

『 あなたがもっているものは?  』  (使徒言行録 3章 6~8節)

本日の御言葉に登場する出来事は、エルサレム教会が建てられた後に、教会を通じて現れた最初の奇跡について描いています。ある日、ペトロとヨハネが祈るためにエルサレム神殿に上っていた時、「美しい門」の前で生まれながらに足の不自由な一人の男に出会います。その男は、ペトロとヨハネを見て、施しを乞い求めます。本日の御言葉には強調されている言葉があります。「見る」という行動を示す言葉です。

「彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、(3~5節)・・・私たちはこれらの箇所を通して、信仰とは「見る」ことから始まり、「見る」ことから恵みを受けることだと教えられます。

足の不自由な男の人は40年の間、いろんな人をその美しい門の前で見てきたでしょう。彼の「見る」行動に対して、お金で反応してくれた人もいれば、一言励ましの言葉で反応してくれた人もいたでしょう。しかし、多くの場合、何の反応もなく無関心のうちに過ぎ去っていったことでしょう。しかし、ペトロとヨハネは今まで彼が見てきた人たちとは違っていました。むしろペトロとヨハネは、「わたしたちを見なさい」と勧めます。この勧めは、「ペトロとヨハネ」という罪深い人間を見なさいという意味ではなく、「私たちの姿を通してイエス・キリストを見てほしい」という目的がありました。さらに続くペトロの言葉に、耳を傾けましょう。

「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人、イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(6節)…「イエス・キリストの名」こそ、伝道者ペトロの生涯における働きと宣教の主題でした。使徒4:12でも、 「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」と、「イエスの名」のもつ力と救いを、力強く宣言していることが分かります。たとえ金銀、また立派な知識や名誉、権力があっても、主イエスの名を持たなければ、人は救いを得ることはできません。それどころか、他のものは持たなくても、「主イエスの名」さえもつことができれば、すべてを持つことになるのです。その通り、初代教会の力の源となっていたのが、「イエス・キリストの名」にありました。「主イエスの名」が告げられるところで変革が起こり、その名に出会った人は、全く新しい人生を始めることができたのです。金や銀、健康、知識、権力など、この世における誇るものをもっていなくても、ただイエスの名を信じ、その名のもとに一致を保ち、共に生きることで、初代教会の信徒たちは世界の変革者となれたのです。

ある教会は建物を誇り、ある教会は人数を誇り、ある教会は牧師を誇り、 ある教会はプログラムを誇ります。しかし、真のキリストの教会はイエス・キリスト、その名だけをもっている共同体です。その名だけを誇り、その名だけを語り続け、その名だけを宣べ伝えるのです。2023年度、神の家族お一人おひとりがもっているものは、何でしょうか。あなたがもっているもので、何かを求める周りの人々に与えられる一年でありますように…。シャローム!


2023.4.30 小さな泉の恵み

 皆さん今週一週間、お疲れ様でした。暑い日が続いたり、寒さが続いたりで、気が滅入ってしまう今日この頃の私でございます。

臆病とは何だろ?と思った時私は、何も知らないことが恥だと思っていました。この教会に通い出して、5年くらい経ちますが未だにバプテスマを受ける決心がつかない事ではないかと思います。救いの確信はあるはずなのにと焦るばかり、なんか空回りしている自分がいます。いざとなると、ダメになってしまうのが、私の精神的にも弱いところでもあるかな?

そこをイエス様に祈り、決心できる人間になりたいと思います。

皆さん、いつも温かく見守って頂きありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

                             Y.H.兄