2021年1月13日水曜日

2021.1.10 牧師室便り

 

~ 弱さを知れ ~

「力を捨てよ、知れ、わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。〔セラ (詩編46:1112

急速に増えていく新型コロナウイルス感染者数に驚いた政府が東京都を含む首都圏に、再び非常事態宣言を発令しました。医療崩壊を避けるための処置であるとは思いますが、人びとの間では、もう遅すぎたのではないかという批判も多いように見えます。今までGO TO キャンペーンを続ける中で、経済復興を掲げてきた政府にとっては、今のようなコロナ大拡散という結果は予想外だったでしょうか。…一日先のことも知らない存在、いや一時間後も、一分後のことさえも何が起きるか分からない弱い存在が人間です。しかし、すべてを知っているかのように、すべてが自分たちの手の中にあるかのように振る舞ってきた人間の傲慢さ、それに隠されていた人間の本質的弱さが赤裸々にされている日々です。

それに加え、突然の寒波と豪雪に覆われている世界です。地球温暖化ということもあって、ここ数年間は大雪も少なくなり、暖冬であったため、突然の寒波と豪雪で慌ててしまっている日本社会です。世界のある地域は-52°Cまで下がったそうですが、本当に突然起こる自然災害を目の当たりにしながら人間の愚かさと弱さが浮き彫りになっているような気がしてなりません。それなのに、世界各国は依然として自然破壊を繰り返し、大気汚染を続けている現状です。地球の将来を考えるより、目の前にある欲望を満たすための間違いを犯しています。地球に残されている時間は僅かしかないと言われているのに、あえて“たいしたことないだろう”と気づかないふりをしている現実、・・・。

人間の弱さに気づき、その弱さを知る人は神の前にひれ伏すことになり、悔い改めを選ぶことになります。そこから新たなチャンスをいただき、小さな希望を手にすることができるのです。弱さを知れ!と響く神の声に静まって、神の前にひれ伏す神の家族となり、日本の国と民のために執り成し祈ることを決心しましょう。シャローム!

 

2021.1.10 本日の宣教

 『 福音の配達人になる 』 ( 一ヨハネの手紙1:14、一ペトロの手紙3:15)
 
ヨハネの手紙が書かれたのは、イエス・キリストが昇天された後、主イエスの弟子たちはじめ、主イエスを直接目で見て、その教えを直接聞いていた人々も、また主イエスを直接経験していた証人たちもほとんどいなくなった時のことでした。当時は、グノシス主義という異端の間違った教えが教会の中に広がっていた時期であって、それに対して長老ヨハネは当時の教会とキリスト者がどこに立つべきなのか、抱くべき確信がなんであるか、どう歩むべきなのかなどについて伝える必要がありました。

 ヨハネは本日の御言葉を通して、手紙を書いた3つの目的を示しています。
 まず、ヨハネが最初に語っている目的として「命」を示しています。ヨハネは主イエスを信じる人々が、彼らの内に「命」、しかも永遠の命があることを確信してもらうために書いていると伝えます。ただ伝えるのではなく、ヨハネ自らが「聞いたものであって、目で見たものであって、手で触れたものである命(イエス・キリスト)」を伝えたいのだ!と記しているのです。すなわち、その命とは、幻のような抽象的な存在でなく、私たちが直接五感をもって体験できる実体として今も存在しておられる方であることを伝えているのです。   

 二つ目の目的として「交わり」(ギ:コイノニア)を示しています。キリスト者とは、永遠の命なるイエスに出会い、その方との交わりに生きる存在です。そして、主イエスとの交わりとは、頭の知識や精神的な領域の経験ではなく、全人格的に味わえる交わりとなります。そして、この交わりこそ、主イエスが生きていた時代の人々だけでなく、すべての時代、すべての地域において同じく体験できる交わりであることを教えているのです。主イエスを信じるというのは、ただイエスを信じて救われ、天国に行く!ということに目的があるのではなく、いつも生きておられ永遠の命なる主イエスをいただき、主イエスと交わるという素晴らしい恵みが約束されているのです。

 最後に、三つ目の目的として「喜び」を示します。永遠の命なる主イエスとの交わりに生きる人に著しく現れる姿とすれば、喜びに満ち溢れることでしょう。この喜びとは、父なる神の喜びとイエス・キリストの喜び、そして私たちの喜びをも含むことを指します。「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」(ヨハネによる福音書15:11)…ここで示される「喜び」とは、ただの感覚的な喜びではなく、永遠の命から受ける人知を超えた喜びであります。それは、私たちがイエス・キリストの十字架の贖いによって命をいただき、神との日々の交わりの中で得られる救われた確信からの強力な喜びなのです。

 新型コロナウイルスによって支配されている世界の中、キリスト者に求められる信仰姿勢こそ、本日の御言葉のように、「聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」を伝える備えをすることでしょう。やがて、良い知らせを求める人々の方へと、山々を行き巡り、配達していく足を持つ福音の配達人になれるはずです。絶望の暗闇に捕らわれている人々に「永遠の命と神との交わり、喜び」といった人知を超えたプレゼントを届ける神の家族となりますように…。ハレルヤ!

2021.1.10 小さな泉の恵み

 

~病床から②~

 お祈り、感謝いたします。

 私は、主の護りと皆さまの祈りに支えられて、無事手術を終え、いまは、日毎に回復へと導かれております。クリスマスや、イヴの礼拝をご一緒できなかったのは、残念ですが、この時期に手術を受けたことにより、今までにないほど神様の存在を近くに感じることができました。

 手術直前の私の心境は、ゲッセマネの園で、「父よ、この杯をわたしから取りのけてください。」と祈ったイエス様の心境に、わずかですが近づいていたかも知れません。しかし、イエス様はその直後に、「わたしの思いではなく、みこころのままになさってください。」と祈っています。この2つの祈りの間にある心境の変化は大きくて、凡人の私には無理です…と祈っていたら、23()のディボーション箇所が目に飛び込んできました。ルカ137「神にとって不可能なことは何もありません。」聖霊によって身ごもるという超自然的なみわざを前に、恐れおののいていたマリアも、ガブリエルのこの言葉を聞いて、みことばに従う決断をします。

 そうだ、これだ。私も、このみことばを信頼して、全てを主に委ねよう、そう思ったら、心が安らかになり、落ち着いて手術に臨むことができました。主の恵みに感謝いたします。来年もまた、良き交わりをよろしくお願いいたします。…「主のしもべという神と自分の関係を受け入れるとき、自分を捨てて十字架を負うことができるのです。」リビングライフ12/23(みことばから) 
                    A.T 姉

2021.1.3 牧師室便り

 ~ 配達の時代 ~

「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。」(イザヤ527

新型コロナウイルスが世界を支配するようになった今、人の集まる場所を避け、できるだけ一人、あるいは家族だけの時間が求められています。そのため、観光業または、レストランなどの外食業界は大きな打撃を受けていて、日本政府は観光業や外食業界の人々のためにGo To キャンペーンを通して活性化しようとしたわけですが、ますます増えていくコロナ感染者数に、再び非常事態宣言を発令せざるを得ない状況になっています。
 しかし、コロナ時代の中、繁盛しているのが「宅配事業」です。街に出ると配達をするバイクが目につきますし、アマゾンをはじめとする宅配業界の実績が急増していると言われています。コロナ危機がいつまで続くか分かりませんが、宅配業界の成長はしばらく続くことになるでしょう。
  それでは、キリスト教会はいかがでしょうか。昨年のパンデミック以降、世界のキリスト教会は主日礼拝を除く他の集会はできるだけ控えてきました。小泉町教会もイースター、クリスマス、チャペルコンサートなどの諸集会を中止したり、外に向けての公の伝道活動を控えたりして一年を過ごしてきました。しかし、これでいいだろうか。教会の本質は伝道することにあり、救われる人が起こされることに存在の意味があることを忘れてはなりません。とりわけ終末の時として現在を見つめているのであれば、伝道は欠かすことができませんし、さらに求められていることを真剣に受け止めなければならないのです。そこで、示されている教会の伝道のあり方として、配達マインドがあるのではないでしょうか。多くの人が集うことが難しい中、できるだけお一人お一人が福音を携え、今良い知らせを必要としている人々に福音を届ける働きが求められるのです。もちろん、今まで何度も試みてきたことだと思う方もいるでしょう。しかし、伝道への思いと真剣さを新たにし、愛する人々に近づく時です。主の知恵をいただきつつ、福音の配達人として出かけましょう。シャローム!

2021.1.3 本日の宣教

 『 元気を出しなさい 』 (使徒言行録272026)
  
明けましておめでとうございます!!!
使徒パウロは、主イエスに出会い回心してから、十字架と復活の救いの福音を伝えるために、命をかけての旅を続けてきました。そしていよいよ彼が夢見ていたローマ行きの航海が始まったのです。しかし、パウロ一行を乗せていた船が地中海を進んでいく途中、突然エウラキロンという暴風に襲われ、14日間にわたって船が難破するなど厳しい危機に遭遇します。パウロの表現とすれば、「太陽も星も見えず、ついに助かる望みさえ消え失せようとしていた」(20節)危機に直面していたことが分かります。しかしパウロは、今までの伝道の旅に出かけた際に、経験していた苦難とそのただ中で働いてくださった主イエスの臨在と助けを知っていたため恐れることはありませんでした。とりわけローマに行って伝道する使命をいただいていたため、パウロは動揺することはなかったのです。
 パウロに告げられた天使の言葉です。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』(24節)
 神からのメッセージをいただいたパウロは立ち上がり大胆に語り始めます。「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの約束です。」(2223節)と、同じく船に乗っていた人々を元気づけます。そうです。いつも神の言葉に耳を傾け、御声を聞く人は何も見えない暗闇のただ中であっても、目に見える状況に振り回されることなく、目には見えなくとも確かに存在され、約束されたことは必ず守られる神への信頼の上に立ち続けるのです。
 絶望に堕ちていた人々にとってパウロの言葉は光となり、元気づける命となりました。まさしく新型コロナウイルスという未曾有の暴風に襲われている世界です。人々は太陽の光も、星の光も見えない暗闇に圧倒されている現状です。その時、求められる一言こそ、「元気を出しなさい」という言葉ではないでしょうか。「元気を出しなさい」、この言葉は2千年の歳月を経て、今も同じくキリスト者が世界に向かって語るべき言葉であり、人々が聞くべきメッセージです。
 愛する皆さん、今私たちを襲っている新型コロナウイルス、またこれからやってくるだろういかなる災難も、私たちの信仰を弱めるものとはなりません。また、それらの災難によって私たちの価値や尊厳を損なわれることはないのです。そうです。神の人は暗闇の中で光を見出します。そして、いかなる災難や苦しみのゆえに絶望している人々に光となる希望のメッセージを伝えることができます。2021年、新たな航海を始める神の家族お一人お一人が、それぞれの場にあって「元気づける人、星と輝く人」となりますように…。ハレルヤ!

2021.1.3 小さな泉の恵み

 

~病床から~

ハレルヤ! 主の御名を賛美します。

手術に際して、主のご加護と癒し、閔先生を始めとした兄弟姉妹の皆さんのお祈りに心から感謝しています。ありがとうございます。…

(中略)

おかげさまで私は、入院中に喘息の発作が出たりもしましたが、今、整形的にはドクター、理学療法士の先生方、看護師さん方にも「瀬戸さん、すごく順調ですね。」「もう走り出しそうな勢いですね。」などの言葉を頂いています。

また、オーバーでなく治療、介護、食事全てできめ細かく支えられ、優しさに溢れた恵まれた環境にいる毎日を主に感謝しています。

そして、そのような自分の置かれた環境が恵まれていることを思うたびに、反対にコロナによって、窮地に立たされた多くの方々、世界中で戦争や様々な事情で、寒さや暑さに弱り、飢えている方々がおられることを想い、そのような人々に、特に窮地の中の子供たちの上に主の慰めと癒しがありますように、その口に食物が届きますように、また自分がその手助けができますようにと祈っています。

私は、もうすぐ病院とは180度環境の違う寒い我が家に戻ります。今年の年末年始は、コロナによって夫も子供達も帰らないため、生まれて初めて一人で迎える年末年始になります。でも、どんな環境であっても、いつも主が伴っていてくださるので感謝です。入院生活で身についた信仰への姿勢と規則正しい生活習慣をなくさないように、新しい2021年を歩んでゆけますように!

                  S.Y 姉

           

2021年1月12日火曜日

2020.12.27 牧師室便り

 

~ 火の中を歩くとも、炎を通る時も ~

「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」(イザヤ432

2020年一年間の歩みを守られた父なる神を賛美します。52週あった主日礼拝も休むことなく(時にはインターネット配信による礼拝を献げたこともありましたが)守られ祝福されたことを心から感謝いたします。

ふり返ることもなく、コロナで始まりコロナで締めくくった一年でした。しかも一年が終わろうとする今の状況はさらに厳しくなっています。恐らく来年の状況は今年よりはるかに苛酷になると思われます。マスコミをはじめ世間では、ワクチンが希望の兆しとなってくれることを願っていますが、定かではありません。…今の私たちに求められるのは、ただ恐れ慄くだけでなく、コロナから身と心を守り合うための試みを積極的にまた事細かに行っていくことでしょう。

聖書には「恐れるな、思い悩むな、心配するな」などの言葉が繰り返されています。ある人は「恐れるな」という言葉が聖書に365回使われていると言いましたが、恐らくこれらの言葉を合わせた数ではないかと思われます。そのことを信仰的に解釈して、一年365日、すなわち毎日というふうに受け止め、神の守りは一年365日、一時も神の民を守り助けておられることを伝えているのです。この約束の成就はインマヌエルとして来られたクリスマスなのです。

そうです。私たちの父なる神は、神の子どもたちを愛し、一時も御目を逸らすことなく、見守っておられます。時々、私たちが火の中を歩くような、炎を通るような出来事を前にしますが、私たちが失望しない理由こそ、そのただ中に主イエスが十字架の命をかけて愛をもって共に歩まれ助けられることを信じるからです。新型コロナウイルスも、今あなたが被る様々な試練も、またこれからやってくるだろう問題課題も神の愛から引き離すことはありません。シャローム!

 

2020.12.27 本日の宣教 

  『 苦難の中で答えてくださる主 』       (詩編8657)

  ~試練をくぐった者の告白~   詩:読み人知らず

 私が神さまに求めたのは、勝ちを得るための強さでした。けれども

   私は弱くされました。謙遜に従うことを学ぶために。

  私が求めたのは、もっと大きなことを成し得る健康でした。けれども

    私には病弱が与えられました、もっと善いことをするようにと。

   私が求めたのは、幸福になるための富でした。けれども

     私は貧しさを与えられたのです。智慧を得るようにと。

    私が求めたのは、人びとの称賛を得るための力でした。けれども

      私は弱さを与えられました。神が必要であることを感じるために。

     私が求めたのは、人生を楽しむためのあらゆることでした。けれども

       私には命が与えられたのです。すべてを享受するようにと。

      私が求めたものを私はなにひとつ得られませんでしたがー

        願ったことはすべてかなえられました。

       このような私でありますのに、神は、私の言葉に言い表せぬ祈りに

          応えられました。

           私はすべての人のうち、もっとも多くの祝福を受けている者です。

 

 キリスト者の間でよく知られている詩です。作者の詳しい情報はありませんが、彼が人生のうちに経験した試練の数々がいかに厳しいものであったかを垣間見ることができます。2020年、私たちも新型コロナウイルスという未曾有の災難に遭い、厳しい歩みを一年間続けてきました。恐らく2021年新しい年もこの疫病に振り回されることは確かでしょう。…だからと言って、いつまでも小さくなり、それぞれの洞窟に引きこもってはなりません。なぜならば、私たちにはインマヌエルの主がおられますし、すべては神の御手の中で益に変えられることを信じるからです。神は、私たちの弱さを驚くべき強さに変えられるお方、私たちの父ですから…。今日まであなたと私の歩みを守り、導き、助けてくださった父なる神に賛美をささげましょう。ハレルヤ!

2020.12.27 小さな泉の恵み

 

今年も残すところ僅かになってきました。今年を振り返って、いろんな事で、生活環境が変わった一念だったのではないでしょうか? 一番影響が大きかったのは、コロナの影響で、一時期教会での礼拝をYouTubeで見たりで教会には通えなかった時期もありました。皆さんとの交わりが何よりも楽しみにしている自分にとって、教会での礼拝がないのが辛かったです。

最近では、未だコロナの影響で、教会へは通えるものの、以前のような礼拝が出来ず、二部制になって、自分の気持ちの上で、皆さんと一緒に礼拝が出来ると喜んで今も教会へ通っています。

ですが、あることが、原因で二か月くらい、教会へ行かなかった時期がありました。プライベートで、とある人に対して憤りを感じてしまい自分でも収集がつかなくなったことが原因です。何日か経ってふとしたことで、「神を愛するように、隣人を愛しなさい」(言葉があやふやで申し訳ありません)と何故かその言葉を思い出しました。それと同時に閔先生からの暖かい言葉に私は救われました

何故、神を愛するように隣人を愛しなさいっていう言葉がとっさに出たかはわかりません。

それ以来、ある人に対しての憤りがなくなりました。

長々となりましたが、未だコロナウィルスによる影響が続きますが、イライラすることなく、来年も自分の心が穏やかになれるような一年にしたいと思っております。

皆様にとって、来年は恵み豊かな一年でありますように。

                       Y.H 兄

2020.12.20 牧師室便り

 ~ 大雪を通して思うこと ~

 先週は久しぶりの大雪が続きましたね。ここ2年間、まともな雪かきをしたことがなかったので、雪かきをする充実感と共に体全身に広がる筋肉痛で苦しんだ日々でした(^—^)。富山に来て14回目の冬を迎え、やっぱり北陸の冬は雪がないと何か寂しい気分になるのも正直な思いです。これから何度大雪に見舞われるか分かりませんが、感謝と共に楽しく雪かきを楽しみたいですね。

 とりわけ今年の冬に入ってずっと心がけているのが、「今年は絶対風邪をひかないぞ!」という決心です。なぜならば、風邪をひいてしまうことで、皆さんの感染源になりかねないようなことは牧師として避けなければならないからです。最悪の場合、風邪か、コロナか分からないために、礼拝自体ができなくなる可能性もあるからです。まだまだ、風邪とコロナの明確な区分がすぐできるわけではないため、何よりもまず、風邪をひかない!ということを心がけているわけです。

 ヨーロッパのベルギーのある介護施設で、クリスマスパーティーに参加しサンタクロースの役を演じた利用者の家族の一人の男性が、施設訪問後の検査で新型コロナウイルスに感染していることが判明し、数日後には、施設の75名の人がコロナに感染してしまったというニュースがありました。もちろんその人が感染源であったかどうかは断定できませんが、マスクもせず周りの方々と写真を撮ったりしていたそうです。施設の家族ということもあって、善かれと思って行なった事が最悪の混乱を招くことになってしまったのです。ちょっとした油断がもたらした悲しい出来事でした。

今年のクリスマスは例年とは違った形のクリスマス諸集会を行うことになります。いつものような親密な交わりができないため、少し心は寂しいかもしれませんが、互いの命を守り合うためにはマスク着用、小まめな手洗い、消毒など小さなことにも油断せず、守り合いましょうね。ここにこそ愛があるのです。神の家族の身と心が守られるように…。シャローム!

2020.12.20 本日の宣教

 『 インマヌエルを喜び合う 』  マタイ12325、ルカ13438)

 暗闇の光として来られる主イエス・キリストの恵みと平和がクリスマス礼拝をささげるお一人お一人の上に豊かに注がれるようにお祈りいたします。また、依然として絶望の暗闇に覆われ、苦しい日々を過ごしている世界中の人々の上にもクリスマスの恵みと慰めがありますように祈りましょう。
 さて、私たちが主イエス誕生の物語を繰り返し読み続けると、主イエスの誕生を記しているマタイとルカによる福音書が強調するポイントが少し違うことが分かります。 まず、マタイが描いている降誕物語で強調されている中心的言葉は、「インマヌエル」であります。マタイ123です。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
 この個所は預言者イザヤが主イエスが生まれるほぼ700年前に預言した言葉ですが、マタイはこのインマヌエルの約束がイエス・キリストを通して成就されたと宣言します。福音の核心はこの「インマヌエル」という言葉にしっかりとまとまっていると言えましょう。イエス様が生まれる当時のイスラエル、ローマの植民地として、政治的、経済的抑圧に苦しめられる中で、光を失ってしまっていた人々にとって、「インマヌエル」の約束が成就されたという知らせは、福音の中の福音であったに違いなかったでしょう。しかし今、多くのクリスチャンにとってこの「インマヌエル」という言葉が本当に福音として、神の生きた約束として受け入れられているだろうか。インマヌエル、それは神が私たち弱い人間の生活のただ中に共におられるという神の現存への驚くべき約束であり、味わえる恵みのはずなのに、日々の生活の忙しさや、逆に安楽な生活のゆえに、インマヌエルを感じることも、求めることも必要のないことになっているのかもしれません。しかし、インマヌエルの約束は、今、コロナなど、様々な問題課題のゆえに崖っぷちに立たされている人々にとっては、ただの決まり文句ではなく、真の救いとなり、力となり、慰めとなってくれるのです。
 一方、ルカが強調している中心的言葉は「喜び」です。天使ガブリエルがマリアを最初に訪ねた時、最初に語ったのが、「おめでとう!」という言葉です。これは「喜びなさい」という意味でもあります。マリアがエリザベツを訪ねた時もエリザベツの胎内の子が喜び踊ったとありますし、野原で羊の群れの番をしていた羊飼いたちに現れた天使は恐れていた羊飼いたちを励ましながら、「私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」と語ります。皆さん、なぜ主イエスの誕生が喜びでしょうか。それこそ、メシアである主イエスと共に全く新しい世界、全く新しい救いの歴史が始まるからです。父なる神が昔から語られていたご計画が主イエスを通して成就することになるからです。
 インマヌエルの神、私たちに喜びを与えられる神は、神の御国を待ち望み、神の救いの御業のために献身しようとする人々を通してこの世にやってこられるのです。ヨセフとマリアの驚くべき決断と勇気に対し、神はインマヌエルの恵みを与えられ人知を超えた喜びで応答してくださったことを覚えましょう。この冬、私たちの身と魂を神の救いの業のために献げる中で、インマヌエルの神の現存をいただき、人知を超えた喜びに満たされたいものです。ハレルヤ!

2020.12.20 小さな泉の恵み

 

 この拙文を構想中、ラジオを聞きながら、原稿を書いているとついにコロナ禍の感染者が今迄の最多数であるとのことの放送。
 毎日、毎日、昨年のくれよりの、さわぎあるが、近所の方とも会話は、いつも最初はコロナ禍のことばかり困ったものだと。こうして一年はもう終わろうとしています。
 80代年齢になるといつ神様のお迎えがあってもいいくらいですが、先日町の図書館にいると、後から声をかけられた。相手は私の体格と格好で以前職場で一緒に働いていた仲よしの友であったが、相手がマスクで顔の半分以上が見えないためになかなか名前が思い出せず、困ったものだ。私の方が年齢が上のせいか、私の物忘れの多いのに困ったものだと反省しました。
 今年のクリスマスの祝会もなく、少し淋しい気持ちですが、イエス様の誕生を祝う日だということ、先週の先生の宣教にあったように、神は「独り子を私達に与えて下さったこと」を感謝しながら、来るべき令和3年を迎える心。私は、ひとむかし過ぎ去った様な気持ち。この一年喜び、哀しみの数々を、ふり返って、コロナで明け、コロナでくれる年。
 令和3年は根元に愛の心をもってしっかりと歩み続けたいと思います。
                               A.M 姉

2020.12.13 牧師室便り

 ~ 三密からワンチームを作り上げる ~

 今年の新語・流行語大賞に「3密(三つの密)」が選ばれました。新型コロナウイルスの拡大を防ぐために「密集場所」「密閉空間」「密接場面」を避けましょうと、共通した「密」という文字で始まる三つの言葉を合わせた新語です。恐らく、今後発表される今年の漢字も新型コロナウイルス関係の「禍」になると予想されています。
 確か昨年2019年の流行語大賞は「ONE TEAM~ワンチーム~」が選ばれていたと覚えていますが、考えて見ると「ワンチームと三密」は正反対とも受け取れるような気がします。ワンチームになるためにはまさしく常に親密な関係が求められることに対して、三密回避では密集場所も密接場面も避けて、お互い2m程度離れて過ごさなければならないし、必ずマスクをしてからの関係作りでありますので、ある面、かなり距離のある昨年と今年の流行語であると言えましょう。
 教会共同体からすれば、ワンチームとはまさに聖書的な意味をもつ言葉です。主イエスも繰り返し“一つになりなさい!”と言われていたことを覚えています。クリスマスも父なる神と子なる神、聖霊なる神がワンチームとして成し遂げられた御業でした。そして、三位一体の神に従い、一つとなって御業に加わったヨセフ、マリア、ザカリア、エリザベツ、シメオン、アンナといった忠実だった働き人たちを思い起こします。しかし、ワンチームと三密回避(一人になること)」はかけ離れているように見えますが、聖書的には両方とも大切に求められる信仰者が備えるべき姿勢であることを覚えましょう。なるほど、マリアも、ヨセフも、ザカリアも、エリザベツも、シメオンも、アンナも、神の前に一人でいる時が求められましたし、神の前に一人になる時を用いて神は御心を教え、親しく交わり、御業を成していかれたのです。願わくは、神の家族お一人お一人もただコロナを恐れるのでなく、今こそ神の前に一人になる時であると信じ、コロナ後、ワンチームとして用いられる時を楽しみに待ちたいと思います。シャローム!

2020.12.13 本日の宣教

 『 神は独り子を与えるほど 』(イザヤ9:5~6)

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」(95

 イザヤは苦しみの中にあった神の民らに向け、神からの希望の知らせを伝えます。その知らせこそ「ひとりのみどりごの誕生」の預言でした。「ひとりのみどりご」がわたしたちのために生まれ、またわたしたちに与えられた神からのプレゼントであるというのです。そしてこの預言はヨハネによる福音書316で成就することになります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」・・・神のひとりのみどりごはこの世に来られ、その独り子を信じるすべての人を救い、永遠の命を与えてくださる!という愛と希望の約束がクリスマスに成就されたのです。

暗闇に生きる世の人々は、罪による苦しみや人生の重荷にあえいでいます。サタンの力の下で、絶望の淵に陥っているのです。しかし、ひとりのみどりごの誕生によってすべての鎖は断ち切られ、喜びと平和が臨むという偉大なる逆転のメッセージをイザヤは告げているのです。

まことに神は、苦しみと絶望の中にいる人々のために、ひとりのみどりごを与えてくださいました。イザヤはそのみどりごに示されている神性について、またみどりごがもたらす驚くべき世界について宣言します。「権威が彼の肩にある。その名は、“驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君”と唱えられる。」(5節後半)

この方こそイエス・キリストです。主イエスは神の国を建てられ、民を平和の中に住まわせてくださる。これらすべての偉大な救いの働きを成し遂げられるのは神です。すべては万軍の主の熱意にかかっているのです。

クリスマスのみどりご、赤ちゃんとして来られたイエス・キリストこそ、弱さをもっている人々を抱きしめるためにこの地に来られたこと、彼らの痛みと苦しみをご自分の体で引き受け、偉大な逆転の恵みを与えるために来られたことをぜひ覚えましょう。あなたは弱いですか。あなたの弱さを強さに変えられる主を賛美しましょう。

主イエスを人生の中心に置いて生きる人は、日々、平和と揺るぎない力から来る勝利を経験するでしょう。たとえ、落胆することがあっても、さらに偉大な希望によって立ち上がることになるでしょう。

とりわけ新型コロナウイルスによる暗闇に覆われて一年を過ごしてきた世界中の人々に向けられたクリスマスメッセージは明らかです。今、コロナにかかって恐怖に怯えている人々、また医療現場で命を懸けて苦闘している医療関係者の方々、コロナによって失業し経済的な窮乏に陥っている人々、また人間関係が途切れ一人寂しく死を迎えている人々、また様々な理由で差別を受けている人々などなど、そのような弱さを覚えている方々のただ中に、みどりごはお生まれになり、ご自身をプレゼントとして与え、愛による希望で満たしてくださるのです。ハレルヤ!

2020.12.13 小さな泉の恵み

 

聖書には、私にとって、なかなか納得できない箇所がありますが、“タラントのたとえ”の話も、その一つです。

・・・ある者には5タラント、ある者には2タラント、ある者には1タラントを与えて、旅に出た。5タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに5タラントをもうけた。2タラントの者も同様にして、ほかに2タラントをもうけた。 しかし、1タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。・・・

  預かったお金を増やして返す・・・成功すれば、喜ばれるけれど、失敗したら、どうする?と、ネガティブな思いから抜け出せない私です。だいたい、預かったものを勝手に使うなんて・・・

と、思っている私ですが、ある日の(いつだったか、忘れました)デボーションの中で、神様から、ひとり子を十字架にかけ

たほどに大切なものを私に渡されているのに、土の中に埋めて隠しておくような信仰では、いけないんじゃないかな?って、気づかされました。

いつも、ぶっ飛んだ発想の私ですが、居心地の悪い私の部屋の中にも神様は いらっしゃるのかな・・・?

                         K.I 姉

2020.12.6 牧師室便り

 

~ 今こそ、世界祈祷週間を覚えよう ~          

「世界祈祷週間をロティ・ムーンの中国伝道を支えた米国南部バプテスト女性たちの起こしたロティ・ムーン・クリスマス献金の信仰を受けつぎ、1931年に、女性連合の源である婦人会同盟によって開始され、その後もバプテスト女性たちの中心的活動として継承されてきました。期間は11月の最後の日曜日から12月の最初の日曜日までとし、献金目標額と用途などは総会の決議によって定められます。女性連合はその推進母体であり、各女性会は教会・伝道所の働きの中で祈りと献金を推進し、女性連合が祈りと幻をもって取り組んでいる世界宣教の働きのためにささげます。同時に、日本バプテスト連盟の国内外における伝道活動のためにもささげます。」(女性連合ハンドブックより)

 毎年アドベントに入ると女性会による世界祈祷週間も同時に行われます。しかし、毎年紹介され記念されてはいるけれど、漠然としたイメージしか持たない方が多いのではないでしょうか。そういうことで本日の礼拝では、世界祈祷週間の産みの親であるロティ・ムーンの生涯を簡単に学ぶ時を持ちたいと思います。若い時に神から召命を受け、中国伝道に生涯を献げたロティ・ムーンの物語を通して幼い子どもからお年寄りまでの神の家族に語りかけられる御心に応答する時を過ごしましょう。

 アメリカの安定した生活を捨て、試練を覚悟しての中国伝道へ献身したロティ・ムーンの生涯こそ、天の御国の栄光を捨て、暗闇に覆われていた罪人たちを救うために最も低いところに降り、人間としてお生まれになった神の独り子イエス・キリストの姿に倣う者の姿でしょう。シャローム!

 

2020.12.6 本日の宣教

 『 キリストを食べる恵み 』  ヨハネによる福音書6:5358) 

 アドベントに入って主の晩餐式を執り行うことは素晴らしい恵みです。なぜならば、主イエスはご自身を「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(6:35)と言われましたし、ベツレヘムの飼い葉桶でお生まれになった時から命のパンとしてのご自身を示してくださったからです。私たちがイエス・キリストを信じるということは、「イエス・キリストについての神学や教理を信じる」ということではありません。私たちがイエス・キリストを信じるというのは、「イエス・キリストの肉を食べ、その血を飲むことです。」そうすることによって、私たちはいつも主イエスの内にいることができ、主イエスもいつも私たちの内にいることになるからです。これこそ、神秘です。

すなわち、主イエスを食べるとは、常に主イエスと共に、主イエスを感じ、主イエスと交わりながら生きることを意味します。そして主イエスの御心を日々の生活の中で表すことでもあり、私たちを通して主イエスが現れることでもあるのです。「生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。」(6:57)…ここからもう一歩進んで、私たちがキリスト者になるということは、主イエスの言葉のように、自分自身にとどまらず、自分自身を超えて他者のためのプレゼントになる生活を心がけながら生きることです。

 主の晩餐は、主イエスを信じる共同体が、十字架の上でご自身を裂いてくださったお体なる一つのパンを分かち合うことによって、みんなが主イエスの一つの体になる神秘を教えてくれます。主の晩餐は、あなたと私の差別もありませんし、好きな人も、嫌いな人もありません。みんなが主イエスの体の一部分としての一人一人を認め受け入れるように働きかけられるのです。

知的障害をもつ方々が通っている止揚学園では、主の晩餐式の時になると、生徒のみんなが拍手をしながら、“イエス様、ありがとう!”と、パンと杯を分かち合うことを喜び、感謝の歓声をあげて参与するそうです。愛する神の家族はどのような思いで主の晩餐式に参与しているでしょうか。今日の御言葉は私たちに語りかけています。“あなたはキリストを食べていますか。命のパンはただ一人主イエス・キリストです。主イエスを食べ、暗闇の中で愛と救い、永遠の希望に飢えている人々に出かけて行き、命のパンである主イエスをプレゼントしましょう。”

 この恵み、この喜びが主の晩餐の恵みの時を共に過ごす小泉町教会の神の家族の上に豊かに注がれますように・・・。ハレルヤ!

2020.12.6 小さな泉の恵み

 

「突然の出来事」

新型コロナウィルスにより混乱を極めた2020年が終わろうとしています。        

個人的なことですが、先月健康診断で異常が見つかり、1223日に手術を受けることになりました。突然の告知に頭が真っ白になり、ほどなくして恐怖が襲ってきました。平安を求め詩編を読み進んでいくと、御言葉が力を持って臨んでくださいました。その1部を皆さまに紹介いたします。共に味わって頂ければ幸いです。

主はその聖所、高い天から見渡し 大空から地上に目をそそぎ捕らわれ人の呻きに耳を傾け 死に定められていた人々を 解き放ってくださいました。シオンで主を賛美するために諸国の民はひとつに集められ 主に仕えるために すべての王国は集められます。

わたしの力が道半ばで衰え 生涯が短くされようとしたとき わたしは言った。

「わたしの神よ、生涯の半ばで、わたしを取り去らないでください。あなたの歳月は代々に続くのです。かつてあなたは大地の基を据え、御手をもって天を造られました。それらが滅びることはあるでしょう。しかし、あなたは永らえられます。すべては衣のように朽ち果てます。着る物のようにあなたが取り替えられると すべては替えられてしまいます。しかし、あなたが変わることはありません。あなたの歳月は終わることがありません。」あなたの僕らの末は住むところを得 子孫は御前に固く立てられるでしょう。(詩編1022029

 
 救い主のお誕生を待ちわびるこの季節、主を賛美しつつ心静かに過ごして参りたいと存じます。
                         A.T 姉