『 尊い自分を見つめる 』(イザヤ43:1~4)
本日は子ども祝福式を執り行う礼拝です。毎年この日を迎えながら子どもたちに伝えようとする御心こそ「自分の尊さを知る」ということです。現代の競争社会を生きる私たちにとって「自分の尊さ」というものを感じながら生きるということはなかなか難しいことのように思える近頃です。とりわけ子どもたちの目から見えてくる社会の有様は長い間、人々を支配してきた価値観とも言える弱肉強食、財産、学歴、能力といったものが「尊さ」の判断基準になっていると思います。
神の家族の皆さんは自分自身の尊さに気づきながら過ごしていますか。とりわけ神の愛と恵みに生かされているキリスト者としてあなたは自分自身の尊さをどこで見出しているでしょうか。むしろ、自分の罪のゆえに、病気のゆえに、以前できていたことができなくなったために、また周りの期待にこたえられなくなったがために、自分自身を尊く思えなくなっている私たちではないでしょうか。
しかし本日与えられている御言葉によれば、私たちの尊さの基準となるものは、今まで慣れ親しんできた社会的条件を満たしていくことではなく、「わたしの目にあなたは値高く尊い」と語られる創造主なる神の宣言にあると教えてくれます。神に愛される基準や条件はありません。今まで私たちを束縛していた社会的基準や条件を満たすことができなくても、神の似姿に造られたありのままの私たちを愛されるその愛が基準であり条件となるのです。ぜひ、「わたしの目にあなたは値高く尊い」と言われる神の御心に応答し、たとえ自分で立てた条件を満たすことができず、自分でもうけた基準に及ばなくても、自分を赦すことができ、尊い自分を見つめようと心がけることができれば、私たちの日々の生活は喜びと希望に輝くことになるでしょう。ハレルヤ!
かみさまのあい
詩:クリバリユミコ
いいんだよ
そのままでいいんだ
何度 倒れても
私が差し出す手をつかんで
また立ち上がればいい
父親って そういうものだよ
いいんだよ
そのままでいいんだ
何かを変えなければいけない とか
このままじゃ駄目 とか
ありのままの自分で
私の胸に飛び込んでおいで
母親って そういうものだよ
いいんだよ
そのままでいいんだ
いい時も 悪い時も
私はあなたと一緒に歩く
友達って そういうものだよ
いいんだよ
そのままでいいんだ
真っ暗闇の中で何も見えず
ただただ涙がこぼれ落ちる時
君の手を 黙って いつまでも
握っているよ
愛ってそういうものだよ
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