2019年1月30日水曜日

2019.1.27 本日の宣教

『キリストの証人』  ルカによる福音書101 - 6)            
 路傍伝道を通して与えられた恵みや諭された思いを分かち合います。 路傍伝道では沢山の人にお会いしましたが特にお二人の男性が印象に残っています。それぞれ別の日にお会いしたのですが、二人とも優しそうな70代ほどの老紳士で、殆どの方が拒絶の姿勢をとられる中とても親しげにお話しして下さいました。それだけで励まされます。ところが一人の方の話を聞いてみると娘さんが詐欺の被害にあったことを悲観してうつ病になり離婚、その影響で孫娘まで心を病み不登校になってしまったというのです。家族のことをとても気に病んでおられたので「すぐに解決出来ないかもしれませんが、まずあなたが主の救いに預かるならご家族も良い方向に向かうと思うので是非一度教会へ来てください。」(二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」使徒16:31)と申し上げて別れました。もう1人の方は、若い頃小泉町教会に来られた事があり聖書の知識がある方でした。見るからに幸せそうで何も問題を持たないように彼は言います。「宗教はどれも立派な良いこと言うとる。死んだらアンタらは神様の所へ、わしら浄土真宗の者は仏はんの所へ行く思うて生きれば良い。」と。本当にそうでしょうか。主イエスが言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:6)」主イエスは神の独り子です。この言葉は真実です。若いうちに聖書に触れながら御言葉の素晴らしさに気付くこと無く、悪しき「この世の支配者(ヨハネ12:31)」サタンに欺かれて自らの考えが神様より正しいと思っています。
 
 二年前失業して以来職場やアルバイト先で沢山の人達にお世話になっております。それらの方々は先のお二人の中間の方ばかりです。今思います。神様は彼らを深く愛しておられます。私は彼らの救いの為に遣わされました。うろ覚えではなく正確な御言葉を伝え福音の種をまき続けなければなりません。この世は福音を伝えなければ静かに生きられます。しかし御心を行おうとすれば戦いが起こります。「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」(マタイ10:34)


昨年最愛の兄を喪った時人が悔い改めに許された時間は突然閉ざされるということを思い知らされました。完全であり全能、愛であられる神はすでに全てを備えて下さっています。私が生きているのはお金のような虚しいものの為ではなくただ神の栄光が現される為でありたいと思います。「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6:3133)  伝道は神様の喜びであり、福音を知らされた者は命を得、私達には成長と恵みをもたらします。 小泉町教会は主の栄光を現す為にたてられています。収穫の主の働き手とならせて頂きましょう。                                                        S.Y兄

2019.1.27 小さな泉の恵み


先週の愛餐会、たくさんの食事をご用意していただきありがとうございました。そして、私たち家族のために祈って下さりありがとうございました。
 インドネシアの義父と共に生活するために長期で行きたいね、と考え始めてからたくさんの不安がありました。子供たちの事、仕事の事、家の事、考えれば考える程不安の波に押し寄せられていました。そのたびに私は祈りました。神様、どうか私たちに義父と共に暮らす日々を与えてください、自分のエゴではなくあなたの道に沿って歩めますように、と。そのように祈り続けているうちに、私たちには3年間日本を離れるプランが与えられました。インドネシアでは、まず義父に仕事が与えられるように畑を準備したいと思っています。畑仕事や孫のお世話、生き生きとした笑顔の義父が思い浮かびます。そして私たちが出来ること、言葉の仕事、シフォンケーキを焼くこと、もしかすると全く別の事をしているかもしれません。
 何をするにしても、祈りを忘れず、祝福の源となることを忘れずに生活していけますように。元気で戻ってきますので、皆さんの健康が守られますように。
“恐れてはならない、わたしはあなたの共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもってあなたをささえる”(イザヤ41:10
                                           I.A姉

2019年1月27日日曜日

2019.1.27牧師室便り

~ イエス様と二人なら ~

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神はご自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。」(ヘブライ11:6)

 アフリカで働いていたある宣教師が亡くなった時、彼の上着のポケットから小さな新約聖書が出て来ました。その聖書の最初のページに、こんな内容が書かれていました。

“私一人では何もできない。激しい波が押し寄せ、深い霧で周りが見えない、空の光も姿を消す。しかし私は知っている。私とイエス様二人ならきっと打ち勝つことができる。イエス様と二人なら。やがて空が明るくなっていくように、イエス様によって、臆病も、わがままも、弱さも変えられて行く。昨日はあんなに弱かったのに、今日は強く勇敢になった。イエス様は決して諦めることをなさらない。だからイエス様と二人ならきっと打ち勝つことができる。イエス様と二人なら。”

 そうです。イエス様と共に歩む人の信仰の祈りは、前の方へと進む力と勇気を与えてくれます。神の家族お一人お一人を取り巻く状況が厳しくても、あなたがイエス様の手をしっかりと握り締め、信仰の祈りをもって歩むのであれば、あなたの進むべき道は必ず開かれ、悪しき力の妨げにも勝利することができるはずです。信仰の祈りはどんなことも可能にしてくれる神の恵みの通路となるでしょう。
 2019年の歩みも速いもので、もう一月最後の礼拝を迎えました。とりわけ新しい旅に出かける方々、また新しい働きを始める方々、進学を目前にしている皆さん、そして新しい一ヶ月を始めようとする神の家族が“イエス様と共に歩む”確信のもと、豊かに祝福されますように・・・。シャローム!

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ようこそおいでになりました!富山小泉町キリスト教会のブログは、旧ブログサイトの閉鎖により、このブログサイトに変更になりました。順次環境を整えてまいりますので、しばらくは十分な情報をご提供できないかと思いますが、どうぞご容赦ください。
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