2024年6月23日日曜日

2024.6.23 牧師室便り

 ~  小さな群れよ ~

先日、計5名の神の家族が、能登被災地支援のために能登町Y公民館に視察に行って参りました。感謝なことに、今回の旅で出会った方々や交わりの中で定まったことが、以前から神の家族と共に語り合い、祈ってきた通りであったことに驚きながら、すべての上に神が伴われたことを確信することができました。

私たち小泉町教会は本当に小さな群れです。この小さな群れが「小さな泉の村」や、今回の「能登災害地支援」という活動など、社会的な弱者のために仕えるということは、そう簡単にできることではありません。しかし、神は本当に小さな群れである小泉町教会を用い、地の塩、と世の光としての夢を抱いておられることを讃美します。

「小さな泉の村」のことを振り返りますと、神はS姉に御心を示され、多くのボランティアと時に適った恵みの業を通して、もう9年間、今日に至るまで恵みの奇跡を成し遂げてくださいました。すべてが恵み、すべてが神の助け、すべてが誇りでした。もし、これまでの働きが人による働き、人の義を示そうとした働きであったならば、ここまで続けることはできなかったでしょう。

ここで一つ確かめるべきことがあります。それは、私たちにできることは、人々のためにたくさんの食事を作ってあげたり、お金を持って苦しむ人々の生活を支えたりするということではありません。ただ、すべては聖霊の助けと力をいただかなければ、私たちは何もできないということです。

小泉町教会の神の家族一人ひとりが、まず、聖霊の力を受けること、そのために、ぜひ祈祷会に集い祈りに力を合わせてくださいますように…。聖霊は、私たちの思いを一つにし、一人ひとりに賜物を与え、新しい御業を成してくださるでしょう。シャローム! 

「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ12:32)」



2024.6.23 本日の宣教

   『 自然を愛する 』  

                        創世記 1章20~23節

神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。

北海道にある酪農学園大学の建学の精神は、「神を愛し、人を愛し、土を愛す」です。この言葉は、三愛精神と言われ、大正・昭和に活躍したキリスト教社会運動家である賀川豊彦が農村伝道に用いました。もとはデンマークの牧師が18世紀に提唱した思想に由来しているそうです。

私は、神が「良し」とした「自然」を「土」に変えて言い換えたいと思います。もともと「土」は、祖国を改訳したもので、デンマークの民衆のための学校で用いられた農民伝道思想から来ているそうです。

私は、東京で生まれ育ったのですが、子どものころから近所の池や森で遊ぶことに夢中になり、ほとんど自宅では勉強をしませんでした。学校から帰宅するとランドセルを玄関に放り投げて、四手網という四角に広げられる網とバケツをもって、家から歩いても5分ぐらいで行ける神社の池に走って出かけていきました。池に着くと、この網を拡げて、裸足で池に入り、石の下や水草の所に四つ手網を仕掛けて、そこに足で追い込むと、ザリガニや魚などが沢山採れました。玉網と四つ手網は、池や川で遊ぶ必需品の一つでした。

私は、釣り好きで知られていますが、初めて釣りをしたのは小学3年生でした。当時は、雑貨屋で結び目に赤い塗料を塗った袖針が3本くらいのセットで、針を三角形に折ったセロファン紙に包んであって、5円くらいだったと思います。道糸も安い糸で竹ののべ竿を買ってったと思います。道糸も安い糸で竹ののべ竿を買って神社の池に釣りに行きました。

初めてつり針を買った日のことを忘れることができません。その夜釣り針を拾う夢を見ました。釣り針を拾い、ワクワク、ドキドキして釣りに行こうとするのだけども、母親に買い物を頼まれたりして、なかなか行けず焦れったく思っているうちに、その釣り針を無くし探し回って絶望的になったような夢でした。その時から釣りに行こうとして行けなくなると、精神的なダメージとストレスで自分が自分でなくなるような感じになるのです。「先天的な」釣り好きで、これも神様から与えられた「賜物」なのでしょうか。

ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネは、ガリラヤ湖でイエス様が「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」という呼びかけに網を捨ててイエスに従いました

パウロは、「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。」

釣り好きで、弟子たちやパウロのようにはなれない自分自身であります。釣りに行かないとストレスがたまるのですが、同時に釣りに行く度に後ろめたさを感じます。神様は、そんな自分を「良し」と言ってくれるでしょうか?


                        島田 茂


2024.6.23 小さな泉の恵み

 ~病気予防には賛美!?~  

先日、テレビの情報番組で、高齢になるに従って誤嚥(ごえん:食べ物や水分などが誤って気道から肺に入ること)する率が高くなり、それが原因で起こる代表的な病気は肺炎だと伝えていました。肺炎は、日本での死亡原因の3位になっています。そして、その中でも、誤嚥性肺炎が多いそうです。

誤嚥の原因の多くは、年齢を重ねるうちに飲み込んだり、吐き出したりする筋力が弱くなるためで、のどの筋力を高めるために有効な方法の一つとして、大きな声で歌うことが挙げられていました。それを聞いてすぐに、私たちが毎週必ず歌う讃美歌を思いました。

讃美は神様が大いに喜ばれる捧げものです。皆で、心からの賛美を力強く主のみ前で、賛美していたことが、病気の予防にもなっていたんだ!と、とても嬉しくなりました。

礼拝は頂くものではなく捧げるものです。讃美歌を歌うことで、日々元気を頂く私ですが、主にその恵みと喜びと感謝を生きた礼拝の捧げものとなるように、聖霊様の導きにより賛美をしています。そして何よりも兄弟姉妹と共に声を合わせて歌い、主に捧げる幸いを想います。

主に愛されている富山小泉町キリスト教会の礼拝堂に、美しく力強い讃美が、これからも永く響きわたりますように。       

                           S.Y.姉


2024.6.16 牧師室便り

  ~ 厳しい真夏日を迎えつつ ~

先週は30℃を超える暑さが続きました。いよいよ真夏に突入ということでしょうか。気象庁による今年の夏(6〜8月)の天候の見通しでは、地球温暖化に加え、南米ペルー沖の海面水温が上がるエルニーニョ現象の影響で、全国的に気温が高くなり、猛暑日が増えると予想されています。

実は、毎日1回だけ水やりをしていた花壇に、先週からは2、3回水やりをするようになりました。もちろん暑さのせいです。6月上旬までは雨もよく降っていたし、それほど太陽の日差しも強くなかったので、1日1回の水やりで十分でした。しかし、先週に入ってから花壇に水をやると、あっという間に土が乾いてしまい、2回以上に増やしています。そして猛暑日が続く時には、1日3、4回に増えていくことになるでしょう。それでも土や植物は足りないと訴えているかもしれませんね。

それと同時に、神の家族の皆さん、とりわけ高齢者の皆さんがこの厳しい暑さのために体調を崩してしまうのではないかと心配しています。願わくは、聖霊の爽やかな風と命の雨が神の家族一人一人の上に注がれますようにと祈ります。

地球温暖化の影響によって私たちの生活も大きく変わっていますが、それに振り回されて生活が崩れてしまうことがないように、信仰と心を定めたいものです。

これから小泉町教会は夏のプログラムを行うことになります。夏のファミリーキャンプやさまざまな働きが予定されています。ぜひ、この厳しい夏に負けず、与えられた日々を感謝しましょう。聖霊によって熱く燃えつつ、霊肉ともに強められ、神様との交わりがさらに深められる小泉町教会のお一人お一人であるように心からお祈りします。

最後に、厳しい真夏日を迎えつつ、キリスト者として忘れてはならない事実。…花壇の土と花たちが命の水を求めるように、神の家族の皆さんも霊的に渇きを覚えつつ、毎日聖霊なる神との交わりを通して命の水をいただきましょう。ディボーション(御言葉の黙想)を通して、祈りを通して心と魂が潤い、喜びと感謝が溢れますように、心から祈ります。シャローム!



2024.6.16 本日の宣教

  『 互いに弱さを誇りましょう 』    

                 コリントの信徒への手紙二 12章9~10節

父の日、おめでとうございます!

日本や韓国のような儒教的文化の国々において、父はいつも孤独な存在です。社会に出ても、家に帰っても、弱音を吐くことができず、重荷を背負って働き続けるのが父のイメージでしょう。

私はよく娘から「パパはいつ泣くの?パパが泣く姿を一度も見たことがない!」と言われます。しかし私も、ドラマや映画を見ながら悲しい場面や感動の場面があると当然涙を流しますし、特に一人で祈るときはしょっちゅう泣きます。イエス様の十字架の前にひれ伏すと自然に心が熱く燃え始め、神の愛が波のように押し寄せてきます。そうするうちに自分の弱さと罪深さを告白し、聖霊に包まれ、自分の罪と汚れ、弱さが癒され強められる恵みをいただき涙を流すのです。

使徒パウロは、もともとこの世における価値観からすれば誇るべきものをたくさん持っていた人でした。最高の家柄、最高の学歴、最高の働きなど、自分には弱いものがあってはならないという姿勢を貫いていた人でした。しかしイエス・キリストの十字架に出会い、彼自身がいかに深い罪人で、いかに弱い存在であるかに気づいてからは、強がることをやめました。そして彼はいつもイエス・キリストの十字架を見上げ、その十字架から注がれる恵みに浸される日々を過ごすことになりました。そして、いつの間にか「自分の弱さを誇ります」と告白するようになったのです。

さらに、自慢すべきあらゆる誇りのすべてを塵芥のように見なし、イエス・キリストの十字架、その十字架によって示される弱さこそが本当の強さであり、神の恵みであることを証ししています(フィリピ3:8)。

日本社会では、強さや成功がしばしば称賛されます。しかし、聖書は逆説的に、弱さを通じて神の力が完全に現れると教えています。私たちが自分の弱さを認めるとき、神の強さと助けを求める謙虚な心が生まれます。この謙虚さこそが、神の恵みと力を受け入れるための重要な要素です。
私たちは、パウロが告白しているように、「神の力は私たちの弱さの中でこそ十分に発揮される(9節)」ことを知るのです。私たちが自分の弱さと限界を感じ、そのままを神の御手にゆだねるとき、そこから神の無限の力が働き始めます。このことは、私たちが自分自身の力や知恵に頼るのではなく、神にすがり神に依存することの大切さを教えてくれます。
主イエスは今ここにいる神の家族一人一人に、また父の日を迎える兄弟方に、神の前で弱くなりなさい、互いに弱さを誇り合いなさいと勧めておられます。もしかすると、「神の前には弱さを誇れるけど、人の前では弱さを見せたくない」と考えている人がいるかもしれません。しかし主イエスこそ、御自身の弱さを弟子たちと分かち合われ、弱さの象徴である十字架を通して神の御業を成し遂げられたことを忘れてはならないでしょう。
願わくは、互いに弱さを語り合い、支え合える小泉町教会の群れであるように、またパウロが示すように、互いに「弱いときにこそ、強い」という信仰による逆説の恵みを経験し、素晴らしい主の栄光を周りに流すことができますように。…「互いに弱さを誇りましょう。」
ハレルヤ!

2024.6.16 小さな泉の恵み

 私は待っています。

肩、肘、手首の痛みがなくなって、普通に生活することができるのを。

私は待っています。

主人が救われて、クリスチャンホームに なれることを。

私は待っています。

教会にたくさんの子供たちが集ってきて、溢れる笑顔を見せてくれることを。

私は待っています。

教会の求道者の方たちが、主こそ本当の 救い主だ信じる事ができるのを。

私は待っています。

この教会で沢山の人達と共に礼拝できる ことを。

私は待っています。

世界で戦争がなくなって、主からくる平 和が訪れることを。

私達は、主に心を込めて祈り、神の御心 を行うことに専心したら、あとは信じて 神の時を待つしかない。

「人は心に自分の道を思い巡らす。  しかし、その人の歩みを確かなものにするの は主である。箴言16章9節」。

                            K.K.姉

2024.6.9 牧師室便り

 ~ 突然の体の異常を前にして ~

先週の月曜日、夜眠ろうとした時、突然、鼻から目、左の頭に痛みが走りました。今まで経験したことのない、妙な痛みでした。その後、冷汗が出始め血圧が上昇し、吐き気がし始めました。人生の中で冷汗が出たり、船酔いや車酔い以外に吐き気がしたりしたのは稀なことでした。体の異常に不安を感じながら消化剤を飲み、温かいお湯で体を温めてから、しばらく時間が経って、ようやく体が落ち着き、眠ることができました。しかし、やはり初めての頭の異常でしたので、不安の中での眠りでした。

翌朝起きてみると、特別な症状はなく、体も正常であったので、安心して普段の生活に戻りました。それから数日が過ぎ、ケアーマネージャーをされているある姉妹に私の症状について尋ねてみたら、「先生、それは脳梗塞の症状ではありませんか?病院に早く行った方がいいですよ」と言われました。「脳梗塞」という話を聞いて、脳のMRI検査を受けるために早速病院を訪ねました。MRI検査も人生初めてのことでしたので、緊張しながら大きな機械音の中での約20分間に及ぶ検査を受けました。

検査の後、医者からはMRIの写真から見える血管や脳には特別な異常は見当たらないと、50代半ばの年齢の一般的な状態であると言われました。しかし、今回の症状の原因に関しては分からないとのことでした。

先週から今週にかけての騒がしい出来事が終わり、もう済んだことだったので皆さんに言わなくても良いことですが、ぜひ皆さんにお祈りしていただきたく牧師便りに明かしました。ぜひ、牧師の健康のために、牧師家族のためにお祈りくださいね。また、今病床にある神の家族のためにも引き続き執り成し祈ってください。神の家族が互いに執り成し合うことがいかに大切であるかということを共に分かち合いましょう。

年を取るに連れて、体の機能もだんだん弱くなっていきます。特に小泉町教会のご高齢の方々のことを思うと、皆さんの健康が気になる近頃です。互いに気を配りつつ、執り成し合うことを心がけましょう。弱さも強さも分かち合いつつ、キリストの体である教会を健康な体へと作り上げていきましょう。シャローム!



2024.6.9 本日の宣教

 『 いつでも備えるべき希望 』 

                         ペトロの手紙一 3章 15~16節

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。(使徒1章7節)」

ギリシャ語の言葉で、“マルトゥス”、つまり証人という言葉があります。これは主イエスが弟子たちに期待しておられた使命を現した言葉でもあります。この言葉は法廷用語として「証人、証言をする人」という意味を持ちますが、もともと「殉教者」という言葉から来ています。つまり、証人というのは、命をかけて自分の知っている事実を証言する人なのです。

それでは、キリスト者が証人として命がけで伝えるべき証言の内容は何でしょうか。それは、「イエス・キリストが主であること、イエス・キリストが十字架にかかり死なれたことによって、私たちのすべての罪を贖われたこと、そして3日目に死から復活されて今も生きておられる方であること、さらに主イエスを通らなければ救いの道は得られず、主イエスを信じることによって永遠の命が与えられ、神の国が約束されている」ということです。私たちはこの福音の知らせを伝える証人です。主イエスはその一人の証人を喜ばれ、その人を通して新しい神の子どもが誕生し、その人がまた一人の証人を育て、そこでまた新たな一人が生まれ、神の国は広がっていくのです。ここに神のビジョンと情熱が示されています。そして、父なる神は、そのビジョンと情熱を聖霊の感動を通して、今ここに集っている私たちにも与えてくださったのです。

「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。(ローマ10章14節)」

 本日の御言葉の中でペトロは、自分のうちにある希望について説明を要求する人には、「誰にでも、いつでも」弁明できる備えをしておく必要があると教えます。まさに、ローマの統治下にあった当時、暗闇の世界に生きる未信者の人々は、厳しい試練や迫害のただ中に置かれながらも「生き生きとした希望」に満たされて生きている初代キリスト者の姿を見て不思議に思い、「その信仰について、生き方について、またその希望について」尋ねることになったのです。

そうです。キリスト者はその時のために、いつでも弁明できるように備えをしておかなければなりません。ここで言う「弁明する」とは裁判用語で、受動的な弁明や弁護ではなく、積極的に確信している福音について明確に告げることを意味します。しかも、弁明の時の姿勢として、「傲慢にならず、常に穏やかに、敬意をもって、正しい良心で」、神と人の前でふさわしい姿で弁明すべきであると示しています。

本日は、宣教の時間を用いて福音伝道の実際の例を分かち合いたいと思います。今まで伝道したくても何を伝えるべきか、分かりやすく伝える方法はないのかと悩んでいた方々に良いヒントとなりますように…ハレルヤ!

             

2024.6.9 小さな泉の恵み

 5月の連休が明けた頃から左の肩甲骨下部に痛みを感じるようになりました。4月末にタケノコ掘りに行き、慣れない鍬を半日使っていたので、筋肉痛かと思い、あまり気にしないでいました。次第に時折左胸にも鋭い痛みを感じるようになり、左腕を前に伸ばすと腕にも痛みが走りました。深呼吸をしても痛むので、6月になり月曜日にようやく整骨院に行き、肉離れである事が分かりました。もっと早く行けば良かったのですが、自分でストレッチングをすればそのうち治るだろうと考えていました。紹介された整骨院では、肉離れの箇所全体を立ったままで幾つかの動作を先生に指示されて治療が始まりました。不思議に痛みはやわらぎました。

5月に70歳になり、近くのかかりつけの病院で市負担の健康診断を受けました。血圧の数値が高く眼底検査を受けるように指摘されて眼科にも行きました。以前より緑内障の兆候もあり数年に一度検査をしているのですが、今回も症状には出てはいないのですが数値が悪化していました。

思えば40歳の頃に突然腰が曲がらなく

なる化膿性椎間板炎という重い病気になりベッドに寝たきりの状態での入院生活が始まりました。全身を走る激痛の中で神様に向き合い静かに一人祈る貴重な日々を与えられました。1年間の入院を要するという診断でしたが、神様の恵みによって3ヶ月で腰の骨が再生し、半年後には自分で歩けるまで快復しました。生かせていただいた人生なので、70歳を機に自分の身体に医学的に向き合って身体を新たにし、これからの人生を生き生きと歩みたいと願います。

                              島田 茂

2024.6.2 牧師室便り

 ~ 近くにいる人も、遠くにいる人も ~

小泉町教会の平日の諸集会には、遠く離れている方々がZoomを通して共に集っています。神奈川県のA姉と岡山県のKご夫妻がそうです。引っ越しによりやむを得ず遠く離れていますが、同じ信仰を共有し、互いに励まし合う神の家族としてインターネットでつながることは大きな恵みです。

富山という地域を離れることで自然にその関係が切れてしまうのではなく、インターネットの画面を通した交わりではありますが、皆さんが小泉町教会の交わりと聖書の学び、祈りの輪に加わろうとする熱い思いと聖霊の助けによってつながっていることを確認することは牧師にとって大きな励みになります。

神の家族の皆さんもぜひ、火曜日の楽しい聖書の学びと、水曜日の午前と夜に行われる祈祷会に集い、恵みを分かち合おうではありませんか。コロナによって大きな痛みを受けた小泉町教会ですが、その代わりに得たZoomやYouTubeによる交わりは痛みの中の一つの慰めとなりました。

願わくは、A姉やKご夫妻のみならず、富山以外の地域に住んでいる神の家族の皆さんも、ぜひZoomにつながってください。そのことによって恵みの輪を広げる喜びに加わっていただけるでしょう。聖霊は、私たちが離れていても一つにまとめてくださり、豊かな実を結ばせてくださるでしょう。神の家族一人ひとりの祈りと参与をお待ちしています。皆で、神様が備えてくださった恵みの実と糧をいただきましょう。心から愛し祝福します。シャローム!

 



2024.6.2 本日の宣教

 『 愛から始めよう 』   

                    コリントの信徒への手紙一 13章 1~3節

コリントの信徒への手紙 一 12章から14章までは、一つのまとまりとして、コリント教会が直面していた霊的な賜物に関する問題を扱っています。そして、サンドイッチのように挟まれている13章は愛に関する内容が強調されています。

当時、コリント教会には、知識と知恵の賜物、異言の賜物、癒しの賜物、預言の賜物など、あらゆる神秘的な賜物を持っている人たちがいました。そこで、その賜物をいただいた者たちはそれぞれの賜物について背比べをするところまで陥っていたことが分かります。コリント教会の信徒たち、とりわけ霊的な賜物を持っていた人々は、自分が持っている賜物を誇ったり、また他の人の賜物について裁いたりしていたのです。

そこでパウロは、これらの賜物の目的について語っています。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。(12:27)」 …賜物の目的こそ、キリストの体なる教会を健康に建てあげることであり、そのために一人ひとりに与えられたというのが賜物の本来の目的であったのです。

そこで使徒パウロは、「あなたがたに最高の道を教えます。(12:31)」と語りながら、「愛(アガペー)」を提示します。すなわち愛とは、教会共同体を成す一人ひとりが、自分に与えられている賜物を教会共同体の成長のために用いることができるようにすると共に、それぞれの賜物をより優れたものにするために与えられている神からのプレゼントであり、神御自身であるということです。すなわち、「最高の道である愛を生きる」ことは、愛なる神と一つとなって生きることを教えているのです。

だからパウロは本日の御言葉を通して、いかに優れていて目立つような聖霊の賜物であっても、そこで「愛」なしに行われる時、その行為は空しいものになってしまうし、何の価値も見出すことができないことを告げているのです。その通り、すべての賜物が発揮されるためには、まず愛が備えとして与えられなければならず、愛の上でこそ、すべての賜物が本来の目的を果たすことができるのです。愛が伴わないどんな優れた賜物もかえって神の業の妨害となり、神の栄光が表れなくなるのです。これが、パウロがもっていた確信でした。

本日の御言葉は私たちに告げます。どれほど偉大な業を成し、わが身を死に引き渡そうとしても、愛がなければ私たちには何の益もなくなるのです。

2024年度、能登災害支援や福音伝道の働きを前にし、また「主の憐れみに生きる教会」という主題のもと、新しい歩みを始めようとする小泉町教会の神の家族の皆さん、愛から始めましょう。私たちのすべての行いと奉仕、私たちのすべての献身が、この愛、イエス・キリストという愛から始まる時、神の国の豊かな実が結ばれるでしょう。ハレルヤ!



2024.6.2 小さな泉の恵み

 聖書にはある選択がその後に大きく影響を与える話が幾つも描かれています。ひとつの家族の物語が歴史に影響を与えたり、親の信仰や不従順から子らに恵みや幸い苦難がもたらされたりと。私たち夫婦にもその後に影響を与える事件が新婚旅行でありました。現地フランスで大手旅行業者の添乗員が言います。「明日は二つのコースからひとつをお選び頂きます。ひとつはルーブル美術館でもうひとつはベルサイユ宮殿です。」妻に「勿論、ルーブル美術館だよね。」「だめよ!私は『ベルサイユのばら』で育ったベルばら少女だったの。絶対にベルサイユ宮殿。(妻)」初めての夫婦喧嘩の勃発です。暫くどちらも譲らず険悪な状態が続きました。そこで「それならあんた一人でベルサイユ宮殿に行けよ。俺はその後に付いて行くから。」と。私が譲って事なきを得ました。しかし「ベルサイユ宮殿」だけ付いて行くと言ったはずが、その後二十六年妻のあとを付いてきました。あの日あの時の選択は正解だったのか?万事を益としてくださる方に委ねつつ。

 June Brideー6月の花嫁は幸せになる。二人で歩み始める道が豊かな恵みで満たされますように。

「主はあなたのために、御使いに命じてあなたの道のどこにおいても守らせてくださる。(詩編91:11)」     

                            S.Y.兄