~ 主よ、分かりません。教えて!~
「主よ、これは何でしょうか。」わたしに語りかけた御使いは答えて、「これが何か分からないのか」と言ったので、わたしが「主よ、分かりません」と言うと、彼は答えて、わたしに言った。(ゼカリヤ4:4~6)
「主よ、これは何でしょうか。」、「主よ。分かりません。教えてください。」…これは聖書の多くの神の人がもっていた信仰姿勢における特徴を表す言葉です。つまり彼らは、常に神との対話をしていたということでした。ただ単に神からの言葉を聞いて何も質問せずに従順に従った人は少ないことが分かります。信仰の祖先アブラハムから、モーセも、ヨブも、ダビデも、ハバククも、バプテスマのヨハネも、主イエスの弟子たちも、そのほとんどの人が神さまとの対話を好む人でした。彼らにとって神は、恐ろしい方、遠くにおられ、何も聞いてくれない方ではなく、いつも神の子どもたちの近くにおられ、彼らと対話することを求められるお方であったのです。そして彼らが悟った真実とは、神と顔と顔を合わせて交わる人に神は御心を打ち明け、ご計画を分かち合われるということでした。
神の家族の皆さんは日々の生活の中で、神様と対話の時間をもっていますか。目の前に起きる様々な出来事について、分からない時ははっきりと「分かりません」と答え、「教えてください」と尋ねながら助けを求める謙遜で積極性をもっている人を主は喜ばれますし、その人に御心を示し神のビジョンを見せてくださるはずです。
今こそ、私たちは神との対話を深めていくべき時ではないでしょうか。まず、新型コロナウイルスについて、また、これからの世界について、日本の国について、小泉町教会のビジョンについて、各家庭の将来について…、「主よ、これは何でしょうか。主よ、分かりません。教えてください。」と。願わくは、神様との日々の対話の中で、神の国への将来の幻を描いていける神の家族となりますように・・・。シャローム!
0 件のコメント:
コメントを投稿