2021年1月12日火曜日

2020.12.20 本日の宣教

 『 インマヌエルを喜び合う 』  マタイ12325、ルカ13438)

 暗闇の光として来られる主イエス・キリストの恵みと平和がクリスマス礼拝をささげるお一人お一人の上に豊かに注がれるようにお祈りいたします。また、依然として絶望の暗闇に覆われ、苦しい日々を過ごしている世界中の人々の上にもクリスマスの恵みと慰めがありますように祈りましょう。
 さて、私たちが主イエス誕生の物語を繰り返し読み続けると、主イエスの誕生を記しているマタイとルカによる福音書が強調するポイントが少し違うことが分かります。 まず、マタイが描いている降誕物語で強調されている中心的言葉は、「インマヌエル」であります。マタイ123です。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
 この個所は預言者イザヤが主イエスが生まれるほぼ700年前に預言した言葉ですが、マタイはこのインマヌエルの約束がイエス・キリストを通して成就されたと宣言します。福音の核心はこの「インマヌエル」という言葉にしっかりとまとまっていると言えましょう。イエス様が生まれる当時のイスラエル、ローマの植民地として、政治的、経済的抑圧に苦しめられる中で、光を失ってしまっていた人々にとって、「インマヌエル」の約束が成就されたという知らせは、福音の中の福音であったに違いなかったでしょう。しかし今、多くのクリスチャンにとってこの「インマヌエル」という言葉が本当に福音として、神の生きた約束として受け入れられているだろうか。インマヌエル、それは神が私たち弱い人間の生活のただ中に共におられるという神の現存への驚くべき約束であり、味わえる恵みのはずなのに、日々の生活の忙しさや、逆に安楽な生活のゆえに、インマヌエルを感じることも、求めることも必要のないことになっているのかもしれません。しかし、インマヌエルの約束は、今、コロナなど、様々な問題課題のゆえに崖っぷちに立たされている人々にとっては、ただの決まり文句ではなく、真の救いとなり、力となり、慰めとなってくれるのです。
 一方、ルカが強調している中心的言葉は「喜び」です。天使ガブリエルがマリアを最初に訪ねた時、最初に語ったのが、「おめでとう!」という言葉です。これは「喜びなさい」という意味でもあります。マリアがエリザベツを訪ねた時もエリザベツの胎内の子が喜び踊ったとありますし、野原で羊の群れの番をしていた羊飼いたちに現れた天使は恐れていた羊飼いたちを励ましながら、「私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」と語ります。皆さん、なぜ主イエスの誕生が喜びでしょうか。それこそ、メシアである主イエスと共に全く新しい世界、全く新しい救いの歴史が始まるからです。父なる神が昔から語られていたご計画が主イエスを通して成就することになるからです。
 インマヌエルの神、私たちに喜びを与えられる神は、神の御国を待ち望み、神の救いの御業のために献身しようとする人々を通してこの世にやってこられるのです。ヨセフとマリアの驚くべき決断と勇気に対し、神はインマヌエルの恵みを与えられ人知を超えた喜びで応答してくださったことを覚えましょう。この冬、私たちの身と魂を神の救いの業のために献げる中で、インマヌエルの神の現存をいただき、人知を超えた喜びに満たされたいものです。ハレルヤ!

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