2023年3月29日水曜日

2023.3.26 牧師室便り

 ~ 新しい教会作りを!~

ハレルヤ!神の恵みによって2022年度の53週の礼拝の旅を終えることができました。今日まで導いてくださった父なる神を讃美します。

コロナ下の3年間、本当にお疲れ様でした。マスクが体の一部分のようになり、常に3密を避けることを心がけてきた日々でしたね。そしてようやくコロナの終わりが見えてきたような社会の雰囲気ですが、なかなか気持ちよくマスクを外すことも、近くで語り合うこともできないでいる人々の姿です。いつになったら完全な解放を味えるでしょうか。…。

特に、病院、老人ホーム、デイサービスなど、高齢者の方々と関わる仕事をしているために、しばらく礼拝に集えなかった神の家族が気軽に礼拝に集い、主にある喜びの交わりを持てる日を待ち望みます。

教会の花壇には昨年植えておいたチューリップがぐんぐんと伸びてきていますし、冬を越したビオラの優しく、かわいい花が広がっています。やっぱり春はいい!命の合唱の歌声が大地の隅々から聞こえてくるようです。

先週は春を迎え、教会の花壇の整備に取りかかりながら、コロナ以降の小泉町教会の新しい教会作りを考えて見ました。もちろん、牧師が植え、執事の皆さんが水を注いだとしても成長させてくださるのは神であると聖書は教えますが、ぜひ、たくさんの美しい花を咲かせ、豊かな実を結ぶ小泉町教会をみんなで夢見たいと思います。

神の家族お一人おひとりを心から愛し祝福します。

シャローム!



2023.3.26 本日の宣教(証し)

 『 いつも、絶えず、どんなことにも 』 (テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節)

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです。」

クリスチャンだけではなく、この聖句に感銘し、あるいは座右の銘にしている人は多いと思います。鎌倉の臨済宗大本山円覚寺管長の横田南嶺老師は、2020年5月5日の『今日の言葉』にこの聖句を取り上げています。横田老師は、カトリックの女子修道会聖心会シスター鈴木秀子博士と懇意にされていて、博士の『人生を照らす言葉』という連載でこの聖句に感銘を受けています。横田老師は、「こういうあたたかく、親切なお言葉というのは、我々禅僧にはとてもまねができません。本当に心に染み入る言葉です。大きな力をいただくことができます。・・・鈴木先生にはすっかり習慣化され身についていらっしゃるのでした。いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝、私もこれを習慣にするよう努力しようと思います。」とホームページに書いています。

ちょうど私が働いている社会福祉法人賛育会の3月の月間聖句もこの聖書の個所でした。賛育会では毎週金曜日のお昼に病院内でチャプレンである山﨑正幸牧師(日本基督教団二ツ橋教会牧師兼務)の司式によって礼拝がささげられています。私は、毎週パソコンを使ってリモートで出席しているのですが、先週は、久しぶりに東京に出張したため、会場で参加することができました。毎月第1週の礼拝では、月間聖句を用いて、チャプレンが分かりやすくメッセージをします。山﨑チャプレンは、3月3日のメッセージで「『いつも喜んでいる。絶えず祈る。どんなことにも感謝する。』ことは、本当に難しいことです。これを記したパウロは、どうしてそんな難しいことを要求したのでしょうか?」と問いかけました。

私は、皆さん同様、この聖書の個所を神様から頂いた大切なプレゼントとして、心に刻んできました。「どうしてそんな難しいことを要求したのでしょうか?」とは、思い描いたことがありませんでした。確かに、肉親との死別、災害、戦争、そして、親しい人との別離など、私たちは、「いつも喜び、全てに感謝」することができるでしょうか?

フィリピの信徒への手紙4章4節には、「主において常に喜びさい。重ねて言います。喜びなさい」とあります。私の父は、戦時下の1942年にシンガポールで母に出会い、2 冊の中国語聖書を教会で買い、「いつかこの二つの聖書が一つに並ぶように」と祈りあい、結婚を約束しました。父は、1943年に兵役が解除され日本に帰国するのですが、二度と会えない可能性がある中で、再開を信じて、母に渡した聖書の表紙の裏に、この聖句を書きました。先週、3月18日は、父と母の誕生日であり、結婚記念日でもあります。私は、所沢の両親のお墓を3年ぶりに訪ねて、祈りを捧げました。感謝です。

                                島田 茂兄


2023.3.26 小さな泉の恵み

 火曜日の聖書の学びで4週に亘り出席者全員で輪読して天路歴程一冊を読み切ることができました。

私は天路歴程という本を知りませんでしたが、この本は世界的に聖書の次に多く読まれている本だと言われるほど、全世界の人々に愛されている有名な本でした。

天路歴程には一部と二部があり、一部はキリストを信じる主人公のクリスチャンが一人で天の都を目指して幾多の困難を乗り越え道を切り開き重荷を背負いながらも一歩一歩前進して旅する物語ですが、二部はクリスチャンの妻と4人の子供がクリスチャンの歩んだ同じ道を、足跡をたどりながら長い時間をかけて天の都を目指すものです。

この物語は聖書をベースに書かれており、人生の苦難や葛藤を代表する旅路の中に出て来るいろんな山や谷、いろんな町や国、擬人化された聖書やサタンなど、また登場人物も多いので少し頭の中が混乱しそうになりますが、じっくり読むとその中には隠された聖書の御言葉や聖霊の働きを見ることが出来ます。

読む人によっては感動したり苦しさを感じたりずるところや救われた思いをするところは人それぞれであると思いますが、私は今迄学んできた聖書の内容を思い出しながら自分の立ち位置、進むべき道を教えられていると思いましたし、これからも聖霊の助けを得て天の都を目指して歩んで行きたいと思います。最後に閔先生が全体を整理してまとめて説明して頂けたのでより理解が深まり良い学びができましたことを感謝します。

未だこの本を読まれていない方は是非愛読されますようにお勧めしたいと思います。

                               I.H.兄


2023.3.19 牧師室便り

 ~ チームスピリットを育む ~

暗いニュースが人々の心を支配していた近頃でしたが、今月から始まったWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)によって一気に盛り上がっています。いつも思うことですが、スポーツが持つ力は素晴らしいですね。とりわけ今年の侍ジャパンは歴代の中で、ナンバーワンと言っても過言ではないでしょう。

大谷翔平という傑出した選手もいますが、私の目を引く現在の侍ジャパンの選手の面々は、高いレベルを持ち、監督を中心に一丸となって各自が持っているタラントを十分発揮しているように見えます。まさにドリームチームとも言えるような、チームとしてのエネルギーを感じています。また、結果は分かりませんが、ぜひ優勝という結果だけに捕らわれず、日本代表一人一人のプレイを楽しみながら応援しましょうね。

さて、本日は2023年度の小泉町教会の伝道と奉仕の先頭に立つ5人の執事を選ぶ選挙が行われます。コロナ危機の3年間、伝道活動ができず、礼拝と教会の交わりから遠のいた方々も多い中、教会の本格的な働きを再開できる2023年度であることを願います。そのために、選ぶ方も、選ばれる方も、信仰と奉仕を新たにしていただき、キリストの体なる共同体としてのチームスピリットを育むことを心がけましょう。
主イエスが弟子たちの足を洗われ、ご自身のお体と血潮を分かち合われたように、受難節を過ごす私たちも主イエスの足跡に従う弟子としてのアイデンティティーを新たにしたいものです。神の家族お一人おひとりを愛し祝福します。シャローム!

2023.3.19 本日の宣教

 『 試練の中で成長する共同体 』 (サムエル上22:1~2)

 預言者サムエルから油を注がれたダビデの生涯は栄光に輝くものと思っていました。しかし、彼の人生は油注がれた時から10年以上もサウル王から、謀反を企てた反逆者という濡れ衣を着せられ、逃亡生活を余儀なくされてしまいます。よく「クリスチャンになって、かえって試練が多くなってしまった」というつぶやきを耳にしますが、それと似ているかもしれません。

 ダビデは命を狙うサウル王から逃げ、荒野へ、山々へ、洞窟へ、異国の地へと身を隠し続けます。本日の御言葉には、「アドラム(避け所の意味)」の洞窟に身を隠すダビデの姿が描かれています。かつては、王宮で王女の婿として満ち足りた生活をしていて、人々の称賛を受けていたダビデでしたが、今は命の危機にさらされ、行き詰まった洞窟の中に身を隠すという現実が、今ダビデが置かれている状況を物語っています。しかし神は、このアドラム洞窟での暗闇の時の訓練を通してダビデに偉大なるビジョンを抱かれるのです。

 アドラム洞窟は、ダビデの人生においてとても重要な分岐点となります。なぜならば、今までのダビデは、サウル王から命を狙われ逃げ回るような逃亡者に過ぎませんでしたが、アドラム洞窟においてダビデは、当時のサウル王の統治のもとで苦しみを受けていたダビデの兄弟や家族をはじめ、「困窮している者、負債のある者、不満を持つ者」ら約400人ほどの者の指導者として生まれ変わることになるからです(22:2)。後に、ダビデが王になった後、アドラムの洞窟で共に訓練を受けた者たちが重要な役割を担うことになるわけです。その時の彼らの信仰告白を見てみましょう。詩編57編です。「わたしは心を確かにします。神よ、わたしは心を確かにしてあなたに賛美の歌をうたいます。目覚めよ、わたしの誉れよ、目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙を呼び覚まそう。主よ、諸国の民の中でわたしはあなたに感謝し、国々の中でほめ歌をうたいます(詩57:8~10)。」…神はアドラム洞窟という絶望の場所において、全世界の中で神の栄光を現すビジョンをダビデとそこに集まった400人の信仰共同体に与えてくださったのです。

アドラムの信仰共同体こそ、主イエスが立てられた教会のあるべき姿ではないでしょうか。主イエスは、この世の様々な支配や力、不義によって、抑圧され、苦しめられていた貧しく弱い人々の避け所となってくださり、神の国の交わりを示してくださいました。そして主イエスは、今日も様々な試練に遭い、救いと正義、愛の福音を求めてさ迷う人々を、キリストの体なる教会共同体が喜んで迎え入れ、彼らのアドラム(避け所)となることを望んでおられます。そこにこそ、教会共同体の存在の理由と目的があるのです。

コロナと戦争、自然災害、経済危機などによって苦しい叫び声をあげながら、希望の光を慕い求めさ迷っている人々の姿を見ます。願わくは、小泉町教会の信仰共同体がアドラム(避け所)としての役割を担うことが出来ますように…。私たちの神は試練の中でご自身の民を鍛錬され成長させてくださるお方です。アドラム洞窟という最も厳しい時を訓練と成長の時としたダビデのように、私たちも新たなビジョンへと歩み出すことができる信仰共同体となりますように。ハレルヤ!   


2023.3.19 小さな泉の恵み

 皆さん、こんにちは。自然とかけ離れた東京都23区にも花粉が飛んでくる事に毎年驚きながらそっと部屋の窓を閉じる 黒澤 望 です。東京では20℃超えの日が続き、桜すら咲き始め、本当に3月なのか疑問に思う日々が続いています。

さて、私が(花粉症と共に)東京に出て、約2年が経ちました。1年目は何もかも思い通りにいかず、部屋の狭さと衛生環境も相まって、ストレスで精神面にかなり問題を抱えていました。上手くいかない理由は大体自分自身にあったのですが、それの事実に気付けば気付く程自責の念に苛まれていました。主に祈ってもすぐには改善しませんでした。

大学2年となり、趣味を持つ大切さを記事で見かけました。そこで思い切って、部屋の改造やら自分の趣味やらに力(お金)を注ぎ、生活周りに自分が好きなもの以外目に入らないようにしました。なんということでしょう~ かつては狭さと殺風景さから来る負の気が溜まりに溜まっていた部屋が、好きなもので溢れている空間になっているではありませんか!さながらリフォームの匠と自負し始める(言い換えると傲慢なだけ)くらいには精神的も回復しました。「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざにはときがある」(コへレトの言葉3:1) 主の御業は即効性がなくとも、叶えられる物だと痛感した次第であります。

思い通りにならず、行き詰まる時は思い切って別の事に挑戦してみるというのも案外良い手段ではないでしょうか?皆様の祈りに感謝しながら、皆さんのご健康が守られますよう心よりお祈り申し上げます。

                       K.M.兄

2023.3.12 牧師室便り

~天路歴程から学ぶ~ 

今年に入って「楽しい聖書の学び」では、「天路歴程」という本の朗読会を行いました。この本は、キリスト教の歴史の中で聖書に次いで多く読まれた古典として知られています。イギリスのジョン・バニヤン(John Bunyan)という人が1678年(正編)と1684年(続編)に書いた寓意物語です。

正編には、クリスチャンの旅が、続編には、その妻クリティアーナと4人の子どもたちの旅が描かれています。「破滅の町」に住んでいたクリスチャンとクリスティアーナと子どもたちの「天の都」への旅を通して、キリスト者が人生において出会う多くの人々、また人生の中で経験する葛藤や苦難、そして理想的なキリスト者の姿へと近づいていく過程をドラマチックに表現しています。特に、登場人物や場所の名前、性質などは、それぞれのキリスト教的な人生観・世界観に基づくものになっていると言えましょう。

私たちも天の都に向かい旅を続けていますが、その旅において様々な人と出会ってきましたし、これからも出会って行くでしょう。また様々な出来事の中で絶えず選択と決断の時が訪れてくるはずです。その中で私たちがしっかりと握るべきことこそ、いつも共に歩まれる聖霊に知恵と助けを求めつつ、共に旅を続ける信仰の友たちと互いに荷を担い合うことでしょう。とりわけ来週は2023年度の執事選挙があります。ぜひ祈りの中で、天の都に向かう2023年度の旅において、良き同労者、良き伴走者として荷を担い合い、励まし合える執事が選ばれるように祈りましょう。シャローム!



2023.3.12 本日の宣教

『 人生の荒野で 』 (マタイによる福音書4:1~11)

私たちは今、受難節の時を過ごしています。受難節は四旬節とも呼ばれ、40日間を主イエスの受難を覚える時として守っています。そして、伝統的にこの40日間は、主イエスが公の生涯を始められる前の荒野で悪魔から受けられた40日間の誘惑の時をその起源として見ています。本日の御言葉によると、主イエスはヨハネからバプテスマを受けた直後、「聖霊に導かれて荒野に行かれ、40日間、悪魔から誘惑を受けられた」ことが記されています。

荒野で受けられた三つの誘惑は、①神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。 ②神の子なら、飛び降りたらどうだ。③もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、世のすべての国々と繁栄をみんな与えよう。というものでした。 これら3つの悪魔からの誘惑は、聖書の物語に登場する神の人が絶えず受けた内容でもあります。そして、これらの誘惑と試練は、今の私たちにも同じく迫って来ていることを覚えましょう。

それでは、このような誘惑に遭わない方法はあるでしょうか。「いいえ」、ありません。主イエスは公生涯を始める荒野の時、悪魔の誘惑を受けただけで、誘惑から解放されたわけではありません。聖書を見ると、主イエスは何度も誘惑に立たされましたし、それは十字架にかけられた時まで続きます。

神の民であるイスラエルにとって、荒野は失敗の歴史でした。 「エジプトの奴隷」から解放され,乳と蜂蜜が流れるカナンの地に行く途中で、イスラエルは食べ物や飲み物のゆえに,荒野での神からのテストに合格できませんでした。荒野において、主イエスが悪魔の誘惑に対して勝利された、『人はパンだけで生きるものではない。』、そして『あなたの神である主を試してはならない』という言葉、最後に、「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』という3つの言葉がすべて、荒野でイスラエルが失敗した時に与えられた神の御言葉であることを私たちは忘れてはなりません。すなわち、荒野のイスラエルは失敗しましたが、聖霊に導かれて荒野に行かれた主イエスは勝利されたのです。

私たちへの何より嬉しいニュースは、荒野で誘惑を受けられすべてに勝利された主イエスが、ご自身の弱さの中で私たちを強くしてくださるということです。 「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。(ヘブライ2:18)」、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(一コリント10:13)」

神の家族の皆さん、今、人生の荒野で予期せぬ試練に置かれてはいませんか。ぜひ、荒野で御自ら誘惑を受けられ、十字架の苦しみの道を歩まれたために、今誘惑を受けているすべての人を助けてくださることができる主イエスにすがりましょう。主イエスは、皆さんの側に立ってくださり、いつも見守り助けてくださることでしょう。ハレルヤ! 


2023.3.12 小さな泉の恵み

 渡辺和子さんの「現代の忘れもの」と言う本を読んで“人生には穴があくことがあるんですよ”というお話の中に、人生というステージに穴があくとそこからすきま風が吹いてきて寒くなる穴があるから歩くときには不自由になる。

そこで第一に考えるのはいやだなあということ。次に考えるのは何とかしてその穴をふさごうとする、または穴があることを無視しようとする。ところが、とかく忘れがちなのは、穴があいたがゆえに、それまでは見えなかったものをその穴から見ることですというお話です。

私は1月10日から2月3日にかけて体調を崩しました。食事はおかゆと食パンを牛乳に入れて温め食べるなどやわらかいもので栄養を取ることでした。吐き気がして、寝ていても辛かったです。でも牧師や皆さんのお祈りを服薬したことにより回復しました。ありがとうございます。健康で一日一日を暮らせることがどんなにありがたいことかと思わされました。私は胃炎になっていままで知らなかった穴を見ました。そして、礼拝や祈りかいがどんなに私にとって益になっていたことかを知りました。こんなに弱い私ですが、神の家族の一人としてこれからもよろしくお願いします。

「あなたがたの中で苦しんでいる人は祈りなさい。喜んでいる人は讃美の歌を歌いなさい。あなたがたの中で病気の人は教会の長老を招いて主の名によってオリーブ油をぬり祈ってもらいなさい。」(ヤコブ5:13)

                         M.T.姉


2023年3月6日月曜日

2023.3.5 牧師室便り

 ~ 受難節を恵みに! ~

今私たちは「受難節」の時を過ごしています。「四旬節」とも呼ばれ、主イエスの苦しみを思い起こす40日間を覚えつつ過ごす季節なのです。なぜ40日でしょうか。聖書の中で「40」という数字は特別な意味を持っています。イスラエルの民らがエジプトを出て荒野で40年間厳しい旅をしたこともそうですし、主イエスが公生涯の前に荒野で断食しながら40日間サタンから誘惑されたこともそうです。すなわち40という数字は苦しみの中で神が御業を成し遂げられるという意味をもつ大切な数字であるわけです。そして受難節の初日を「灰の水曜日」と呼びます。そう呼ぶ由来は、前の年の四旬節でつかった棕梠の枝や十字架などを焼いて灰にし、その灰を用いて神様に祈るという典礼があったことにあるそうです。ちなみに受難節を「レント(Lent)」とも呼びますが、これはもともと「春」という意味のゲルマン語で、「春を待ち望む40日間」であると言えましょう。

また、昔から受難節の40日間は、主イエスの苦難を覚えつつ、「祈り・断食・慈善」に励む時として共有されていました。ぜひ、小泉町教会の皆さんも主イエスの苦難に与るためにできることに励んでみてはいかがでしょうか。

“十字架を愛して、われは生きまた死せん”という讃美歌の言葉を口ずさみながら、主イエスの十字架への愛をさらに燃やしていける神の家族でありますように…。シャローム!



2023.3.5 本日の宣教

 『 キリスト者のSDGs 』  ( ローマの信徒への手紙12:1~2)

私たちの父なる神には創造の時から抱いていた夢がありました。「わたしはこの民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。(イザヤ43:21)」。…その通り、私たちの父なる神はすべての造られた民を通して礼拝と讃美を受けることを望んでおられましたし、それは今も変わりありません。 

本日の御言葉には、真の礼拝について次のように記します。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(1節)…パウロは、私たちの体で成す、すべてのことと時が礼拝であるといいます。これは、キリスト者の毎日の生活が神にささげる礼拝とならなければならないことを語っているのです。神の神殿としてのキリスト者は、二つの種類の礼拝をささげていることでしょう。まずは、礼拝共同体として集まってささげる儀式としての礼拝、そして、生活の現場で創造者であり、すべてを治めておられる神を認めつつ自分自身をささげるのです。

旧約時代の祭司は、家畜を殺して全焼のいけにえをささげ、自らの献身を表す礼拝をささげましたが、新約時代のキリスト者は、「自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げる礼拝」をささげます。また、旧約時代の祭司の主な職務は、神殿を中心として動物のいけにえを献げることでしたが、新約時代の「王の系統を引く祭司」とされたキリスト者は、自らの体で行うすべての生活を「生けるいけにえ」として献げなければならないのです。

続けてパウロは、「真の礼拝者」としてのキリスト者に求められる姿勢として、「この世に倣ってはならない」(2節)と伝えます。そのためには、「心を新たにしていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、完全なことであるかをわきまえるようになること」だと教えます。ここにおける「この世」とは、“邪悪な世代、神を認めず、自分勝手に生きている世界”のことを指します。また、「心を新たに」とは、聖霊によって全く新しい心を与えられることであり、新生の恵みに与ることを意味します。ですから、キリスト者は常に聖霊の助けと御手によって日々新たにしていただくことで、この世の価値観と妥協せず、この世に支配されず、「神の栄光のために」という聖書的価値観、神の国の民としての世界観に従って生きることが何であるかを知ることが最優先に求められるのです。 

J.S.バッハが、作曲した作品の最後に「SDG」とサインして、「Soli Deo Gloria=ただ神にのみ栄光があるように」という人生の目標を掲げながら、礼拝者としての歩みを貫いたように、私たちも「ただ神にのみ栄光を帰する」生活を心がけるべきでしょう。これこそ、終末を生きるキリスト者に求められる姿勢であり、目標なのです。

神の家族お一人おひとりの人生のすべてが神の恵みであること、また私たちの生活のすべてを通して神にのみ栄光が現れることを確かめつつ、「キリスト者のSDG」を歩み続けましょう。ハレルヤ!


2023.3.5 小さな泉の恵み

 「ゆるしの心」

 3月3日(金)に3年振りの2023世界祈禱日の礼拝が、愛する富山小泉町キリスト教会礼拝堂で、教派を超えた6教会の50人が集まり、行われました。

 その日、女性会の代表ということで司会進行の奉仕をした私ですが、会場、その他の準備にばかり気を取られ、最も大切な礼拝の最終的な進行の確認を怠っていました。案の定、私は進行の順序を何度も間違え、神聖であるはずの礼拝は、形容のできない微妙な空気に包まれ終りました。

このままでは3年振りの世界祈祷日を楽しみにして下さっていた皆さん、そして何よりも、礼拝の中心であるイエス様に申し訳ないという思いが溢れ、私は皆さんの前で心を込め、不手際を謝罪をしました。

そして、次に予定されていた親睦会に入り、各教会の代表者による『わが教会の話』を聞き、次に準備したお茶とお菓子など、親睦会の在り方の説明をする中で、徐々に会場の空気が柔らかくなり、閔先生手作りのマリーゴールド茶の説明の時には、暖かな笑顔と笑い声が溢れていました。  

私たちの罪の故に、イエスさまが架かられた『赦し』の十字架の愛と聖霊様の働きによって、小泉町教会の礼拝堂から微妙な空気が一掃され、愛で満たされました。 

帰りの挨拶をして下さった皆さんの笑顔が、今も目に焼き付いています。

主の愛に感謝します!

                                 S.Y.姉