~ 耳をふさがないで ~
牧師の仕事の中で一番大切なことと言えば、説教(宣教)です。それはキリスト教会が始まって以来、歴史と地域に関係なく共有されてきたことです。だからでしょうか。ある教派や牧師たちは一週間全部を主日礼拝の中で語る「説教」のために尽くします。
まずは説教の本文である聖書箇所を何度も黙想し、注解書や関連書籍を参考にして説教を作成します。そして週の後半に入ると牧師室に閉じこもり、説教の原稿を完成するために集中するのです。
しかし、ほとんどの教派や牧師たちは、牧会のための訪問や相談、週報作成、教会修理、草むしりなど、様々な仕事に覆われる現実を過ごしているしょう。それでも、説教は牧師にとって命のようなもの、何より大切なものであることに変わりはないはずです。
最近、新たに気づいたことがあります。それは、訪問に出かけたり、買い物に行ったり、外の仕事をしたりしながら、よく耳にイヤホンをつけたまま生活することが多くなっているということです。
好きな音楽を聞いたり、Youtubeの役立つ映像を聞いたりしながら、時間を無駄にしないように心がけて過ごしてきました。ところが、イヤホンがつけられている耳は常に何かを聞いていて、耳と頭の方は常に一杯になり、他のことを黙想するような余裕を失ってしまっていたということに気づいたのです。神は大自然から、また人々の声から、また沈黙からも語りかけようとされているのに、私の耳が塞がれてしまったために、その時、その時語られる神からのメッセージを逃してしまっていたような気がしたのです。
耳をふさがない、いつでも神が語られることを忘れないで歩む日々でありますように…。シャローム!
0 件のコメント:
コメントを投稿