『 神に喜ばれる秘訣 』 ( ヘブライ人への手紙11:5~7)
「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。(11:5)」
エノクという名前は「従う者、教えられた者」という意味です。聖書が紹介しているエノクは、他の偉大な人物のように奇跡を行なったり、神秘的な力をもっていたりしたとは一切記されていません。しかし聖書はエノクについて、「神と共に歩んだ人」と紹介しています。「エノクは365年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」(創世記5:23,24)。…エノクは生涯、神と共に歩み続けた人でした。常に神の傍らにいて、いつも神の御言葉に耳を傾け、尋ね、神の御心に適った日々を生きたという意味でもあるのです。そのエノクについて神は、彼と永遠に共に歩むことを望まれ、生きたままエノクを天の御国へ連れて行かれたと聖書は記しているのです。ヘブライ人への手紙の著者も、そのようなエノクを喜ばれたと記し、神に喜ばれた証明として、死を経験しないように、天の御国へ移されたと証言しています。
そして6節の言葉を通して、現代のキリスト者に向け、エノクの信仰から学ぶべき信仰について定義します。
「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。(11:6)」・・・すなわち、エノクのような信仰がなければ神に喜ばれることができないとまで語っているのです。特に、神に喜ばれる信仰の内容として、まず、「神が存在しておられること」と、「神は御自分を求める者たちに報いてくださる方」であることを信じなければならないと宣言しています。「神が存在しておられること」を信じるというのは、神が天地万物の創造者であり、すべての支配者であって、いついかなる時や場所においても生きておられるということを信じ、その信仰に基づいた関係を築いていくことこそ神に喜ばれる人の姿勢だと教えています。そしてもう一つ、「神は御自分を求める者たちに報いてくださる方」であることを信じなければならないというのは、神は、ご自分を愛し、神との交わりを慕い求め近づく者を喜ばれるということです。そして神は、ご自分を求めて近づく者には「恵み(贈り物)」を与えてくださるお方だということを明かしているのです。すなわち、日々、生きておられる神との交わりを楽しみつつ、神の約束された祝福を信じ、その恵みを求めて生きることこそ「主に喜ばれる秘訣」となるのです。
だから「神に喜ばれる秘訣」を生きるキリスト者は、目に見えるものに騙されません。常に神との親密な関係の中で与えられる御心を心に抱きつつ、御心を行うことを選びます。しかし、そのような生活を続けていくと、私たちもエノクのように、またノアのように社会的孤独感に包まれることもあるでしょう。それでも、その人は神を友として、神の臨在に触れ、時に適って与えられる恵みをいただきながら過ごすことができます。願わくは、常に神の存在に気づき、神を認め、神に従う信仰によって、神に喜ばれる神の家族でありますように…。ハレルヤ!
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