2026年10月19日月曜日

2026.10.18 牧師室便り

 「 チャペルコンサートにようこそ! 」 

本日は2026年チャペルコンサートにお越しくださり、ありがとうございます。皆さんと共に、この喜びのひとときを分かち合えますことを心より感謝します。

賛美は、聖書の時代から今日に至るまで、絶えず歌い継がれてきました。詩編に「主を賛美するために民は創造された。」(詩編102:19)とあるように、人が喜ぶときも、悲しみ涙するときも、絶望の中にあるときも、神を賛美する姿が描かれています。それは、どのような状況にあっても神は共におられ、新しい道を示し、私達を最善へと導いてくださるお方だからです。

すなわち賛美とは、その神を信頼し、すべてを委ねる信仰者の告白なのです。だからこそ、賛美の言葉とメロディーは、今を生きる私たちにも大きな力と慰めを与えてくれます。

さて、私たちは今、いわゆる「AI時代」を生きています。人工知能によって瞬く間に新しい曲が生み出され、歌があふれる時代となりました。しかし、そうして作られた歌に、私たちの心を深く動かし、生きる力や慰めを与える命はあるのでしょうか。

本日は、ミルトス三姉妹による賛美と歌、箏、そしてクラシック音楽をお楽しみいただきます。そこには、歴史の中で神を体験した人々の信仰や祈りが、歌詞となり、メロディーとなって息づいています。

どうぞ、三姉妹の歌と音楽を通して、賛美とは何か、音楽は何のためにあるのかを改めて味わっていただきたいと思います。そして、生きた賛美、生きた音楽の喜びを、皆さまと共に分かち合うひとときとなりますよう願っております。

「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ!」(詩編150:6)

本日のチャペルコンサートが、皆さんにとって豊かな恵みと喜びの時となりますように。

シャローム。



2026.10.18 本日の宣教

 『 神はわたしたちの砦 』  

                           詩編46章2~4節

私たちは今、社会や経済、人間関係、健康や命などに関して、さまざまな不確実さの中を生きています。明日何が起こるか分からないという不安は、私たちの心を少しずつ蝕み、無力感をもたらします。

詩編46編は、このような混乱と脅威のただ中で、神への揺るぎない信頼を宣言しています。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」。たとえ地が姿を変え、山々が揺らぎ、海が荒れ狂うような事態になっても、私たちは恐れないと詩人は語ります。

ここでいう「砦」とは、危険から身を守る避難所や要塞を意味します。人間が築いた安全網や社会の仕組みは、どれほど堅固に見えても、困難の前に崩れることがあります。しかし、私たちの真の砦は、人間の造り出したものではなく、神自身です。恐れないでいられるのは、状況が変わらないからではなく、どのような状況にあっても神の慈しみと主権が変わらないからです。

10月は宗教改革を覚える月です。詩編46編は、マルティン・ルターの讃美歌『神はわがやぐら』の源となった御言葉です。破門され、ヴァルトブルク城に身を隠したルターを真に支えたのは、城壁ではなく、嵐の中でも共にいてくださる神への信仰でした。

私自身も、大学時代にイエス様と出会って以来、人生の試練に直面するたび、祈祷院や教会の礼拝堂で神の助けを求めてきました。私にとって礼拝堂は、神の御翼の陰に包まれる恵みの避け所です。 また、蜂窩織炎で緊急入院したとき、病室は父なる神と深く交わるための静かな場所となりました。困難の中でさえ、神は御言葉と平安を与えてくださることを経験したのです。

神が私たちの砦であるとは、困難が起こらない人生を意味するのではありません。困難に遭っても、絶望に押しつぶされずに生きることができるということです。私たちは不安や恐れを完全に消すことはできません。だからこそ、自分の力や環境の安定だけに頼らず、父なる神に身を委ねることが大切なのです。

祈りとは、真の神という砦に身を置くことです。「主よ、私の足元は揺らいでいます。あなたこそ私の砦です」と祈るとき、私たちの目は問題の大きさから、すべてを包み込む神の大きさへと向けられます。

詩編46編11節には、「力を捨てよ、知れ、わたしは神」とあります。世界が騒がしく、心が揺れ動くときこそ、祈りと讃美によって神様に心を向けましょう。震える声や心の中の小さな呟きであっても、主を信頼する告白は、私たちに平安と希望を与えてくれます。

私たちは自力で人生の嵐を鎮めることはできません。しかし、どのような嵐の中でも、揺らぐことのない神の砦に逃れ、主をほめたたえることができます。

本日のチャペルコンサートを通して、神こそ私たちの砦であり、真の神であることを、皆さんと共に証しする時となることを願っています。ハレルヤ!

                    

2026.10.18 小さな泉の恵み

 ~能都聖書教会のドン先生との出会いの恵み~

前に気仙沼教会の信徒の1人から「震災後に仏教徒からもクリスチャンからも助けられた。ただ、キリスト教には毎週礼拝があって集まる。だからクリスチャンになった」と聞きました。

私は神さまに祈りながら、能登での小さな泉のカフェでも、地元の教会の協力が必要だと思いました。神さまの愛を知った地元の住民が教会につながることができるように。ただ、私は能都聖書教会とは何のつながりもなく、直接教会に行ってもどういう反応をされるか全く分かりませんでした。

能登町に着き、教会の健全な姿を見たとき、いよいよ教会に行かなければいけなくなりました。運転中も歩くときも「行きたくない」と神さまに祈りましたが、私の思いとは裏腹に結果はひっくり返らず、重い足取りで教会に向かいました。

結果的に、ドン先生達は私の訪問や柳田での活動に難色を示さずに話を聞いてくださり、小さな泉のカフェに合流されてよかったです。

                             N.Y.兄


2026年10月13日火曜日

2026年10月18日(日) チャペルコンサート

 

2026.10.11 牧師室便り

 「チャペルコンサートの祝福を祈ろう」

来週、富山小泉町教会にて「2026チャペルコンサート」が開催されます。小泉町教会にとって一年のうちで最も楽しみであり、祝福されたひと時です。ぜひ、ミルトス三姉妹のために心を合わせて祈りましょう。

私が富山小泉町教会に赴任してまず目に留まったのが、ミルトス三姉妹の素晴らしい賜物でした。歌、箏、バイオリンという、それぞれに豊かな音楽の賜物を持ち、三人が心を合わせて賛美するとき、大きな恵みと感動が伝わってきました。そこで私は、「この三姉妹でコンサートを開きましょう」と教会員の皆さんに提案しました。

当初は、「小さな教会の教会員だけでコンサートを開くことができるのでしょうか」と戸惑いや否定的な声もありました。しかし、「一つの教会にこれほどの音楽の賜物が与えられていることは素晴らしい恵みであって、主が三姉妹を用いることを望まれるでしょう」と勧め、コンサートが始まることになったのです。

三姉妹の名前である「ミルトス」の由来は、聖書に登場する、祝福のしるしとして用いられた美しい香りを放つ木です。不思議なことに教会の花壇にもミルトスが植えられており、ミルトスの音色が良い香りとなって小泉町教会から地域へと広がっていくことを願って、これまでコンサートを続けてきました。

しかし、毎年続けていく中で、最初の頃にあった良い緊張感や畏れとおののきが薄れ、少しマンネリ化してしまったような気もします。今年、もう一度初心に帰り、喜びと祈りをもって備えたいと思います。特に、ミルトス三姉妹が、神から与えられた賜物を十分に発揮し、喜びをもって賛美できますように祈りをもって支えましょう。また、家族や友人、近隣から来られる方々を温かくお迎えし、神の愛と祝福に包まれるひとときにしたいと願っています。

ぜひ、神の家族一人ひとりが心を一つにして奉仕し、来られた方々が神の愛を深く味わう幸いな時となりますように。シャローム。



2026.10.11 本日の宣教

 『 わたしの民よ、立ち帰りなさい 』  

                      歴代誌下7章14節

私たちが暮らすこの日本という国は、世界にも誇れる美しさと秩序、そして優れた技術力を持った素晴らしい社会です。

私が1995年に初めて日本を訪れた当時、この国は活気ある世界第二位の先進国でした。しかし、この30年間停滞と後退を続けてきた現実を前に、人々の心はかつてないほどの深い孤独や喪失感、そして何とも言えない無気力に覆われているように思います。

このような現実の中で、私たちはどこに希望を見いだせるでしょうか。心身が疲れ果てたとき、聖書は私たちにこう語りかけます。

「もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。」(歴代誌下 7:14)

この御言葉の背景には、ソロモンが神殿を完成させた栄光の頂点と、その直後の神の警告がありました。神は、人間が繁栄の中で傲慢になることを見越し、回復への道筋を先回りして用意してくださっていたのです。しかし、イスラエルは神の警告を忘れ、滅びの道をたどることになってしまいました。

私は韓国人として、自国の問題には声を上げてきましたが、外国籍ゆえに日本の社会や政治の課題にはなかなか声を上げられずにいるもどかしさを抱えてきました。それゆえにこそ、日本に生きる民である皆さんが、それに相応しい声を挙げなければなりません。 しかし、私たちの関心はどうしても自分のことや家族のことに限られがちです。

かつてイスラエルの民は、国に試練が起きたとき、民族が一つになって深く嘆き、神の助けを求め、御前に出て悔い改めの時を過ごしました。同様に、日本という「地」が抱える痛みを、人間の手段だけで癒やすことはできません。神の赦しと癒やしが不可欠なのです。

本日の御言葉は、すでに神を知っている私たちクリスチャンに向けて警鐘を鳴らしています。形式的な信仰生活と神の御心から離れ反逆の道をたどった生活から立ち返り、「ひざまずいて祈り、御顔を求め、悪の道を捨てる」というステップを踏み出すようにと。

私たちはちょうど宗教改革記念日を覚える季節にいます。「改革された教会は、常に改革され続けなければならない」との宗教改革者たちの言葉通り、今こそ十字架の原点へと心を向け直し、「あなたと子どもたちのために祈れ」と言われた主イエスの御声に従って、この国と民のために祈る時です。

神は私たちがひざまずき御顔を求める時、両手を広げて迎え入れてくださいます。忙しい生活、時代の流れのただ中で立ち止まり、「わたしの民よ、立ち帰りなさい」という愛の呼びかけに答え、新しく希望の歩みを踏み出そうではありませんか。

アーメン。


2026.10.11 小さな泉の恵み

 近年の気候変動により、気温上昇や豪雨が農業にも様々な影響を及ぼしています。現在、作付けしている水稲の早生品種の収穫は終わりましたが、中生品種はこれからというところです。両品種ともに8月に出穂しましたが、この時期は開花・受精に水を最も必要としています。

今年のこの地域の8月の降水量は31㎜でしたが、平年降水量の27%と大変少なかったです。このため、私も含め周りの農家は連日のように溜池から水をひいていました。池の水量がどんどん減ってきましたので、神様に雨が降りますようにお祈りしていました。

その後台風15号の接近により、9㎜という恵みの雨がもたらされました。この台風15号は、日本列島の東側で発生し、観測史上初めて茨城県に上陸し、福井県からぬけるという逆走台風でした。当時、祈祷会において、閔先生をはじめ参加された皆さんが、恵みの雨が降りますようにとお祈りしてくださっていましたが、予期せぬ形でかないました。溜池にも幾分かは水量が回復して大変感謝でした。

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。コリントの信徒への手紙一3:6」。

                               K.K.兄