2024年6月23日日曜日

2024.6.2 本日の宣教

 『 愛から始めよう 』   

                    コリントの信徒への手紙一 13章 1~3節

コリントの信徒への手紙 一 12章から14章までは、一つのまとまりとして、コリント教会が直面していた霊的な賜物に関する問題を扱っています。そして、サンドイッチのように挟まれている13章は愛に関する内容が強調されています。

当時、コリント教会には、知識と知恵の賜物、異言の賜物、癒しの賜物、預言の賜物など、あらゆる神秘的な賜物を持っている人たちがいました。そこで、その賜物をいただいた者たちはそれぞれの賜物について背比べをするところまで陥っていたことが分かります。コリント教会の信徒たち、とりわけ霊的な賜物を持っていた人々は、自分が持っている賜物を誇ったり、また他の人の賜物について裁いたりしていたのです。

そこでパウロは、これらの賜物の目的について語っています。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。(12:27)」 …賜物の目的こそ、キリストの体なる教会を健康に建てあげることであり、そのために一人ひとりに与えられたというのが賜物の本来の目的であったのです。

そこで使徒パウロは、「あなたがたに最高の道を教えます。(12:31)」と語りながら、「愛(アガペー)」を提示します。すなわち愛とは、教会共同体を成す一人ひとりが、自分に与えられている賜物を教会共同体の成長のために用いることができるようにすると共に、それぞれの賜物をより優れたものにするために与えられている神からのプレゼントであり、神御自身であるということです。すなわち、「最高の道である愛を生きる」ことは、愛なる神と一つとなって生きることを教えているのです。

だからパウロは本日の御言葉を通して、いかに優れていて目立つような聖霊の賜物であっても、そこで「愛」なしに行われる時、その行為は空しいものになってしまうし、何の価値も見出すことができないことを告げているのです。その通り、すべての賜物が発揮されるためには、まず愛が備えとして与えられなければならず、愛の上でこそ、すべての賜物が本来の目的を果たすことができるのです。愛が伴わないどんな優れた賜物もかえって神の業の妨害となり、神の栄光が表れなくなるのです。これが、パウロがもっていた確信でした。

本日の御言葉は私たちに告げます。どれほど偉大な業を成し、わが身を死に引き渡そうとしても、愛がなければ私たちには何の益もなくなるのです。

2024年度、能登災害支援や福音伝道の働きを前にし、また「主の憐れみに生きる教会」という主題のもと、新しい歩みを始めようとする小泉町教会の神の家族の皆さん、愛から始めましょう。私たちのすべての行いと奉仕、私たちのすべての献身が、この愛、イエス・キリストという愛から始まる時、神の国の豊かな実が結ばれるでしょう。ハレルヤ!



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