2023年6月27日火曜日

2023.6.25 牧師室便り

~ AIに勝てるか ~

皆さんは“チャット(Chat)GPT”という言葉を聞いたことがありますか。これは、高度なAI技術によって、人間のように自然な会話ができるAIチャットサービスのことです。何か知りたい言葉や考え、質問に対して、まるで人間のように自然な対話形式でAIが瞬時に答えてくれます。いかに難しい質問に対しても的確な言葉や内容で答えてくれるので恐怖さえ感じてしまいます。
 今から40年ほど前に映画化され、世界を驚かせた「ターミネーター」を覚えているでしょうか。まさにロボットが人間を支配する時代を描いていた架空の映画の話が現実となって目の前に来たような恐怖…。チャットGPTもそのうちの一つであると言えます。
 数年前話題になっていたAIとの囲碁大会、将棋大会などで、最初は人間がAIに勝てたけれど、現在は戦う度に膨大なデータを蓄え、ますます強力になってきたAIに対して、全く勝ち目がなくなってしまいましたし、すでに人間からAIに代替されてしまった職業も多く現れている現実です。
それでは、AIがキリスト教会にはどのような影響をもたらすことになるでしょうか。…
本日から来週まで「神学校週間」です。日本バプテスト連盟に属する神学校は、「西南大学神学部、東京バプテスト神学校、九州バプテスト神学校」と三つありますが、各神学校に入学する新入生の数が毎年一名、二名と、大変厳しくなっており、それに加え現職の牧師も年々高齢となってきて無牧師の教会も増える一方です。
このままだと、遠くない未来にはAIが語るメッセージを聞く教会も現れるかもしれません。…願わくは、日本全国の諸教会から福音伝道のための献身者が多く起こされますように、そして起こされた一人一人の献身者を神学校が福音の命と感動によって育てることができますようにと執り成し祈りつつ支えていきましょう。シャローム!

2023.6.25 本日の宣教

『 統一教会から救われて3 』 ~偽りの霊を滅ぼす光~

                                                ヨハネの手紙一 4章1節~6節              閔先生からお借りしたキリスト教新聞社刊「脱会~今こそ知っておくべき統一協会の実像~」 を読んで、私自信の体験と照らし合わせて示されたことをお話いたします。

本の著者は神保タミ子さん。50代の普通の主婦でクリスチャンの方です。1995年の4月、同じ教会に通う佐藤さん(仮名)から統一協会員であるという告白を受けます。この方も50代の普通の主婦です。それから彼女を統一協会から救い、脱会へと導くという実話に基づいた内容です。

始めに「どのような人がカルトに入るのか?」という問いが投げ掛けられます。著者は特に何かカルトに引っ掛かり易い特徴や性質というものは無く、誰でも誘い込まれる可能性があると言います。何故なら彼らは自分たちの本性を隠して、哲学や世界平和、社会問題などの研究会のように装って勧誘する場合が多いからです。彼らは柔和で真面目そうな人物で、善意から誘ってきます。その集団(カルト)が偽りの霊からのものであると本人たちも気付いていないのです。著者は佐藤さんが統一協会員だという理由でキリスト教会から除名になるということを聞いて初めて彼女が統一協会員であることを知ります。普通は自らを統一協会員であると告げることがないので極めて希なケースと言えるかもしれません。誰かが統一協会員となり家族や知人がそれを知った時、大きな誤解が生じると著者は言います。悪名高い集団から脱会させようと説得すれば分かってくれると思うことです。しかし、協会員自身は自らやっていることを善意と思ってしていることと又反対されればされるほどあちら側の上司(アベル)に報告して、かえって深くのめり込むようになるのです。そのように指示、洗脳されています。著者は信者である佐藤さんに知られること無く自分の夫に協力を求め、関連文献を読み、統一協会に詳しい牧師に相談するなどして徹底的に統一協会のことを調べます。この点は私の母親も同じでした。全ての判断をアベルに委ね指示に従うという組織の構造上、統一協会の間違いを本人に気付かせるまでは、統一協会側と連絡をとれない状態を保つことが必要で、極めて困難と言わざるを得ません。しかし、一旦そのような条件が揃うと時間の多寡はあっても異端の教えは、いとも脆く崩れ去ります。「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネによる福音書1:5)」私の場合も京都のアパートの一室に京都聖徒教会の船田牧師が毎日来られて聖書を語って頂く内にどちらが正しいのか分かってきました。聖書の光に照らされて統一協会の原理が光を失っていくのがわかりました。ヨハネによる福音書の1章に御子が光であると証されてあります。

今、統一協会に入信していた時を思い出すと「聖霊のお働き」について語られた聖句を読んだ記憶が有りません。聖霊の働き無しにキリスト教会は存在し得ません。統一協会では信者個人の頑張りを強調します。信者の百パーセントの努力が救い全体の五パーセントにあたると。自分や家族の財産を全て差し出して家庭崩壊をもたらした事例が幾つも報告されています。正に悪魔の所業です。

著者は本書の最後に元信者に統一協会の悪事を言い表し共にカルトの根を断つ働きをするように強く求めています。二世信者の問題が浮き彫りとなり、深刻化が増す今こそ立ち上がるようにとの神様からの諭しと導きを示されています。

                              坂上幸男


2023.6.25 小さな泉の恵み

 4月に息子がO中学校に入学しました。通い始めた頃は、友達は出来るのか、日本の中学校でやっていけるのか、入ったばかりで慣れないのに宿泊学習があるけど大丈夫なのか等、色んなことが心配でした。息子も同じように不安だったようで、中学校に入ってから、毎朝毎晩いっしょに祈るようになりました。朝は、時々聖書も開いて御言葉から励ましています。

祈りを通して神様はたくさんの祝福を与えてくださいました。息子は気の合う友達が何人か出来て、学校生活のリズムも掴めて元気に通っています。能登での宿泊学習も楽しかったようで成功体験になりました。

子供と喧嘩をしても、疲れて祈りたくない時も、毎日いっしょにお祈りすることで私自身の信仰が守られているのを感じます。子供といっしょにお祈り出来ることも当たり前じゃないし喜びに感じます。私が一番子供に願うことは、神様との関係を持ってクリスチャンとして人生を歩むこと!毎週末は実家に行ってしまうので教会にはまだ来れていないのですが、そのことも神に委ね祈りたいと思います。

『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。 そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。』(マタイ福音書6章7~8節)

                            R.M.姉


2023年6月18日日曜日

2023.6.18 牧師室便り

    ~ 毎日、愛の奇跡を体験しましょう ~

先週の礼拝後、実話をもとにして作られた「天国からの奇跡」という映画を10名の方と共に鑑賞しました。映画からは“難病で苦しむ主人公の女の子とその子の純粋な信仰、わが子を救うために必死で戦うお母さんの愛、偶然に出会う人々の親切、奇跡に対する人々の反応、執り成しの力、天国の確かさ、証しによる恵み”など、様々なことについて感じることができました。観賞会の途中に涙する方も何人もいましたね。  

映画鑑賞が終わってから一人ひとりに感想を聞いたところ、それぞれ受けた恵みと感動のポイントも違っていて、とても豊かな交わりの時となり、一つの映画が持つ力を何度も感じることができました。

その中でも、映画の最後の部分のお母さんの礼拝での証しの中で、“奇跡とはどこにでもある、奇跡は毎日の出会い中での優しさだ、奇跡とは愛だ、奇跡は神ご自身だ、神は奇跡を通していつもそばにおられるのだ”という言葉を語ります。まさしく奇跡を体験した人だけが言える証しでしたね。

とりわけ私に心に残った場面とすれば、お母さんが、女の子が事故に巻き込まれた時、主の祈りをもって神に助けを切に求め始める。そのお母さんの祈りに、周りのクリスチャンたちが共に手をつなぎ執り成す場面が続く。…生きておられる神は確かに彼らの執り成しの祈りを聞いておられたことでしょう。その後、女の子は天国を体験し、完全な癒しを体験することになります。

いつも共におられる愛なる神は、小泉町教会の神の家族にも奇跡をプレゼントしようと備えておられます。私たちに求められる姿こそ、生きて働かれる神を信頼し、愛する者たちの救いのために執り成し祈ることでしょう。奇跡は遠くにあるものではありません。私たちの最も近く、切に祈り求める人々と共にあるのです。シャローム!


 



2023.6.18 本日の宣教

 『 忍耐しておられる父 』 (ペトロの手紙二  3章8~9節)

私たちの神は時間の主人です。私たちの時間の中には神の品性と神のご計画が隠されています。時間の内に隠されて いる神の品性とご計画は、私たちの人生において恵みとして現れ、または、チャンスとしてやってくるのです。

本日の御言葉の中で、使徒ペトロは偽教師たちの教えに気をつけるようにと勧めます。当時の教会は、主イエスが約束された再臨の日を待ち望みながら、地の果てと言われていた地域まで行って、熱心に伝道していました。ところが、しばらく待っていても主イエスの再臨が訪れない、かえって主イエスの証人たちの多くが亡くなっているような状況に置かれていました。 そこに、偽教師たちが教会に潜り込んで来ては、「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。…天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。主イエスの再臨などないのだ」という、間違った教えを広めていたのです。ペトロは偽教師たちについて、「終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者(3:3)」と紹介します。

そこでペトロは、「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようで、ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。(3:8)」と告げます。すなわち、神の時間の概念からすると、決して再臨が遅れているわけではなく、再臨の約束は必ず成就されると、断言しているのです。さらにペトロは、再臨が遅れているように思えるのは、神が別の目的をもっているからだと教えます。その目的こそ、「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられる(3:9)。」ためでした。

その通り、神と人間の時間の概念は異なります。その日が遅れているのではなく、神が忍耐深く待っておられ、裁きの日を延期しておられるということなのです。従って、主の日がまだ来ていないことは、神の恵みのほかに説明する言葉はありません。 私たちの神は忍耐深くあられ、一人でも滅びることがなく、悔い改めることを望んでおられます。これこそ、教会の存在理由であり、働きの内容となります。さらにペトロは、私たちに忘れてはならない真実を伝えます。「主の日は、まるで盗人がやって来るように、突然やってくる(3:10)」ということを。だから、再臨を確信して待つキリスト者は、父なる神が、一人も滅びないで、皆が悔い改めるようにと、忍耐しておられることを心に刻みつつ、時がある度に救いの福音を宣べ伝えなければならないのです。

すなわち、主の忍耐こそ私たちの救いであり、主の忍耐深さこそ救いのチャンスとなります。今現在も終わりが来てないのは、主が忍耐深さをもって罪人たちの悔い改めを待ち望んでおられることを証ししているのです。しかし私たちが忘れてはならない大切な真実こそ、やがて父なる神の忍耐も終わりを告げる時が訪れるということでしょう。

神の家族の皆さん、父なる神が忍耐してくださらなかったら、私たちは生まれることもなかっただろうし、とっくの昔に地球は 滅びてしまったはずです。今あなたが生かされているのは、神の忍耐の実であり、救い、恵みにほかなりません。ハレルヤ!


2023.6.18 小さな泉の恵み

 早いもので、単身赴任生活も今年の7月で8年になります。その節は小泉町教会の皆様に熱い祈りの中で見送って頂きました事を深く感謝申し上げます。

 家族と離れ、子供達の日々の成長を見守れなかった悔しさは、なかなか自分の心の中で消化することができずにいましたが、神様が私に与えたもうた試練と受け止め、必死に生きてきた8年間でした。最初の2年半は福岡営業所に赴任となり、九州7県と沖縄を担当し、それなりに仕事が軌道に乗せることができるようになった矢先に大阪本社のメンテナンス部門に異動を命じられ大阪に引っ越しをしました。

 ここからが自分自身の弱さ、不甲斐無さを思い知らされる5年間となりました。日々の仕事をこなすことができず、出張先でのホテルでの夜間残業、土日を返上しての仕事の遅れを挽回する日々が続く中、精神に異常を感じるようになりました。

 どうしようもない虚無感、自己嫌悪、自己憐憫に陥り、唯々がむしゃらに神さまに祈る日々となりました。リビングライフを通じて聖書を毎日読むにせよ葛藤が生じる日も多く、大阪の教会へ通うも、毎週決まりきった説教を聞き、5年間も毎週毎週通った教会の信者の方々とも親密になることもできませんでした。

しかしながら、そんな中でも神様は私に何かを教えようとされているように感じるようになりました。労苦を乗り越え、孤独を克服し「弱さこそが強さ」という神様からの恵みを覚えながらこれからの余生を生きていきます。

最近はとても元気でロードバイク(競技用の自転車)にハマっており、休日には多い日は一日に100㎞も走ることがあります。

すると主は「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さに中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。 ~第二コリント12:9~

                                 T.K. 兄

2023.6.11 牧師室便り

  ~ 街に出かけて叫ぶ ~

 先週は、伝道執事の坂上兄の提案で3年半ぶりに路傍伝道に出かけました。コロナの影響はもちろん、昨年に起きた統一協会問題も伝道活動を委縮させる要因となりました。しかし、いつまでもコロナや周囲の視線を気にしていると教会としての存在理由を失うことになり、また、主イエスからの至上命令を果たすこともできなくなります。

 私は先週の路傍伝道の後、主イエスが譬えられた物語が浮かんできました。「ある人が、盛大な宴会を催し、大勢の人を招きました。ところが、招かれた人の内のある人は、『畑を買ったので、見に行かねばならない』、他の人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところだ。』と、また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができない』と次々と断られてしまいます。そのことに怒った主人は、僕に次のように命じます。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』…『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。』(ルカ14:21、23)と。

 路傍伝道にはいくつかの勇気が必要です。まず、街に出かける勇気です。次に、拒まれることを恐れずチラシを配る勇気です。また、ただチラシだけを配るのではなく、通りすがる人々に声をかける勇気です。最後に、結果に対して失望しない勇気です。

 これから時間が許されればいつでも街に出かけようと計画しています。神の家族のうちに、一度も路傍伝道を体験していない方は、ぜひチャレンジして見てはいかがでしょうか。きっと皆さんの信仰生活に新鮮な感動、新たな体験を与えてくれるでしょう。

 「無理にでも人々を連れてきなさい」という主イエスの言葉の意味を黙想しつつ、街に出かけていきましょう。

シャローム!!




2023.6.11 本日の宣教

 『変えられる聖霊 ②』 ~ 神殿と体~(コリントの信徒への手紙一  12章12~13、27節)

本日はペンテコステ後2週目の礼拝です。教会の誕生日と言われる「ペンテコステ」の聖霊が120名のイエス様の弟子たちの群れの上に臨まれたことで最初の教会共同体が誕生したのです。主イエスを中心に、ただ主イエスに頼り従って共同生活をしていた弟子たちでしたが、聖霊を受けてからは、主イエスは見えなくても、聖霊の知恵と助けをいただきつつ、共同体の一致とそれぞれがもっている賜物を用いてキリストの体なる健康な教会共同体を形成していくことができました。

それでは、そもそも主イエスはなぜ教会を立てられたでしょうか。主イエスは公生涯を通して最も大切にされたことが弟子たち育てることでした。その後、主イエスは12弟子を任命し、彼らに神の国の福音を伝える使命を与えられました。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネ15:5)」…

御言葉通り、使徒たちは主イエスの教えを引き継ぎ、初代の教会共同体を形成しました。彼らは主イエスの教え通り、主イエスを頭として互いにつながっているキリストの体としての教会を建て、健康な信仰共同体を形成していったわけです。

今礼拝に集っているお一人おひとりは、各自が人生のどこかで主イエスに出会い、主イエスと共に生きるように招かれ、さらに主イエスの導きの中で小泉町教会という共同体の一員となりました。聖書は一人ひとりのキリスト者は「聖霊の宿られる神殿」であり、教会共同体は「聖霊によってつながるキリストの体」であると教えます。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。(コリント12:27)」

本日の御言葉を通してパウロは、私たちが聖霊の働きと助けによって、主イエスの体を成していると教えます。各自がキリストの体の各部分となり、一人ひとりが固有の役割と働きを担うことになるのです。それは具体的に牧師であるとか執事であるとか、リーダーであるとかということよりも、「あなたがあなたである」という、あなたにしかできない働き、あなたしか担うことができない役割があるということです。そのように互いに固有の役割を担い、一人ひとりが聖霊によって有機的につながることによってキリストの体なる教会は健康な共同体として成長し、主イエスが望まれた教会の目的を果たすことになるのです。

また使徒パウロは、「あなたがたは、神の神殿であり、神の霊があなたがたの内に住んでいる。(コリント一 3:16)」と述べています。この教えは、キリストの体の各部分となる信徒たちが、聖霊によって神の存在を体験し、神の栄光を現実の中で表す場として教会が存在していることを示しています。すなわち、キリストの体としての教会は、キリストの神殿である信徒たちが、主に喜ばれる礼拝を献げるために一つの共同体として集められ、神の国の福音を携えて世界に出かけていく働きが求められているのです。あなたは聖霊の神殿としての、またキリストの体としてのアイデンティティーをもって生きていますか。すべてを変えられる聖霊を期待し、礼拝によって一つとしてくださる聖霊の力に満たされましょう。ハレルヤ!


2023.6.11 小さな泉の恵み

 主の御名を賛美します。

6月の梅雨に入りましたね。

アジサイの花が雨に濡れて咲いている風景が、私は大好きです。6月は私の誕生日(6月24日)私のバプテスマ記念日(6月8日)、そして夫の召天日(6月18日)と喜びと悲しみが有った月です。

私は足の膝が痛み、正常に歩くことができない今日この頃です。整形外科での診断では、膝の軟骨がすり減っていて、まだ手術するほどでもないので、しばらくは痛み止めと薬とシップで治えるとの事です。

痛みをとりさって下さいと祈りながら、何て自分勝手なのだろう、私よりもっと大変な病気と戦っている人もたくさんいるだろうにと思って、そんな方々の助けと励ましを祈ることですよね。また、全国各地で雨による被害が出ています。そんな人たちのことが心配ですが、自分ではどうする事も出来ません。神様に助けと励ましを願い祈ることですよね。

私の大好きな御言葉「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」マタイによる福音書11章28節    

                         N.Z.姉

2023年6月6日火曜日

2023.6.4 牧師室便り

  ~ あなたを思う度に ~

 先週は、神の家族の祈りに支えられて宮田祐亮師の山形キリスト教会の牧師就任式に行ってきました。片道7時間という長い道のりでしたが、初めての山形ということもあり、愛する宮田師ご一家を祝福するための旅だったのでワクワクしながらの旅でした。周りからは「今年の日本酒ランキング」の一位が山形だから一杯飲んでみてくださいね。」という声をいただきましたが、日本酒を飲まない自分としては残念でした。

 今回の旅の中で何より嬉しかったのは、山形教会の信徒たちの宮田師とご一家への愛情が満ち満ちていたということでした。山形に赴任してちょうど一年が経ちましたが、コロナ下の時期であったため、普段のように人を招いて就任式を行うことは難しかったので、しばらく見合わせるしかありませんでした。しかし、やむを得ず、就任式を見合わせていたこの一年間を通して、宮田師とご家族の姿に触れられて真心からの喜びと愛に満ちるようになるという、かえってこの一年が益に働いたような気がしましたね。まさしく「神のなさることはすべて時に適って美しい」…

考えて見ると、今まで山形という地域は何の関わりや意味も持たない町でしたが、宮田家を通して意味ある地域に変わりました。これからは「山形」という声をテレビから聞く度に注目して見ることになるでしょうね。

私をはじめ、小泉町教会の神の家族は、最初に生まれた献身者である宮田師とご一家を思い起こす度に、感謝と喜びで満ちることになるでしょう。また、宮田師ご一家が、ますます神の御心に適い、神に喜ばれる業を成していけるようにと執り成し続けることになるでしょう。

願わくは、山形教会と母教会である小泉町教会の両教会が、聖霊の生きた働きに満ち溢れ、主に喜ばれる生きた教会となるように…。シャローム!




2023.6.4 本日の宣教

 『 変えられる聖霊 ①』   (ローマによる福音書8章14~17節)

先週はペンテコステ礼拝でした。聖霊が教会とキリスト者の上に臨まれたことによって、教会が誕生し、神の新しい創造の業が始まったのです。真に、この日がなかったら、初代教会の誕生も、私たちの救いもなかったはずです。特に、聖霊は今も生きて働かれるお方、私たちを日々導かれ、交わってくださり、助けてくださるお方であるので、聖霊を除いては、私たちのすべては成り立ちませんし、将来へのビジョンを抱くこともできなくなるのです。そういうことで、本日私たちは、常に生きて導かれ、また、すべてを新しく変えられる聖霊との交わりについて、分かち合いたいと思います。

聖書に登場する聖霊の最初の記事は、「神の霊が水の面を動いていた。(創世記1:2)」とあり、天地創造を成し遂げられたこと、その中でも、「命の息」として最初の人間アダムを生きる者とされたのも、聖霊の業であることが記されています(創世記2:7)。

聖霊が登場される聖書箇所を見ると、多くの場面で聖霊は汚れているものを聖め、弱いものを強められています。死んでいるものを蘇らせ、個人や共同体を新しくされることが描かれています。とりわけ聖霊降臨の圧倒的な力によって、初代教会が誕生したこと、その結果、恐れと不安に捕らわれていたペトロをはじめ弟子たちが、死をも恐れない伝道者に変えられ、彼らを通して爆発的な成長を成し遂げる初代教会の力など、すべてが聖霊の臨在と助けのもとで、成し遂げられたわけです。

本日の聖書の御言葉で、使徒パウロは「神の霊なる聖霊はキリスト者の内に宿っておられる方で、聖霊によって導かれる者は皆、神の子」であると教えます。新約聖書の中で、聖霊とキリスト者との関係を最もよく説明してくれるイメージこそ、「聖霊が宿られる神殿」であると言えましょう。すなわち、聖霊はいつもキリスト者の内に宿られ、親密な関係を結ぶことを望んでおられるのです。ですから、聖霊の神殿である私たちは、常に聖霊を意識しつつ、聖霊の御心を尋ね求め、御心が何であるか、何が聖霊の喜びであり、何が良いことで、神の栄光となるのかを考えつつ歩むことが大切です。

そこでパウロは、聖霊が宿っているキリスト者について、「神の子」という特権をもっているのだと宣言します。さらに聖霊は、キリスト者に父なる神に対して「アッバ、父よ」と呼ぶようにしてくださいます。だから「聖霊」は、人が作った虚像でも、妄想でも、作り話でもありません。その方は、絶えず命をもたらし、今も生きてあなたを助け、励まし、愛の呻きをもって執り成してくださいますし、たとえ私たちが苦しむことがあっても、その苦しみさえも益となるように変えてくださるお方なのです。

このような聖霊が、あなたの人生の中で生きておられますか。幸いな人とは、日々、聖霊との豊かな交わりに歩んでいるか否かによって、決まることになるでしょう。ハレルヤ!


2023.6.4 小さな泉の恵み

 4月23日の礼拝で次のような話をしました。大の「祖父ちゃん子」だった長男が小学校に上がる前、よく妻の実家に預かって貰っていました。迎えに行くといつも「帰りたくない」と大泣きします。ある日私が迎えに行くとよく寝ていたのでそのまま車に乗せ帰りました。ところが途中で起きてしまいやっぱり大泣き。「おじいちゃんの家がいいの!家になんか帰りたくない。お父さんなんか大嫌い(長男)」「いいよ。お父さんはしょうちゃんのことが大好きだから、そんな小さいことでしょうちゃんを嫌いにならないよ。」そこから「お父さん大嫌い!(長男)」「しょうちゃん大好き。」と延々繰り返しているうちにまた寝てしまいました。礼拝ではここまでお話しました。さて翌日、息子が妻に突然、「お母さん嫌い。」と言いました。昨夜、私から何度も「しょうちゃん大好き」と言われたので、それを妻にも求めたのです。彼には悪意は無かったのですが、なんの脈絡も無く最愛の息子に嫌いと言われた妻は驚きのあまり固まってしまいました。そこで「ウチはお母さんのことが大好きな人ばかりだから、そんなこと言う子はウチから出ないといけないよ!」と叱りました。「大好き」と言われたかっただけなのに、父親から叱られて今度は息子が固まってしまいました。妻がその顔を見て息子を強く抱きしめて「お母さん、しょうちゃん大好き(妻)」。おかげで息子の顔に笑顔が戻りました。私の思慮の浅い言動から起きた一幕でしたが、息子にとっても何かを学んだように思います。

子育ては思ったとおりにならないところが面白い。子育て中の若い父母に主の励ましがありますように。再び教会に子供たちの姿が溢れますように。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである(マルコによる福音書10:14)」

                            S.Y.兄