2019年12月24日火曜日

2019年 クリスマス礼拝 富山小泉町キリスト教会

12/21 (土) 子どもクリスマス 10:30-
12/22 (日) クリスマス礼拝 10:30- 
12/24 (火) クリスマスイブ キャンドルサービス 19:00-

* 駐車場ございます。お気軽にお越しください。




2019年12月12日木曜日

2019.12.8 牧師室便り


One Team(ワンチーム)~

「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。」(ヨハネ福音書1721

 今年の流行語大賞に「ONE TEAM~ワンチーム~」が選ばれましたね。全国民をラグビーの感動に目覚めさせたラグビーW杯日本大会での史上初のベスト8に進んだ戦いぶりを象徴する言葉でありました。日本でラグビーは、―これまではー、マイナーなスポーツのようで私もよく知りませんでしたが、今は国民から大人気を勝ち取りましたね。

とりわけ、今までは「ラグビー代表に外国人が多い」ことを否定的に捉える意見が多かったと思いますが、今回のラグビー代表の戦いぶりを通して、そのような意見は全く聞こえなくなったことに気がつきます。実際、ラグビー代表には6カ国の海外出身者が入り交じっているそうです。だからこそ、この「ワンチーム」という意識が最も大切にされたのではないでしょうか。まさに「ワンチーム」を合言葉にして結束力と競技力を高め、世界の強豪たちを突破していく姿を通して、みんなが心熱くしたのではないでしょうか。

聖書の御言葉においても、「One Team」へのメッセージが何度も記されています。中でも、主イエスは十字架にかかる前日、最後の晩餐の席で「すべての人を一つにしてください」と、祈られました。私たちが一つになることで、三位一体なる神の内にいることになるのです。今、私たちはクリスマスの季節を過ごしていますが、クリスマスこそ、父、子、聖霊の三位一体の神による恵みのプレゼントです。そして、三位一体の神の恵みと、愛とを受けたキリスト教会も同じで、キリストの体の各部分を成す一人一人が一つになることで、最も素晴らしい教会を形成することができるのです。私たちが一つになる時、父なる神にも、世界にも、喜びのプレゼントとなれるでしょう。シャローム!

2019.12.8 本日の宣教(執事宣教)


 『御救いをすべての民が知るために 』 ( 詩編6718)
 私は現在、地元南砺市の市議会議員が経営する農場「わかば農園」にお世話になっております。そこで主による様々な恵みを与えられています。日々の生活の中で思うことをお話します。ご承知のように農業は天候、天気に大きく依存し、影響を受けます。神様の恵みにより生かされております。特に田畑の快適さには神様の創造の業を褒め称えずにはいられません。夏の一番暑い時期でも爽やかな風に吹かれれば神様の御手の中、正に楽園にいるようです。自然に頭の中に讃美歌が聞こえて主のご臨在を覚えます。「天は主のもの、地は人への賜物(詩編115:16)」人にも恵まれ、社長や同僚だけではなく知り合う方々は皆優しい人ばかりです。主が彼らを愛し、救いを与えようと私をお遣わしになったのだと感じています。と言っても問題が無いわけでは有りません。現在の農業は科学肥料や農薬、除草剤無しには語れません。より自然に近い「奇跡のリンゴ」に代表される自然農法への移行はまだ先のことです。その道を阻む補助金にも少なからず思いが有ります。
 何よりも私の周りの方々は物質的に恵まれ、日々の生活に満足し神の救いに渇望を感じていません。皆様の周りの人々にも多く見られることではないでしょうか。主イエスの他に救いは有りません。『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)』災害や病により人の死に見聞きする度に福音伝道の緊急性を思わされています。愛する者や私自身がいつ終末を迎えるかわかりません。新しく知り合った方にはわたしがクリスチャンであることを早めにお伝えするようにしています。そうすると時々キリスト教について質問を受けることがあります。聞いている本人はそれほど考えていないかもしれませんが、私にとっては良い訓練です。10月の暗唱聖句「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。(第一ぺトロ3:15)」まだ福音を充分に伝えきれていませんが、惜しみ無く咎め立てしないで与えて下さる神様に知恵と導きを求めてまいります。


 昨年からわかば農園で干し柿の製造を始めました。地元の特産物の干し柿の伝承、維持の為です。そこで社長にその責任者になるように求められました。干し柿の製造はとても魅力的な仕事ではありますが、繁忙期がクリスマスに重なり信仰と教会生活に相容れないと考えお断りしました。私にとって仕事より信仰の方が重要です。主が共に居てくださるなら、どこでも生きられると気付かせてくれたのは、わかば農園です。主がわかば農園とそれに関わる全ての皆様を憐れみ救いへとお導きくださいますように。主の栄光が永遠にありますように。 
                                        S.S.兄
 

2019.12.8 小さな泉の恵み


 中村哲さんが天に帰られました。
アフガニスタンで現地の人々のために36年にわたり医療と井戸掘りを続けていたNGOペシャワール会の医師中村哲さんが124日に銃撃され運転手を含む5人の現地の方々と共に殺害されました。当初は、中村さんは負傷したということでしたが、首都カブールの病院に移送中に息を引き取りました。
中村さんは、九大医学部卒業後病院勤務を経て83年に日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)からパキスタンのペシャワールに派遣され、ハンセン病の患者の治療をされました。2000年にアフガニスタンで大規模な干ばつがあり、井戸を掘り農業用灌漑用水を各地につくり、これまで1600本という井戸と灌漑用水を現地人と一緒に作ったそうです。
中村さんは、九大医学部の時代に九大YMCAに所属していました。学生YMCAは、聖書研究を通してハンセン病療養所や炭鉱でのボランティア経験を積んでいきます。イエス様を主と仰ぎその弟子であろうとすること、それがYMCAのあり方であり、中村哲さんは、アフガニスタンという世界で最も危険な地域で活動を続けてこられました。とても残念で、悲しいです。中村さんの霊がイエス様に天に上げられ平安であること、ご遺族が慰められることをお祈りいたします。
                                                 S.S.兄

2019.12.1 牧師室便り


 ~ クリスマスを祝うために ~

「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」(Ⅰヨハネの手紙4:12)

 先週は、女性会の三姉妹と共に福井教会に行ってきました。福井教会の宣教支援に加え、クリスマスを迎えての福井教会の礼拝堂の掃除の奉仕をするためでした。

福井教会の礼拝は、いつものようにD兄の司会のもと、福井教会の一人の姉妹と共に恵みのうちに礼拝を献げることができました。礼拝後、その姉妹が準備してくださったイナリ寿司とお茶を美味しくいただきながら、心温まる交わりの時間を過ごしました。その後、三姉妹は礼拝堂内の本格的な掃除を、私は、持って行った草刈り機を使って教会の庭の草刈りを行ないました。一時間30分ほど、楽しく声をかけ合いながら、喜んで奉仕をすることができ、ピカピカになった礼拝堂とイス、靴箱、また綺麗になった庭を見て、みんな清々しい笑みを浮かべました。感謝!

今年の福井教会のクリスマスは、1214日(土)キャンドルサービスと15日(日)クリスマス礼拝を、金沢教会の田口先生と皆さんが奉仕してくださることになっていて、私も14日のキャンドルサービスで、賛美の奉仕をすることになっています。願わくは、一人でも新来者が与えられ、福井教会によきクリスマスプレゼントとなりますように…。

クリスマスは「愛」です。神が暗闇の世界で苦しむ罪人たちを救うために、人としてお生まれになった真の愛が現れた時であり、その愛を受けた者が、神を知らない隣人に、神の愛を表わす時がクリスマスなのです。ぜひ周りを見渡してみましょう。私たちの愛のプレゼントが必要な方はいませんか。“もらうより与える方が幸いです”…シャローム!

2019.12.1 本日の宣教


 『 主は陰府にくだり 』(ペトロの手紙一3:18~19、詩編139:7~10)

使徒信条を学んでいます。本日は、「主は陰府にくだり」について分かち合いましょう。

今まで私たちは「主は、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ」の学びを通して、罪人たちへの主イエスの愛と救いの確かな約束を、確認することができました。ところが、使徒信条は、更に続けて、「主は陰府にくだり」という告白を加えています。それでは「陰府にくだり」とは、どのように受け止めるべきでしょうか。使徒信条が書かれていた当時の人々の間では、まず、天には神が住んでおられ、人間は肉体の命がある間は地上に住み、死んだ人は陰府に行くのだというように考えられていました。そして、この「陰府にくだり」という告白は、使徒信条の土台となったローマ信条にはなく、後に追加されたものであると言われています

「陰府にくだり」という告白部分の聖書の根拠とされているのが、本日の聖書箇所です。「霊においてキリストは、捕われていた霊たちの所(陰府)へ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。」…実にこの箇所は、昔から、聖書の中で解釈の最も難しいところとされています。

それでは、使徒信条はなぜ「主は陰府にくだり」という告白を加えているのでしょうか。ドイツの神学者モルトマンは、この告白が加えられたのは、主イエスが、本当に死なれたことを確かな出来事として強調するためだったと語ります。すなわち、主イエスは、私たち人間と全く同じ死を経験された。そして、人間が行かなければならなかった死後の世界まで主イエス自ら下られた。だから主イエスの愛と救いの恵みが届かない所はどこにもないのだという信仰の宣言だったのです。天にも地上にも、そして死者の住むという陰府にまでも、主イエスは下って行かれ、救いの手を差し伸べるという確信なのです。「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。」(詩編1398…この確信の根拠には、「神が世を愛し、一人も滅びないように、永遠の命を与えるためである」という神の愛の熱情に対する信仰があるでしょう。
 主イエスは、私たちの生きている地上だけでなく、罪人が死んで行くべき陰府にまで下ってくださった。神から最も離れたところ、陰府においてさ迷い続けている罪人たちを憐れみ、その魂にまで伝道される。罪人たちを救おうとされる神の愛の熱情は測り知ることができないのです。ただし、「救い」の領域は、ただ神の領域であることを忘れてはなりません。また、“主イエスが陰府にまで下って宣教されるという言葉のゆえに、今は伝道しなくてもいいのだ”という姿勢を取るのは、主イエスの愛に逆らう愚かな態度であることを覚えましょう。主イエスの「折が良くても悪くても伝道し続け、救いに導きなさい」と命じられる御声に、生きている間に応答できる私たちでありますように…。ハレルヤ!

2019.12.1 小さな泉の恵み


~岡山便り~
いつも私たち家族のためにお祈りくださり、ありがとうございます。いろいろな課題がありながらも、皆様のお祈りに支えられ、主に守られて歩めていることに感謝しています。
 長男が、休みを取っての帰省中に、車の事故を起こしてしまいました。交差点で左側から来た車とかなり激しくぶつかりましたが、幸い双方ともに大きなけがはなく、守られたことに感謝でした。一時停止を見落とすという息子の初歩的なミスで、私も同乗していたのですが、息子の自動車の運転も上手になったなと安心して、油断していました。慌ただしい日々の中で、祈りもおろそかになっていたと、反省しました。
 相手がバイクであったら、大変な怪我をさせていたでしょうし、歩行者を巻き込むこともなく、大事に至らなかったのは、幸いでした。
 私の方は、軽い鞭打ちで、しばらく通院が必要ですが、これも休めという神様からのメッセージかもしれません。多くのことに心を乱さないで、必要なことはただ一つという初心に戻って、祈りつつ、何が大切で、何がしなくてもよいことなのかを神様に聞きながら、今回のことを反省材料に祈りを疎かにせず歩めたらと願っています。
                                    K.K.姉

2019.11.24 牧師室便り


 ~ 主の再臨の日を待ち望みつつ ~

「兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。(Ⅰテサロニケ51415)」

11月のリビングライフのテキストはヨハネの黙示録です。ヨハネの黙示録を黙想しつつ、主の再臨の日を生きるキリスト者としての生き方を新たにしているところです。古くからキリスト者たちへの問いかけの「もし主イエスが明日再び来られるならば、あなたは今日何をしますか。」にどう答えるかによって、私たちキリスト者の生き方と方向性が決まることをぜひ覚えましょう。

聖書は主イエスの再臨について確かな約束として記しており、世界はその日に向け刻々と進んでいることに気づく近頃です。とりわけ主の再臨が「盗人のように」やってくるという御言葉に対してキリスト者は常に目を覚まして備え、今日という日に最善を尽さなければなりません。マルティン・ルターが「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私は一本のリンゴの木を植える」と語ったように、焦ったり、怯えたりせず、毎日を主の再臨を待つように、常に最善を尽くすことです。また、その時と時期のことはすべて神の領域であることを認めつつ、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しながらキリスト者のアイデンティティーを失うことなく、聖霊に助けていただくことです。

とりわけ神の最高のプレゼントを受けたクリスマスの季節を迎え、神に愛された者として、すべての人に対して愛をもって接し、いつも善を行なうように努め、自分自身を隣人のプレゼントとするような日々を過ごしたいですね。

2019.11.24 本日の宣教(執事宣教)


『 兄弟会の使命 』(コリントの信徒への手紙二137)
 201711月、M兄が昇天されて空位になった兄弟会の会長を拝命して2年となりました。会長らしいことはなにも出来ず申し訳なく思っておりますが、主にある兄弟との交わりに大いに感謝しております。歳上の兄弟からは多彩な経験に基づいた助言や励ましを戴き、年若い兄弟からも学ばせて貰う事ばかりです。

執事のS兄からは助言や力を戴くことも多いのですが、彼は今、台風19号で千曲川の堤防が決壊し賛育会の多くの施設が被害を受けた後、300名の職員の雇用の回復と2400名の利用者が再び戻れるようにと奔走しています。甚大な被害からの建て直しに、多額な費用を必要としています。S兄は常に大きな働きを負っていますが、今は特に心の負担が大きいだろうと思います。兄弟の歩みに主が伴われ栄光が現されるように願っております。私たちに与えられた平安は主が共に居てくださるということであり、何も問題が無いと云うことではありません。(マタイ28:20)主の道はかえって山あり谷ありの険しい道程でありましょう。

神様は艱難や試練を用いて私たちをキリストに似た者につくり変えて下さるのです。(ローマの信徒への手紙8:29)又それと同時に戦っている兄弟を励ます事と重荷を担い合うことを求められます。(ガラテヤの信徒への手紙6:2)兄弟会もそうでありたいと思っています。苦しみの中にある兄弟の為に祈り励まし、共に働く。救いを得ていない信徒の家族の為に祈り執り成すなど小泉町教会の働きの一翼を担うことができるように共に成長できればと願います。

仕事の場で多くの人と知り合うことが増えました。いつの日か兄弟会を構成する人になって頂きたい方々です。彼らに伝えたいことは、イエス・キリストは全ての人の主であること。キリストの救いを必要としない者は一人もいません。私たちは皆、神の前で罪人だからです。(ローマの信徒への手紙3:10)愛する者たちが滅びることなく永遠の命へと導かれますように。御心がなりますように。主の栄光が永遠にありますように。
                                                                                        S.Y.兄

2019.11.24 小さな泉の恵み


 
「わたしは、愛するものをしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」(ヨハネの黙示録3:19)
 今の自分にとって大切な御言葉です。
東京時代、自分の欲望や、快楽によって大きな問題が生じ、今現在、自分を苦しめています。この事は、以前から、分かっていた事で、避けては通れない事だともわかっていました。分かっていながら、避けて通っていました。今、この問題を解決すべく、色んな方で良い解決に導かれるようにやっております。
 この問題を、きっと神様からの試練だなぁ。と感じ勇気を持って取り組んでいます。この時、初めて神様に、「過去、自分が犯した罪で、今まで解決しようとせず逃げていました。その結果、今こうして、大きな問題になってしまいました。どうか、良き解決に導かれる様、又、この問題だけではなく、これから起こりうる困難に立ち向かえる勇気を自分に与えてください。」と祈りました。
 「今の問題が解決したら、それでお終いってことがない様、見守ってください」とも祈りました。
今まで、自分中心の生活から、神様中心に生活を変えるチャンスだと思い、神様に感謝し生きていこうと思いました。試練を与えてくれた神様に感謝、皆様に感謝です。
                                    Y.H.兄
 
 
 
 
 

2019.11.17 牧師室便り

~朝ごとに新たに~

「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。           「あなたの真実はそれほど深い。」(哀歌32223

先週は日本バプテスト連盟定期総会に参加しました。今年も全国から300人以上の代議員が集い、「朝ごとに新たに」-これからの協力伝道-という主題のもと、連盟の一年間の歩みを振り返り、次年度の計画について話し合い、これからのバプテスト連盟の進むべき方針と事業などを承認し、熱く語り合いました。バプテスト教会にとって「総会」は、最高意思決定機関としての権威をもっています。

とりわけ今年も「山鹿新生教会、多摩みぎわ教会、西福岡のぞみ教会」の3つの教会が新たに連盟に加盟する喜びがありました。それぞれの教会が大変な状況の中で信仰と希望をもちつづけてきたゆえの恵みであったため、諸教会のみんなも大きな拍手をもって喜び祝うことができました。

また、H先生、M先生、S姉などに会うことができたのも喜びでした。H先生には来年行われる伝道開始60周年の時の講師としての正式なお願いをしてきました。M先生には牧会3年目で浮き彫りになってきた牧会者が抱くべき様々な課題について語り合い、執り成し合う時がもたれました。それから、O教会の代議員として初めて総会に参加したS姉の生き生きとした姿に感謝を覚えました。感謝!

神の家族の皆さんにぜひ祈っていただきたい課題があります。まず、経営悪化により、連盟の修養場としての存続が危うくされている天城山荘のために。また日本バプテスト連盟に連なる諸教会の宣教活動の行き詰まり打開のために来年開かれる「宣教会議」のために。最後に、日本バプテスト連盟の諸教会が財政や人材、プログラムなどに心を奪われることなく、何よりもまず聖書信仰に立ち返り、聖霊に導かれて進みますように祈りましょう。シャローム!

2019.11.17 本日の宣教


『コラムデオ』~神の御前で~出エジプト35、詩編139110)

  ラテン語に「コラムデオ(Coram Deo)」という言葉があります。「神の御前で」という意味で、常に神の前に立って生きるという信仰を表す言葉です。宗教改革を成し遂げようとしていた人々が交わしていた言葉でもあります。

「神の御前に立って生きる」とは、荒野の燃え尽きない柴を通して現れた神の前にモーセが立った時、「あなたの立っている場所は聖なる土地だから、足から履物を脱ぎなさい」(出35という御言葉に履物を脱いだ、そのモーセの従順に続こうとする人の姿です。神の御前に立つというモーセの実存の経験は、彼の全生涯において神を意識して歩む生き方となりました。まさしく神の御前に立つことを経験した人は、尋ねる者から答える者として、神を問う者から神に問われる者として生きる生活の転換を迎えることになります。

 神の御前に立つ者としての信仰姿勢が最もよく表れているのが、「詩編139編」であると思います。詩人ダビデに迫ってくる創造者なる神の働きに対してのダビデの信仰告白に耳を傾けましょう。

 まず、創造者なる神は、私たちの考えや計画、行いをすべて知っておられる方です。神の御目はいつも私たちに向けられ、すべてを知っておられます。座るのも、歩くのも、伏すのも、また弱さも、恐れも、不安も、計画も、思いもすべて。しかし、神はそれらを責められるお方ではなく、私たちのあるがままを受け入れ、抱きしめてくださるのです。ある面、このような神の働きに恐れを覚え、監視されるような不安に捕らわれることもあるでしょう。しかし、愛する子どもを助けようとする親のように一時も子どもから目を離さない優しい神であることを詩人は教えています。

 次に、神はいつどこでも子どもたちと共におられるお方です。詩人は自分自身の弱さのゆえに神から逃れ、隠れようとしますが、天に昇っても、陰府に横たわっても、海のかなたにいても、神は時間と場所に関係なく、いつも存在され、御手をもって捉えてくださるお方であると告白しています。人の人生は創造者なる神の御前にあります。ひとりも例外はありません。そのことを悟る時、人は自分が神に大事に愛されている存在であること、自分への神のご計画の素晴らしさに気づくことになるのです。
 本日は子ども祝福式、私は望みます。小泉町教会の子どもたちがいつどこにおいても神の存在に気づき、常に神の御前に立つ者としての意識をもって歩むことを!神の御業のために用いられた信仰の先輩たちがこぞって身につけていた姿勢こそ、「コラムデオ」神の御前で生きる生き方を貫くことでした。今の時代こそ、悪しき者が子どもたちの目と耳と心、すべてを揺さぶろうと試みる時代であると言えましょう。この時代であるからこそ、「コラムデオの信仰」を子どもたちに教えるのです。そのためには、まず親なる皆さんが常に神の御前に生きる者としての模範を示すことです。小泉町教会の皆さんお一人お一人も「コラムデオ」と声を上げ、神の臨在を喜ぶ日々を過ごしましょう。ハレルヤ!

2019.11.17 小さな泉の恵み



  秋晴れの日や雨が降って寒い日が交合につづく今日この頃です。今年も残り少なくなってきましたね。
妹が介護施設や病院に入院している頃は毎日のように見舞っていました妹を天に送りほっとした様な寂しいような複雑な気持ちです。又、従姉妹が心筋梗塞で入院したり最近は暗いことばかりです。
  私も77才、私達人間は長生きして100年くらいの人生です。
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」(ヨハネ手紙一49 とあります。今後の人生、神様の愛を一杯受けて明るく生きて行きます。

 もうすぐクリスマスですね。たくさんの人にイエス様の愛を知らせましょう。ハレルヤ。
                          N.Z.姉