『 あなたがもっているものは? 』 (使徒言行録 3章 6~8節)
本日の御言葉に登場する出来事は、エルサレム教会が建てられた後に、教会を通じて現れた最初の奇跡について描いています。ある日、ペトロとヨハネが祈るためにエルサレム神殿に上っていた時、「美しい門」の前で生まれながらに足の不自由な一人の男に出会います。その男は、ペトロとヨハネを見て、施しを乞い求めます。本日の御言葉には強調されている言葉があります。「見る」という行動を示す言葉です。
「彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、(3~5節)・・・私たちはこれらの箇所を通して、信仰とは「見る」ことから始まり、「見る」ことから恵みを受けることだと教えられます。
足の不自由な男の人は40年の間、いろんな人をその美しい門の前で見てきたでしょう。彼の「見る」行動に対して、お金で反応してくれた人もいれば、一言励ましの言葉で反応してくれた人もいたでしょう。しかし、多くの場合、何の反応もなく無関心のうちに過ぎ去っていったことでしょう。しかし、ペトロとヨハネは今まで彼が見てきた人たちとは違っていました。むしろペトロとヨハネは、「わたしたちを見なさい」と勧めます。この勧めは、「ペトロとヨハネ」という罪深い人間を見なさいという意味ではなく、「私たちの姿を通してイエス・キリストを見てほしい」という目的がありました。さらに続くペトロの言葉に、耳を傾けましょう。
「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人、イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(6節)…「イエス・キリストの名」こそ、伝道者ペトロの生涯における働きと宣教の主題でした。使徒4:12でも、 「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」と、「イエスの名」のもつ力と救いを、力強く宣言していることが分かります。たとえ金銀、また立派な知識や名誉、権力があっても、主イエスの名を持たなければ、人は救いを得ることはできません。それどころか、他のものは持たなくても、「主イエスの名」さえもつことができれば、すべてを持つことになるのです。その通り、初代教会の力の源となっていたのが、「イエス・キリストの名」にありました。「主イエスの名」が告げられるところで変革が起こり、その名に出会った人は、全く新しい人生を始めることができたのです。金や銀、健康、知識、権力など、この世における誇るものをもっていなくても、ただイエスの名を信じ、その名のもとに一致を保ち、共に生きることで、初代教会の信徒たちは世界の変革者となれたのです。
ある教会は建物を誇り、ある教会は人数を誇り、ある教会は牧師を誇り、 ある教会はプログラムを誇ります。しかし、真のキリストの教会はイエス・キリスト、その名だけをもっている共同体です。その名だけを誇り、その名だけを語り続け、その名だけを宣べ伝えるのです。2023年度、神の家族お一人おひとりがもっているものは、何でしょうか。あなたがもっているもので、何かを求める周りの人々に与えられる一年でありますように…。シャローム!
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