2023年6月18日日曜日

2023.6.18 本日の宣教

 『 忍耐しておられる父 』 (ペトロの手紙二  3章8~9節)

私たちの神は時間の主人です。私たちの時間の中には神の品性と神のご計画が隠されています。時間の内に隠されて いる神の品性とご計画は、私たちの人生において恵みとして現れ、または、チャンスとしてやってくるのです。

本日の御言葉の中で、使徒ペトロは偽教師たちの教えに気をつけるようにと勧めます。当時の教会は、主イエスが約束された再臨の日を待ち望みながら、地の果てと言われていた地域まで行って、熱心に伝道していました。ところが、しばらく待っていても主イエスの再臨が訪れない、かえって主イエスの証人たちの多くが亡くなっているような状況に置かれていました。 そこに、偽教師たちが教会に潜り込んで来ては、「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。…天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。主イエスの再臨などないのだ」という、間違った教えを広めていたのです。ペトロは偽教師たちについて、「終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者(3:3)」と紹介します。

そこでペトロは、「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようで、ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。(3:8)」と告げます。すなわち、神の時間の概念からすると、決して再臨が遅れているわけではなく、再臨の約束は必ず成就されると、断言しているのです。さらにペトロは、再臨が遅れているように思えるのは、神が別の目的をもっているからだと教えます。その目的こそ、「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられる(3:9)。」ためでした。

その通り、神と人間の時間の概念は異なります。その日が遅れているのではなく、神が忍耐深く待っておられ、裁きの日を延期しておられるということなのです。従って、主の日がまだ来ていないことは、神の恵みのほかに説明する言葉はありません。 私たちの神は忍耐深くあられ、一人でも滅びることがなく、悔い改めることを望んでおられます。これこそ、教会の存在理由であり、働きの内容となります。さらにペトロは、私たちに忘れてはならない真実を伝えます。「主の日は、まるで盗人がやって来るように、突然やってくる(3:10)」ということを。だから、再臨を確信して待つキリスト者は、父なる神が、一人も滅びないで、皆が悔い改めるようにと、忍耐しておられることを心に刻みつつ、時がある度に救いの福音を宣べ伝えなければならないのです。

すなわち、主の忍耐こそ私たちの救いであり、主の忍耐深さこそ救いのチャンスとなります。今現在も終わりが来てないのは、主が忍耐深さをもって罪人たちの悔い改めを待ち望んでおられることを証ししているのです。しかし私たちが忘れてはならない大切な真実こそ、やがて父なる神の忍耐も終わりを告げる時が訪れるということでしょう。

神の家族の皆さん、父なる神が忍耐してくださらなかったら、私たちは生まれることもなかっただろうし、とっくの昔に地球は 滅びてしまったはずです。今あなたが生かされているのは、神の忍耐の実であり、救い、恵みにほかなりません。ハレルヤ!


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