2023年10月26日木曜日

2023.10.22 牧師室便り

  ~ みんなで讃美の歌を神に ~

詩編は私たちクリスチャンの魂の書物です。ただ読み過ごしてしまうだけでなく、昼も夜も口ずさみ、黙想すべき書物です。また、黙想だけでなく、歌うべき書物でもあります。一人で歌い、二人で歌い、合唱で歌うべき歌です。どんな状況に置かれていても、父なる神と神の御業を見上げながら歌うべき書物です。また、太鼓をたたきながら、ラッパを吹きながら、ギターを弾きながら歌う歌でもあります。

人の喜怒哀楽、嬉しいときも、泣きながらも、また、成功する時も、失敗するときも、悔しい時も、富んでいるときも、みすぼらしい時も、平和なときも、戦争のときも歌うべき歌です。さらに、人を呪いたい時にも歌える書物です。そして、死を前にしてでも歌うことのできる歌、それが詩編です。

先日、イスラエルとパレスチナ(ハマス)の間に起きた戦争により、世界中の人々が悲しみと憤りを覚えています。特に弱い子どもや女性、老人、病人たちが犠牲にされることを見ることは、耐え難い痛みです。

それでは、パレスチナの地においても讃美の歌声は聞こえるでしょうか。誰が戦争の最中で歌うことができるでしょうか。もちろん、これは大変難しいことかもしれません。しかし、聖書は私たちに「歌いましょう!」と勧めます。

ただし、その歌は喜びの歌ではなく、嘆きの歌、悲しみの歌、呪いの歌を歌うことです。そして、歌を聞かせる対象を神に定め、天を見上げて歌うことを求めます。なぜならば、“神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる(詩編46:22)” お方だからです。

今も戦争に巻き込まれ、苦しんでいる人々のために執り成しつつ、父なる神を避けどころとし、必ず助けてくださる約束を信頼しましょう。神の家族の皆さんが、置かれた状況において讃美の歌声を神に献げることができますように…。シャローム!


2023.10.22 小さな泉の恵み

 私は8月頃から食欲がなく、あまり体調がよくありません。それで、旅行や遠出することもなく、教会は主日礼拝と、楽しい聖書の学びには出席していますが、その他の諸行事は欠席しているのが現状です。ただし、礼拝前の教会学校は、何とか努めさせて頂いております。

もともと、私はいくつかの持病を抱えて、治療を受けておりますが、81歳を過ぎ、夏の疲れもあり、今は体を休め、漢方薬などを飲んで、回復に努めています。それと、心の平安が保てるように、聖霊様の助けを受けながら過ごしています。

 今、世界を見渡すと、各地で起きる戦争や、地震・洪水など終末を思わせるようなことが起っております。私は思います。これは、人間の傲慢や貪欲さが生み出した結果であり、今、神さまはどのようにみておられるのでしょうか。人間が自分の間違いに気付くように、今、神さまは忍耐しておられるのでしょうか。

天地を創造された神さま、どうか一日も早く、世界が平和になりますように導いて下さいと、お祈りします。

                               I.H.兄

2023.10.15 牧師室便り

 ~ 北陸交流会の恵みを振り返る ~

先週の8日から9日までの二日間、新型コロナ以降4年ぶりの北陸交流会が、立山青少年自然の家で開催されました。金沢、福井、富山の三教会から合計28名の方々が集まり、恵まれたひと時を過ごすことができました。すべてを備えられ、守られ、祝福された神を讃美します。  

8日(日)午後3時30分に現地で集合し、小泉町教会の担当で開会礼拝を献げ、その後、レクリエーション、聖書クイズ、ビンゴなどの楽しいひと時を通して三教会の神の家族の交わりを確かめることができました。その後、夕食を美味しくいただいてから、楽しみにしていたキャンプファイヤは雨のため急きょキャンドルサービスに変更されましたが、かえって室内でのキャンドルサービスにおいて、三教会が用意した特別讃美と証しを通じて心温まるひと時を持てたことが感謝でした。何よりも、一人ひとりが灯したロウソクの光の中で、イエス様の十字架の愛と神の家族との深いつながりを感じることができたことは大きな恵みでした。その後、夜遅くまで続いた三教会の皆さんを交えた懇談会は神の家族ならではの交わりのひと時でした。 

二日目の朝、4つのグループに分かれて行われたディボーションタイムでは箴言の言葉を黙想し、御言葉から得た恵みを率直に分かち合う感動がありました。その後、福井教会の平良先生による学びの時間では、福井教会の会堂建築の現状について設計図を確認しながら、会堂建築を通して目指している福井教会のビジョンや平良先生ご夫妻の伝道の歴史について聞くことができ、非常に満たされたひと時でした。これからも北陸三教会が互いに重荷を担い合いつつ、主に喜ばれる教会形成を成し遂げていけますようにと祈りましょう。 

二日間の北陸交流会を振り返りながら、何よりも素晴らしかったのは、小泉町教会の皆さんによる喜びの奉仕と献身的なもてなしでした。願わくは、愛する主が神の家族の尊い働きに報いてくださり、大いに祝福してくださいますように…。シャローム!

 


2023.10.15 本日の宣教

  『サーバント・リーダーシップを武器に』 

                        マタイによる福音書20章25~28節

私たちクリスチャンにとってみると「サーバント・リーダー」、つまり「仕える指導者」という言葉で思い描くのは、イエス・キリストの姿と教えです。イエスは、四つの福音書全てにおいて、サーバントとしてのあり方をこの世にある短い人生を通して、弟子たちに、そして、私たちに教えています。

マタイとマルコによる二つの福音書では、ゼベタイの息子であるヤコブとヨハネの母のイエスへの願いから、共通の内容が描かれています。マタイによる福音書20章25~28節「そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。『あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。』」この言葉は、マルコの福音書では二人の母ではなく、直接2人が願い出ているとしていますが、10章45節に同一の内容が描かれています。

この内容は、イエスが栄光の座、つまり、王座に就くときに、二人のうち一人をイエスの右に、もう一人をイエスの左につかせて欲しいという願いです。王に次ぐ権力の座を得たいという願いです。

マルコ福音書で弟子たちの「誰が一番偉いか」議論の中で、9章35節「イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。『いちばん先になりたいものは、全ての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。』」マタイでは、18章1~5節の「自分を低くして、この子どものようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」と表現されています。

ルカの福音書では、22章24~30節において弟子たちの「誰が一番偉いか」議論の中で、マルコ9章35節と同様に、「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。」とあります。

それぞれイエスがエルサレムに入り十字架につけられるため、捕らえられる前の最後の方の教えです。

ヨハネの福音書では、最後の晩餐の前に「弟子たちの足を洗う」という行為を通して、仕え合うことの重要性を説いています。「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」(ヨハネ13章15節)

権力者が権力を維持するために、世界の平和を崩し、戦争に人々を追いやっている現実が歴史の中でも、そして、現在も起きています。イエスの教えの中で、いかに「仕えること」が重要なのかが分かります。「互いに愛し合うこと」は、「仕えること」そして、「仕え合うこと」によって成しとげられます。

                               島田 茂兄



2023.10.15 小さな泉の恵み

 ~家庭での信仰生活~

小泉町教会に通うようになって、来月で丸7年になります。いつか、洗礼を受けたいと思いながら、家族の理解などが充分得られずに今日に至っています。ただ、お祈りを時々して心を落ち着かせたり、リビングライフを黙想して、み言葉をいただいたりする習慣は身についてきました。

聖書を勉強してから、本当に良かったと思えるのは、やはり、神様のご計画に導かれて今があると思えることです。

いろいろな困難が次々と起こり、本当に辛いなと思うこともありますが、すべてを益に変えてくださる神様の存在に支えられて生きていると実感しています。

7月には3週間ほどS病院に入院していましたが、入院の荷物の中に聖書とリビングライフを入れていき、有り余る時間を無駄にせずにすみました。

有り難い事に、入院したことで、体調も少し落ち着きました。もしかすると、聖書を勉強する時間を充分持てたことが心の安定に大きな働きを持ったのかもしれません。

退院後は、礼拝に参加できる事も有り難い事と思えるようになったし、小泉町教会の信徒の方々の優しさも貴重なものと思っています。家族を説得するのにまだ時間がかかるかもしれないけど、いつか、クリスチャンとして神様の前に出ていける日が来ることを切に願っています。  

                                  S.N.姉


2023年10月11日水曜日

2023.10.8 牧師室便り

  ~花壇改造計画 ~

礼拝堂と牧師館の間の駐車場の方の花壇には竜の髭(ひげ)を育ててきました。将来的には芝生のように花壇を竜の髭いっぱいにして子どもたちを遊ばせようと計画していたからです。しかし、いつの間にか望んでいた竜の髭よりも、芝生に似た強力な雑草がどんどん伸びてきて、竜の髭が食われてしまうような状況になりました。本当に雑草の伸びは凄まじいものです。このままにして置くと最初の計画は失敗に終わることが目に見えていたので、全面的な花壇改造に取り掛かることを決めました。

 もともと砂利を敷いていた地だったので、竜の髭は無理だったのかもしれませんね。そういうことで、どこに種を蒔いても力強く成長し花を咲かせるマリーゴールドのような花や野菜を中心に新しく作っていこうと思っています。12月からは雪が積もることになるので、その前に、まず雑草を完全に駆除し、今年のうちに土地を整えることを完了できればと計画しています。そうすれば、来年の春になったら、今までとは全く変わった花壇の風景を見ることになるでしょう。楽しみです。

 雑草の伸びとしつこさに悩まされた後、全面的な改造に取り組もうとする中で、主イエスが言われた「良い土地」を得るために農夫が注いだ汗と涙のことを思いました。私たちの信仰生活においても、神の計画とは裏腹に雑草が広がり、石が転がるような土地であったら、綺麗な花を咲かせることも、良き実を結ぶこともできないことでしょう。

 神の家族の皆さんも、ぜひ来年の花壇を楽しみにまちながら、力を注いでくださいね。もちろん、お一人おひとりの心と信仰も大改造を行い、主イエスが計画しておられる良き土地を備えることができるように…。シャローム! 



2023.10.8 本日の宣教

   『 神の御心に調律する 』          

                 ヨハネによる福音書15章7~10節

詩編150編は「息あるものはこぞって主を賛美せよ」という有名な言葉で親しまれている箇所ですが、この詩編を黙想しながら、一つ気づいたことがあります。それは、この詩編にはたくさんの楽器が登場しているけれども、それぞれの楽器を単に演奏するだけで、それが賛美になるのか、という疑問でした。たとえ立派な楽器の専門家たちが、それぞれの楽器を巧みに演奏するとしても、基準音に調律されなければ、その演奏はもはや失敗することが決まっていると言えましょう。

神様と私たち神の子どもたちとの関係においても、なくてはならない大切なことが神の御心に合わせて調律することであることをぜひ覚えてください。そして、クリスチャンにとって神に対して調律する道具となるものが祈りであることを心に刻む必要があります。昔から祈りはクリスチャンの呼吸と言われてきました。私たちは呼吸をしなければ、一時も生きることができないように、祈らなければ私たちは神の子どもとしての神が望まれる生活ができなくなると聖書は教えています。

この世における神の子どもとしての生活は常に誘惑に遭い、様々な生活の問題の中で失敗してしまうことが多々あります。その中で、私たちは祈りを通して神の御心を探し、その御心に自分自身の心と生活を調律していく行為こそ祈りなのです。その通り、私たちの祈りは、神の基準音、すなわち、神の御心に、自分の音を合わせることを目的としていることを覚えてください。だから私たちは、毎日、何度でも、私という楽器が神様の御心を演奏するにふさわしいかどうかを尋ね、神の御心に調律するため祈りの座に進まなければならないのです。

 そして、私たちの祈りが神の御心に調律されたと思った時に、神が私たちの祈りに応えてくださるという確信を抱くことになるのです。このことについて描いている聖書箇所が本日与えられている御言葉です。ヨハネ15:7です。

「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」

 そうです。私たちの祈りが本当にこたえられるためには、まず「主イエスにつながること、御言葉が私たちの内にいつもあるように備えること」を前提としなければならないのです。皆さん、御言葉こそイエス・キリストです。すなわち、「御言葉なる主イエスをいつも私たちの内に迎え入れ、その方とつながっているのであれば」というわけです。そして、これこそが、「祈りによる調律」と言えるのです。

だから、「イエス様は私の祈りに応えてくださらない!」と嘆く前に、私たちが神の御心につながっているのか、主イエスに調律され、御心と一致した心を持って歩んでいるのかを心にとめつつ、絶えず、神の御心に調律し、その方との一致を成していく、その人こそ幸いな人なのです。

ハレルヤ!



2023.10.8 小さな泉の恵み

 ~おとな聖書~

「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された。」を読んでの感想。

神様は私たち人間を愛しておられます。私は人の悪口を言ったり、自分が正しいと思い、人を傷つけることを言ったりして、言葉で罪を犯してしまいます。後で反省しますが、言ったことは取返しができません。こんな私を神様は罪があるまま今日まで見守ってくださっています。

そして、福音を他の人にも伝えることを望んでおられます。神様は人が悔い改め、イエスキリストを信じるように、忍耐して待っておられます。

神様の独り子であるイエス様を人の救いのために十字架につけてまで愛してくださっています。また、私に傷つける言葉を言う人もいますが、イエス様のように愛することをだと思います。

『神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネの福音書3:16)』

                                 M.T.姉

2023年10月3日火曜日

2023.10.1 牧師室便り

  ~ チヂミカフェ(シムト) ~ 

10月から月1度、新しく始まる伝道プログラムとして「チヂミカフェ(シムト:憩いの場)」を始めようとしています。チヂミは最近、スーパーやコンビニでよく見かける韓国の料理の一つとして広く知られています。韓国料理や文化、ハングルに興味をもっている町内の方々や教会員の知り合いの方を招待し、チヂミとお茶を楽しみながらくつろげる場を提供するという思いから、この伝道プログラムが始まりました。なかなか教会の中まで入る機械がなかった人々に対して、開かれた教会としての新たなイメージを与えることができればと願っています。

そのため、先週の昼食では、チヂミカフェで提供するチヂミを直接焼いて、教会の皆さんと共に分かち合うひと時を過ごしました。もちろん昼食の雰囲気とはかなり異なると思いますが、神の家族の皆さんも楽しみながらこれからのチヂミカフェに興味と期待を抱いてくれたと思います。ぜひ、お祈りくださいね。

いつも語っていることですが、教会で行うすべての行事の目的こそ、伝道のためであるということを確かめつつ、今後行われるチャペルコンサートやクリスマス諸集会のために祈りつつ備えていきましょう。

 “折が良くても悪くても”という聖書の言葉でなくても、愛する人に、救い主の愛と永遠の命という福音の良い知らせを語り続ける神の家族お一人おひとりでありますように、そのためにも、普段小泉町教会で行われる礼拝をはじめ、すべての諸集会、交わり、奉仕が喜びと楽しさに満ち溢れるようにする中で、初めて礼拝堂に入る人々の心に感動を届けることができますように…。シャローム!



2023.10.1 本日の宣教

  『確信と忍耐 』 

                ヘブライ人への手紙10章32~39節

初代教会当時、多くのユダヤ人キリスト者は、再臨の遅延、ローマ帝国による迫害、さらにユダヤ教との葛藤によって、信仰の危機の中に立たされていました。とりわけ信仰の弱いユダヤ人信徒たちは背教の危険にさらされていたわけです。そこでヘブライ人への手紙の著者は、彼らを励まし、揺るぎない信仰のために手紙を書きました。

著者はまず、「あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください。(32節)」と勧めます。ここで「光」とは、福音と、福音を通して受けた救いの恵みを指します。もともと私たちは、暗闇の力である罪と死の下にいた者でした。そのような私たちに福音が伝えられ、救いの光が照らされたのです。神が光となって私たちのところに来られ、私たちは罪と死の力から解放され自由になり、神の子となる特権を受けたのです。ところが、光の子として生きることは決して簡単でやさしいことではありません。サタンは、神の民を絶えず攻め込もうとし、耐えられないほどの迫害を加えるのです。著者は当時受取人たちが被った試練について、「あざけられ、苦しめられて、見せ物にされ、捕らえられ、財産を奪われてしまった(33~34)」と描いています。

それでは、これらの患難や迫害を喜んで耐え忍ぶことができた理由はどこにあったでしょうか。それこそ、「自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っている。・・・だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。(34~35)」からでした。

そうです。天に希望を置く人は、世の迫害と患難を恐れず、神が与えてくださる「確信」によってこの世を生きていきます。そして、キリスト者が信仰と確信を捨てることなく、その約束のものを手に入れるために「忍耐」が必要だと教えます(36節)。この「確信と忍耐」がなかったために当時のヘブライ人信徒たちが動揺し、背教の危機にさらされるようになったのです。

そこで著者は、「正しい者は信仰によって生きる」というハバクク書2:3~4の御言葉を用いることで、ヘブライ人の信徒たちを励まします。預言者ハバククは、敵が押し寄せてきて、持っているものをすべて奪われることがあっても、確信と忍耐をもつことで勝利することができると宣言しています。 このハバククの言葉は、キリスト者の信仰を説明し宣言する核心個所です。後にルターがこの御言葉に立って宗教改革を行うことができたことを覚えましょう。

主イエスは、どんな状況にあっても信仰に立って前進する者を喜ばれます。信仰は、苦難の中でも屈することなく、天の御国を見上げながら希望へと前進させます。神は信仰によって打ち勝った者に、大きな報いを与えると約束されました。その報いを受ける日が近づいていることを仰ぎ見ながら歩んでいきましょう。ハレルヤ!




                      

2023.10.1 小さな泉の恵み

 ある日の朝、妻との会話。「天国では、妻の尻に敷かれた夫とそうではない夫では入口が違うそうだよ。妻の尻に敷かれた夫の入口は長蛇の列だけど、そうではない夫の入口には誰も入る者がいない。そんな中、一人の男がその入口に入ろうとしたので「これは妻の尻に敷かれていなかった夫の入口ですよ。大丈夫ですか?」と天使が尋ねるとね、「いいえ。妻がこちらへ行けと言うのです。」結局、誰も妻に逆らえる人はいなかったんだね。まぁ、これは冗談だけど、本当の天国の話を閔先生から聞いてみない?」と教会に誘いました。「面白そうだけど、今日は用事が有るので、また今度ね。(妻)」と断られました。これが逆に妻が信徒で私が未信者だったなら、私はその日の内に教会を訪ねているでしょう。「妻にこちらへ行けと言われました。」と言って。

「その昔、神に望みを託した聖なる婦人たちも、このように装って自分の夫に従いました。たとえばサラは、アブラハムを主人と呼んで、彼に服従しました。あなたがたも、善を行い、また何事も恐れないなら、サラの娘となるのです。(ぺトロの手紙第一3:5~6)」

                                 S.Y.兄