2022年10月5日水曜日

2022.10.2 牧師室便り

 ~ 牧師が苦しい時 ~

  先週の楽しい聖書の学びが終わったところで、S兄が突然救急に運ばれたとの知らせが届きました。S姉はご主人が救急で運ばれたことを聞くや否や病院に駆けつけられました。その後、S姉からの報告があり、S兄が危篤状態であるとのメールをいただきました。その後、医者の方から「今晩を越せないかもしれない!」との言葉を聞いてから、S姉から牧師の祈りを求める電話がありました。すぐ駆けつけて病室の方に上がろうとしたところで、看護師の方から“いや、今は家族や親族も面会ができない場合があるし、牧師も他人なので病室に入ることはできない!”と断られてしまいました。そこでS姉の切なる要望もあり、看護師の方は誰も入っていない小さな部屋を用意してくださって、短い時間でしたが、S兄の癒しとご家族の上に主の助けと慰めを祈ってから帰ってきました。牧師の働きの中で優先すべきことが、病床の方への牧会です。しかも生と死の瀬戸際に立たされている方であればなおさらのことです。

 主イエスも公生涯において、病床にいる人々を訪ね祈られ癒してくださいましたし、それを重んじておられたことを知っています。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。…わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(マタイ9:12,13)」…主イエスはいつも病人、弱者、罪人、飢え乾いている人を訪ねられ、彼らを癒し、慰め、励まし、強めてくださいました。キリスト者、その中でも牧師は主イエスに倣い、その足跡に従って歩む人でなければなりません。だから常に恐れ慄きつつ、主の御声に従おうと備えているわけです。その中でも、突然倒れられたり、事故に遭われたりされた方のもとに駆けつけ、その方と手を合わせ主の癒しと助けを祈り求める時が牧師にとって大切な時であり、それができない時が牧師にとって苦しい時なのです。

  コロナという厳しい壁を前にして病院や医療関係者の皆さんのご苦労に感謝しつつも、一日も早く対面の面会が回復され、病の中にある方々と手を合わせ、またその体の上に手を置いて祈ることができますように、また、今も病床で厳しい時を過ごしているS兄とご家族、またY姉、弱さを覚えている方々の上に主が伴ってくださることを祈りましょう。主は弱さの中で働かれ、十字架の愛をもって神の子どもたちを強くしてくださるお方です。シャローム!


2022.10.2 本日の宣教

『 あなたが抱いている希望は? 』(Ⅰペトロの手紙1:3~4、3:15~16)

Ⅰペトロの手紙が書かれた当時は、キリスト教への迫害が大変厳しい時でした。そのため、初代教会の信徒たちは、周辺の地域に散らされて過ごすしかありませんでした。ペトロはその中で、小アジア地域を中心に散らされている信徒たちを励ますために手紙を書いたのです。

この手紙で、ペトロが定義している「キリスト者」とは、神に選ばれた者であり、真の故郷を離れてこの世に「散らされて、一時的に仮住まいをしている旅人」として描いています。さらにペトロは、彼らは確かな天の故郷への希望をもって生きているものであり、その希望こそ、「生き生きとした希望(1:3)」であると教えます。手紙の中で、ペトロは「生き生きとした」という言葉と「希望」という言葉を好んで使っていることが分かります。しかもその希望について、「朽ちず、けがれず、しぼまない(1:4)」特徴をもっていると、その約束のゆえに今現在の試練と迫害に勝利することができると教えています。その将来の約束があるからこそキリスト者は、今喜びの賛美の声を上げることができますし、尋ねてくる人々に応答することができるのです。

迫害と苦難にさらされながらも信仰を貫いていたキリスト者たちの姿を不思議に思っていた人々は彼らに尋ねてきました。「なぜあなたたちは、これほどまで迫害を受け試練にさらされながらも信仰を諦めないのか。何か特別な理由や希望があるのか」と。…ペトロは、そのように尋ねてくる人々に対してどう答えるべきかについて教えます。

「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。(3:15)」…ペトロは、自分のうちにある希望について説明を要求する人には、「誰にでも、いつでも」弁明できる備えをしておく必要があると教えます。まさに、暗闇の世界に生きる未信者の人々は、厳しい試練や迫害のただ中に置かれながらも「生き生きとした希望」に満たされて生きているキリスト者の姿を見て不思議に思い、その信仰について、生き方について、またその希望について尋ねることになっていたわけです。キリスト者はその時のために、いつでも弁明できるようにしておかなければならない。そして弁明する時には、傲慢にならず、常に穏やかに、敬意をもって、正しい良心の上で弁明するようにと示されています。ここで言う「弁明する」とは、受動的な弁明や弁護ではなく、積極的に確信している福音について明らかに告げること意味します。しかも、弁明の時の姿勢として、「穏やかに、敬意をもって、正しい良心で」と、神と人の前でふさわしい姿で弁明すべきであるのです。

統一協会やカルト宗教で騒がれている近頃の日本社会において、私たちが正しい福音を伝えるチャンスはそうそうあるとは思えません。だからこそ、「光の子」として、常に心の中でキリストを主とあがめつつ、愛に基づく善い行いを、そして生き生きとした希望を抱いている者として人々の前に現れるべきです。その姿に引かれ、心動かされた人々に、折が良くても悪くても大胆に福音を宣べ伝える小泉町教会の神の家族でありますように…。ハレルヤ!


2022.10.2 小さな泉の恵み

 「流域治水」という単語をご存じでしょうか。これは近年の水害の激甚化・頻発化を受け、これまで行ってきた堤防の整備やダムの建設といった対策だけでは洪水を防ぎきれないとして上流から下流のすべての関係者が一体となって行う水害対策です。具体的には、洪水時に上流の田んぼに水を通常時より多く貯める「田んぼダム」や、大雨の前にダムや堰、ため池などの水位を事前に下げて貯めることのできる容量を増やす「事前放流」などがあります。しかしながら、これらの対策には簡単に見えて大きな課題が立ちはだかっています。

標高が高い上流で降った雨は速やかに下流に流れていくので上流では洪水は発生しません。つまり上流の人々や団体が「田んぼダム」や「事前放流」をやっても何の得にもならないのです。かえって「事前放流」をしたのに雨が想定より降らず、十分な利水用の水が確保できない、などの懸念事項が多く、非協力的な方がまだまだ多いのが現状です。河川事務所で働いている私も自治体や防災関係の方と話す際にこの課題に直面し悩むことが多いです。

イエス様が「汝の隣人を愛せ」と言われるように、流域に暮らす人々皆が助け合って治水に取り組むことで「流域治水」は効果を発揮します。流域全域の人が喜んで治水に協力してくれるような環境づくり、政策作りに将来的に取り組んで参りたいと考えています。

                               K.M.兄


2022年9月28日水曜日

2022.9.25 牧師室便り

 ~中部連合の諸教会のために祈ろう ~

「愛の口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストと結ばれているあなたがた一同に、平和があるように。(ペトロの手紙一5章14節)」

 先週、三年ぶりに中部地方連合交流会が行われました。対面ではなくzoomによる会となりましたが、約50名の連合に連なる諸教会の皆さんがzoom画面を通して顔を合わせ、開会礼拝と3回にわたる自己紹介タイム、そして10のパートに分かれて、諸教会が直面している課題について話し合う時を持ちました。朝10時から午後3時まで5時間に及んだ会だったので、疲れてしまうのではないかという危惧もありましたが、思ったよりスムーズに各プログラムが進められ、中部連合に連なる群れとしての一体感を感じることができた交流会となったと思います。これからのzoomによる活動がさらに広げられる可能性を見つけたひと時でありました。

 最近のニュースによると、コロナ規制をさらに緩くするということが決まるそうです。今までコロナがもたらした被害は日本社会のあらゆる領域に大きなダメージを与えてきたため、一日でも早く正常な生活に戻りたいという人々の願望は当然のことでしょう。同じように、キリスト教会においても伝道活動が全く閉ざされていたことも事実です。実際、コロナ下において連盟の諸教会の教勢や受浸者、献金など、ほとんどの指標が大きく下回っている現状です。

 今現在、中部連合に属している岐阜教会と愛知新生教会が無牧師の状態で、中部連合の他の教会の牧師たちが宣教と主の晩餐の奉仕に協力しています。このような時であるからこそ、互いに支え合う中で伝道に励むことです。小泉町教会も無牧師の時がありましたし、福井教会も、他の多くの教会もそうでした。中部連合の諸教会がキリストと結ばれているものとして、各地域において祝福された働きがなされますように執り成し続けましょう。シャローム!


2022.9.25 本日の宣教

 『統一協会から救われて』   (マタイによる福音書24:3~8)

安倍元首相が参院選の街頭演説中に銃撃、殺害された事件以降、容疑者の動機が旧統一協会(現・世界平和家庭連合)に対する恨みであったことから連日マスコミに取り上げられ統一協会という言葉を聞かない日が無い状態になっています。統一協会と言えばカルト教団の代表のような存在でしたが、オウム真理教の事件があってからは暫く名前を聞かなくなっていました。かつて統一協会に身をおいた者として今自分が経験したことをお話することでカルトについて考えるきっかけとしていただけたらと思います。

35年前、私が21歳、当時勤めていた富山市の洋菓子店の寮に中学校時代の同級生が訪ねて来ました。統一協会の幹部と共に。その時は一切宗教団体とは言わずに為になる知識を得られるサークル活動の勧誘ということでした。「ビデオセンター」というので入会すれば好きな映画のビデオが安くみられるというくらいの安易な気持ちで入会しました。ビデオセンターに行くと一人一台のビデオ内臓テレビの前に誘われ一時間位の講義のビデオを見せられます。その内容が統一協会の教義なのです。何日か通って講義を何本か受けたところで2daysセミナーという一泊二日のセミナーがあってそこで初めて教祖が文鮮明師でその方が再臨のキリスト、メシアであると告げられます。ここで統一協会の教義の一部をお話します。始めに本物の聖書を用いて話が展開します。神が天地を造られてアダムとエバを住まわせ「善悪知る木の実をとって食べてはならない」とお命じになります。統一協会では善悪知る木の実をとって食べるとは男女の性行為と説きます。アダムとエバは罪を犯した後いちじくの葉で腰を覆った(創世記1章7節)のはその証拠だといいます。まずエバが堕天使ルシファー(統一協会ではルーシェル)と性行為が行われエバに罪が入り、その後アダムと性行為があってアダムにも罪が入った。アダムとエバは成熟して完全数7の3倍の21歳になってから結ばれなければならなかったのに早く関係ができてしまった。それで人類は堕落し原罪を負ったのだと言います。そこから神様による人類救済が開始されます。救済には信仰基台と実体基台の2段階あって、人類はいつも失敗を繰り返し、イエスも信仰基台を完成したが実体基台を完成出来ず失敗した。そこでその失敗を回復するために文鮮明師がメシアとして現れて心だけでなく物質も回復するのだと。悪名高い霊感商法も万物復帰といって物質、特に人が一番執着の強いお金をサタンから神様、メシアの下に取り返すと同時にお金を出した人も天に宝を積むことになると教えられています。信者は百パーセント良いことをしているつもりでそれらのことを行います。決して詐欺行為を行っている気など毛頭ありません。

私は家族の働きによってカルト集団統一協会から逃れることが出来、更に本物の救いに与りました。今回の事件の山上容疑者の家庭崩壊は他人事ではなく、胸が痛みます。彼の悲劇は氷山の一角です。カルトによって人生を破壊された方、家庭崩壊した方を見過ごすことは出来ません。私が、これから何が出きるのか主に尋ね求めます。聖書的には偽キリストの出現は驚くことではありません。主イエスご自身がはっきりと語っておられます。世の終わりの近いことを思い、聖書に書かれたことことが全て真実であると確信し、信仰の歩みを続けて参ります。

                              S.Y.兄


2022.9.25 小さな泉の恵み

 ~子ども達と自転車に乗って~

毎年9月に僕の働いているYMCAでは子ども達と五福運動公園から氷見の島尾キャンプ場までを自転車で往復するサイクリングキャンプという活動をしています。今年は18日から19日までの二日間で行ってきました。このキャンプは長い距離を自転車で走るため自転車に慣れていない子ども達にとっては過酷なキャンプで、毎年途中でリタイヤして並走している車に回収されていく子もいます。でもその分達成感もひとしおでゴールした時の子ども達の顔は自信で満ち溢れています。また毎年開催されていて参加している子どももリピーターが多いの前年度と比べて子ども達の成長を感じられるキャンプで、去年はリタイヤしていた子どもが今年は泣きながらも最後まで走りとおすことができました。いつも子ども達を見守り導いてくれる神様に感謝したいと思います。

                           S.H.兄

2022.9.18 牧師室便り

~王の王は誰か ~

「神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。(テモテへの手紙一6章15~16節」

 先日、英国の女王として70年間在位し、世界的に大きな影響力をもっていたエリザベス女王が死去しました。享年96歳でした。世界各国は追悼のメッセージを送り、19日に行われる国葬には各国首脳たちが参列するとのニュースが流れています。“大英帝国、太陽が落ちない国”と言われてきた英国の女王として、また英国の国民との関係においては親近感のある庶民的女王として栄光と尊厳を受けてきた人生であったでしょう。その反面、世界で最も多くの国を植民地とした国の君主として、植民地の人々にとっては測ることのできない苦しみを与えた存在であり、多くの人の命を奪った権力者として記憶されるでしょう。そう考えると、彼女の人生には確かに明と暗がはっきりと表れていると言えます。

そしてもう一人、日本でも安倍元首相の国葬が行われることになりますが、未だに国葬反対の国民の声が高まっているところです。統一協会との深い関わりがあったことと多額の費用、過去の政策に対する批判などが原因で反対が賛成を上回っている状況で、内閣支持率も低迷する結果となっています。最も長く総理を歴任し力を振るっていた安倍元総理でしたが、その最後が多くの国民から批判を受けている状況を見ると寂しい限りですね。

聖書は真の王こそ、全能者なる神であると告げます。私たちはイスラエルの民らが最初の王を求めていた時、同じ人間が王という権力の座に着くことで生じる悲劇のことを神が御自ら語られていたことを覚えます。神の御言葉通り、最初の王サウルをはじめ、イスラエルの歴史の中で、またこの世のあらゆる国においても、王によって繰り返された悲劇の歴史を確認することができました。真の王はただ一人。創造者であり、世界を支配しておられる神、人を救うために命さえ惜しまず与え、復活なさった王の王、主の主であられるイエス・キリストに誉れと永遠の支配がありますように…。シャローム!