~ 失われた猫を見つけ出すまで… ~
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」(ルカによる福音書15:4)
先日、N姉の飼っていた猫の「みー助ちゃん」が、散歩の途中行方不明になりました。みー助ちゃんを散歩用の車に乗せて散歩していた時、ちょっとした隙間から逃げてしまったそうです。行方不明になってから早速、町中を捜し回り、チラシを作って警察にも、町内会にも知らせて助けを求めましたが見つけることができませんでした。そして一週間の日が経ちました。まさに、子どものように愛情を注いでいた猫ちゃんでしたので、N姉が感じただろう戸惑いと悲しみは大変なものだったでしょう。教会の皆さんにも祈りを要請し、私もN姉の家の周りを探したりもしましたが、何の手がかりもなく時間だけが流れていきました。
N姉のために祈りながら、聖書の一匹の羊を見失った羊飼いと家出してしまった放蕩息子を待ち続ける父の姿が思い浮かびました。聖書は「見失った一匹の羊を見つけ出すまで探し回らないだろうか」という言葉で、愛と憐みをもって必死に探し回る羊飼いの思いを描いています。そして、ちょうど一週間が経とうとしたある日、N姉から電話が届きました。「先生、みー助を見つけ出しました。隣の町の方から連絡があり、駆けつけていって“みー助”と呼んだら、脇から出てきたのです。」・・・その時のN姉の喜びと歓喜に満ちた声を忘れられません。「そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」(ルカ15:5~6)… 今回の出来事から、改めて「悔い改める一人の罪人」を切に待っておられる父なる神の御心を感じることができたことを感謝します。神の家族の皆さんは周りの見失われた一人についてどんな思いをもって関わっているでしょうか。ぜひ、父なる神の御心を抱きつつ、見つけた喜びを味わいたいものです。
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