2023年3月6日月曜日

2023.3.5 本日の宣教

 『 キリスト者のSDGs 』  ( ローマの信徒への手紙12:1~2)

私たちの父なる神には創造の時から抱いていた夢がありました。「わたしはこの民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。(イザヤ43:21)」。…その通り、私たちの父なる神はすべての造られた民を通して礼拝と讃美を受けることを望んでおられましたし、それは今も変わりありません。 

本日の御言葉には、真の礼拝について次のように記します。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(1節)…パウロは、私たちの体で成す、すべてのことと時が礼拝であるといいます。これは、キリスト者の毎日の生活が神にささげる礼拝とならなければならないことを語っているのです。神の神殿としてのキリスト者は、二つの種類の礼拝をささげていることでしょう。まずは、礼拝共同体として集まってささげる儀式としての礼拝、そして、生活の現場で創造者であり、すべてを治めておられる神を認めつつ自分自身をささげるのです。

旧約時代の祭司は、家畜を殺して全焼のいけにえをささげ、自らの献身を表す礼拝をささげましたが、新約時代のキリスト者は、「自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げる礼拝」をささげます。また、旧約時代の祭司の主な職務は、神殿を中心として動物のいけにえを献げることでしたが、新約時代の「王の系統を引く祭司」とされたキリスト者は、自らの体で行うすべての生活を「生けるいけにえ」として献げなければならないのです。

続けてパウロは、「真の礼拝者」としてのキリスト者に求められる姿勢として、「この世に倣ってはならない」(2節)と伝えます。そのためには、「心を新たにしていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、完全なことであるかをわきまえるようになること」だと教えます。ここにおける「この世」とは、“邪悪な世代、神を認めず、自分勝手に生きている世界”のことを指します。また、「心を新たに」とは、聖霊によって全く新しい心を与えられることであり、新生の恵みに与ることを意味します。ですから、キリスト者は常に聖霊の助けと御手によって日々新たにしていただくことで、この世の価値観と妥協せず、この世に支配されず、「神の栄光のために」という聖書的価値観、神の国の民としての世界観に従って生きることが何であるかを知ることが最優先に求められるのです。 

J.S.バッハが、作曲した作品の最後に「SDG」とサインして、「Soli Deo Gloria=ただ神にのみ栄光があるように」という人生の目標を掲げながら、礼拝者としての歩みを貫いたように、私たちも「ただ神にのみ栄光を帰する」生活を心がけるべきでしょう。これこそ、終末を生きるキリスト者に求められる姿勢であり、目標なのです。

神の家族お一人おひとりの人生のすべてが神の恵みであること、また私たちの生活のすべてを通して神にのみ栄光が現れることを確かめつつ、「キリスト者のSDG」を歩み続けましょう。ハレルヤ!


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