「 赦された罪人として歩む共同体 」
私が小泉町教会に赴任して以来、最も大切にし、力を注いできたことは、「神の家族」という意識を教会の共同体に根付かせることでした。
強い人も弱い人も、才能豊かな人もそうでない人も、健康な人も病を抱える人も、みな神の家族であり、一人ひとりが尊い存在です。そして何より、私たちは皆、神に赦された罪人です。
私たちの信仰の中心には、イエス・キリストの十字架があります。その十字架の前に、私たちはただひざまずくほかありません。そこには私たちの古い自分が共に釘付けにされなければなりません。十字架を見上げるとき、私たちは自分がどれほど大きな罪を赦された者であるか、神の愛と恵みがどれほど尊いものであるかを知らされます。だからこそ、十字架を通して互いを見るならば、自分を誇ったり、人と比較したり、差別したり、無視したり、裁いたりすることがあってはなりません。
教会はキリストの体です。私たちは主イエスの十字架の愛に倣い、互いに愛し合い、赦し合い、足りないところを補い合う群れです。そして、常に「私ではなく、すべては神の恵みです」と告白し、何事にも「イエス様ならどうされるだろうか」と問いながら信仰生活を歩んでまいりましょう。
教会は人間の力によって造られるものではなく、神によって建て上げられるものです。すべては神の恵みであり、聖霊の御業です。私たちは恵みを受けたしもべとして、感謝と喜びをもって自分自身を神に献げるのです。
もう一度確認しましょう。私たちは皆、赦された罪人です。すべては神の恵みです。自分を誇り、自分を表そうとするところに、サタンの落とし穴があります。
神の家族として、共に謙遜になり、互いに愛し、赦し合いながら、キリストの体を建て上げていきましょう。私たちの思いではなく、キリストの御心がこの教会になされますように。シャローム。