『 福音の配達人になる 』 ( 一ヨハネの手紙1:1~4、一ペトロの手紙3:15)
ヨハネの手紙が書かれたのは、イエス・キリストが昇天された後、主イエスの弟子たちはじめ、主イエスを直接目で見て、その教えを直接聞いていた人々も、また主イエスを直接経験していた証人たちもほとんどいなくなった時のことでした。当時は、グノシス主義という異端の間違った教えが教会の中に広がっていた時期であって、それに対して長老ヨハネは当時の教会とキリスト者がどこに立つべきなのか、抱くべき確信がなんであるか、どう歩むべきなのかなどについて伝える必要がありました。
ヨハネは本日の御言葉を通して、手紙を書いた3つの目的を示しています。
まず、ヨハネが最初に語っている目的として「命」を示しています。ヨハネは主イエスを信じる人々が、彼らの内に「命」、しかも永遠の命があることを確信してもらうために書いていると伝えます。ただ伝えるのではなく、ヨハネ自らが「聞いたものであって、目で見たものであって、手で触れたものである命(イエス・キリスト)」を伝えたいのだ!と記しているのです。すなわち、その命とは、幻のような抽象的な存在でなく、私たちが直接五感をもって体験できる実体として今も存在しておられる方であることを伝えているのです。
最後に、三つ目の目的として「喜び」を示します。永遠の命なる主イエスとの交わりに生きる人に著しく現れる姿とすれば、喜びに満ち溢れることでしょう。この喜びとは、父なる神の喜びとイエス・キリストの喜び、そして私たちの喜びをも含むことを指します。「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」(ヨハネによる福音書15:11)…ここで示される「喜び」とは、ただの感覚的な喜びではなく、永遠の命から受ける人知を超えた喜びであります。それは、私たちがイエス・キリストの十字架の贖いによって命をいただき、神との日々の交わりの中で得られる救われた確信からの強力な喜びなのです。
新型コロナウイルスによって支配されている世界の中、キリスト者に求められる信仰姿勢こそ、本日の御言葉のように、「聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」を伝える備えをすることでしょう。やがて、良い知らせを求める人々の方へと、山々を行き巡り、配達していく足を持つ福音の配達人になれるはずです。絶望の暗闇に捕らわれている人々に「永遠の命と神との交わり、喜び」といった人知を超えたプレゼントを届ける神の家族となりますように…。ハレルヤ!
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