2023年3月29日水曜日

2023.3.26 本日の宣教(証し)

 『 いつも、絶えず、どんなことにも 』 (テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節)

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです。」

クリスチャンだけではなく、この聖句に感銘し、あるいは座右の銘にしている人は多いと思います。鎌倉の臨済宗大本山円覚寺管長の横田南嶺老師は、2020年5月5日の『今日の言葉』にこの聖句を取り上げています。横田老師は、カトリックの女子修道会聖心会シスター鈴木秀子博士と懇意にされていて、博士の『人生を照らす言葉』という連載でこの聖句に感銘を受けています。横田老師は、「こういうあたたかく、親切なお言葉というのは、我々禅僧にはとてもまねができません。本当に心に染み入る言葉です。大きな力をいただくことができます。・・・鈴木先生にはすっかり習慣化され身についていらっしゃるのでした。いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝、私もこれを習慣にするよう努力しようと思います。」とホームページに書いています。

ちょうど私が働いている社会福祉法人賛育会の3月の月間聖句もこの聖書の個所でした。賛育会では毎週金曜日のお昼に病院内でチャプレンである山﨑正幸牧師(日本基督教団二ツ橋教会牧師兼務)の司式によって礼拝がささげられています。私は、毎週パソコンを使ってリモートで出席しているのですが、先週は、久しぶりに東京に出張したため、会場で参加することができました。毎月第1週の礼拝では、月間聖句を用いて、チャプレンが分かりやすくメッセージをします。山﨑チャプレンは、3月3日のメッセージで「『いつも喜んでいる。絶えず祈る。どんなことにも感謝する。』ことは、本当に難しいことです。これを記したパウロは、どうしてそんな難しいことを要求したのでしょうか?」と問いかけました。

私は、皆さん同様、この聖書の個所を神様から頂いた大切なプレゼントとして、心に刻んできました。「どうしてそんな難しいことを要求したのでしょうか?」とは、思い描いたことがありませんでした。確かに、肉親との死別、災害、戦争、そして、親しい人との別離など、私たちは、「いつも喜び、全てに感謝」することができるでしょうか?

フィリピの信徒への手紙4章4節には、「主において常に喜びさい。重ねて言います。喜びなさい」とあります。私の父は、戦時下の1942年にシンガポールで母に出会い、2 冊の中国語聖書を教会で買い、「いつかこの二つの聖書が一つに並ぶように」と祈りあい、結婚を約束しました。父は、1943年に兵役が解除され日本に帰国するのですが、二度と会えない可能性がある中で、再開を信じて、母に渡した聖書の表紙の裏に、この聖句を書きました。先週、3月18日は、父と母の誕生日であり、結婚記念日でもあります。私は、所沢の両親のお墓を3年ぶりに訪ねて、祈りを捧げました。感謝です。

                                島田 茂兄


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