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どうも高齢になると体調が悪くなるといろいろのことを思う時がある。
ここ二,三年は起伏の多い年である。今年も電光花火のように歳月が流れもう一年は終わりますが、その間悲しいことや嬉しいことが交々のことが多くあり、なおさら早く過ぎたような感じがします。
自分のことを言えば、11月の中ばより、軽いセキ・のどの痛み、身体のだるさがありそれが大したことがないだろうと思っていたらだんだん重くなりそれが長い間発病しなかった坐骨神経痛が併発して歩くのも苦痛、セキと微熱・神経痛に襲われ、神様は大変な試練を与えてくださいました。家で静かにしていていよいよ私にも神様がお迎えが近いのだと考え、もう教会の皆様には会えないのかと淋しい思いをしておりました。
過日の聖日体調が少し良くなったので、出席。久しぶりに皆様の顔をみていると自然に体が良好になり。普段と変わりなく体調良好。
感謝しております。今年は令和になっての最初のクリスマスも無事に終了。今年もあとわずか。
昔の人はいいました。
これは神様からもらった生命を素直に頂いていくもの。私もそういう言葉で自然体に進みたいと思います。
A.M.姉
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2020年1月13日月曜日
2019.12.29 小さな泉の恵み
2019.12.22 牧師室便り
~キリストと食事会を!~
ウォーレン・バフェットという世界一の投資家で金持ちである人のことをご存知でしょうか。彼は今から20年前の2000年のある日、“自分と二人だけで昼食会ができる権利をオークションにかけたい!”という驚くべき企画をしました。第一回目の昼食会に落札された人が出したお金はなんと3百万円であったそうです。神の家族の内に一回の食事に300万円の代金を払って食事できる人はいるでしょうか。・・・興味深いことに、2000年から毎年行われたその昼食会は今年で20回を迎えることになりましたが、年々その落札価格が上がっていき、今年ウォーレン・バフェットさんとの昼食会の落札価格が日本の円で約5億円にまで上ったそうです。本当に驚きです。
一般人は普段、百万円というお金も手にすることさえ難しいのに、ささやかな食事とウォーレン・バフェットとの3時間ほどの時間を共に過ごす、たった一度の昼食会のために5億円を払ってまで、ウォーレン・バフェットという人と交わりたいという選択をする人もすごいと思いますよね。そこで、さらに驚くべきことは、過去20年間、バフェットと昼食をする権利を得た人々のうち、誰一人自分が出した昼食会のお金を惜しまなかったということでした。本当に驚きの連続です。ちなみに落札されたお金は全額、慈善団体に寄付されるそうです。
本日、ウォーレン・バフェットさんとは比べられないほどの金持ちで、最高の知恵と力をもっている方が皆さんに会いたい!と望んでおられます。その方こそ、天地万物を創造され、あなたと私を救うために命まで捨ててくださり、永遠の命をプレゼントとして与えてくださるイエス・キリストです。クリスマスは命のパンとして私たちのうちにやってこられたイエス・キリストを迎え入れる時です。そして、主イエスに会うために必要なものは、金や銀ではありません。素晴らしい名声でも、地位でも、知識でもありません。主イエスが求められるのは、ただ貧しく悔いる心、また、その方に会いたいという飢え渇く謙遜な心です。それだけでいいのです。神の家族の皆さんは主イエスの食事会への招きに応答できますか。
2019.12.22 本日の宣教
『 主に喜ばれる贈り物を献げましょう 』 (マタイによる福音書2:9~11)
あなたがイエス様のお誕生のプレゼントをするのであれば、どのようなものを献げられるでしょうか。宇宙万物を造られ、すべてを所有された方にどのような贈り物がふさわしいでしょうか。恐らく、これといった贈り物を選ぶことは大変難しいことでしょう。しかし、そのような困った中で、一つヒントをくれる人たちがいます。その人たちこそ、東方の博士たちです。彼らは黄金と乳香、没薬という当時の宝物を捧げましたが、私たちは目に見えるこれらの宝物ではなく、目には見えませんが、彼らのうちに素晴らしい贈り物が隠れていたことを探して見たいと思います。
まず、博士たちに隠れていた贈り物として「希望」がありました。星を追い求めていた博士たちは旅の途中、どれほど多くの藤に直面したことでしょうか。しかし彼らは決して最初に抱いた「世界の王に会って礼拝したい」という「希望」を捨てることはありませんでした。この「希望」が幼子イエス様に出会わせてくれたのです。もし、あなたの人生においても真っ暗な夜に襲われた時、あなたは何を仰ぐでしょうか。真っ暗闇に目を向けましょうか、輝く星を仰ぐでしょうか。真っ暗な「絶望」でしょうか、暗闇の中で輝く「希望」でしょうか。神は私たちの人生の旅においても時々、2000年前の東方の博士たちにされたように、輝く希望の星を現すために、暗闇を用いられることを覚えましょう。光は暗闇の中でだけその光を輝かせるからです。彼らが携えていた希望を主イエスは喜ばれたことでしょう。
次に、彼らに隠れていた贈り物として「時間」がありました。聖書学者たちによると、東方の博士たちはペルシア王国、現在のイランから星を追いかけて来たと言われています。すなわち、太陽のあるうちは休息を取りながら、夜だけ旅を続けるしかありませんでした。そのため1~2年ほどの時間がかかったと言われているのです。その長い旅の中で、時には病気にかかったり、強盗に襲われたり、体力的な問題、経済的問題など、紆余曲折があったに違いありません。考えてみましょう。もし皆さんが一年以上も、安定していた家、安定していた生活を離れ、山を越え、川を越え、荒野で迷うことを想像して見てください。そうです。クリスマスこそ、待ち望む人に出会ってくださる神の御心が示された時です。皆さんは、皆さんの大切な時間を神との交わりのために献げていますか。
最後に、東方の博士たちに隠れていた贈り物は「礼拝」でした。東方の博士たちは身分からしても、また彼らが持ってきた宝物にしても、博士という知識の面にしても、間違いなく経済的に富んでいて、社会的な名声や影響力をもっていたに違いありません。しかし彼らは、ベツレヘムの暗く狭い、また動物たちのフンの匂いで充満していた汚い馬小屋に入ることを躊躇しません。そして彼らは、みすぼらしい若い夫婦と生まれたばかりの赤ちゃんを目の当たりにした時、「ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。」(2:11)…そうです。東方の博士たちは、幼子イエスの前にひれ伏し礼拝をささげたのです。真心から献げる礼拝を通して、私たちは最も近くで神の御姿をはっきりと見ることができますし、私たちと共におられるインマヌエルのイエスの臨在に包まれることになり、私たちに出会わせてくださる神の熱心に触れることになるのです。ハレルヤ!
2019.12.22 小さな泉の恵み
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~不安な時間~
週報の係をしていて、埋まっていない欄があるのはとても不安です。とりわけ小さな泉の恵みや奉仕表も空欄になっている時の、私の不安な思いを書かせていただきます。
実は先日、礼拝を欠席したので、11月分「リビングライフ」を受け取っていませんでした。いつでも教会に寄って取ってくるわ。と、思っていましたが、今日は…明日は…と、日がすぎて、「ま、いいや」と、結論付けてしまいましたが、なんだか寂しくて不安だったんです。
ほんの少しの時間をなまけて、何日も冊子に触れないこともたくさんあったのに。持っているだけで、安心しているなんて、私は、なんという勝手なんだ…
讃美歌「FOOT PRINT」を口ずさんで、涙がじわっと出ています。
キャッ!ごめんなさい。
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2019.12.15 牧師室便り
~クリスマスは教会で~
「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」(ガラテヤ6:2)
「日曜日は教会へ」という言葉を聞いたことがあるでしょう。それぞれの教会のホームページの決まり文句であり、バスや市電などの案内放送から必ず流れてくる言葉です。東京に住んでいた時によく耳にしたことを覚えています。しかしまだ人々の生活にまで浸透していないのが現状です。なぜ日曜日に休むようになったのか、なぜ教会で日曜日に礼拝をしているのかなどについて、人々には関心がないでしょう。ただ、アメリカや西洋から伝わってきた習慣として、または世界基準としてすんなりと受け入れているのではないでしょうか。
興味深いことに、「日曜日は教会へ」という呼びかけより、既に浸透しているキリスト教会の呼びかけがありますよね。それは「クリスマスは教会へ」というものです。クリスマスシーズンになると町の中で必ず流れているクリスマスキャロル、またクリスマスツリー、クリスマスケーキ、クリスマスカード、サンタによるプレゼントなどなど、クリスマスはもう日本人の心を大切につかんでいる冬の文化となっています。この時だけはチラシ配りも、キャロリングも許されるようになっています。そしてクリスマスイブになると何となく教会のキャンドルサービスに行って見たいという人も多いです。私たちの教会のイブキャンドルサービスにも、普段は来なくてもイブだから来るという方が毎年数人いることに気づきます。なぜでしょう。
クリスマスは愛だからです。この世界は愛が冷えてきて殺伐としているけれど、クリスマスになるとプレゼントがもらえる、貧しい人々への募金活動が盛んに行われ、忘れていた人からの愛のこもったメッセージが届けられ慰められる。そう、クリスマスは愛です。神が愛のプレゼントとしてやってこられた季節、また互いに愛し合うことが望まれた季節なのです。
願わくは、「クリスマスは教会へ」という呼びかけのように、「日曜日は教会へ」という呼びかけが自然と日本人の心に溶かし込まれるように、日曜日の礼拝を愛と感動で満ち溢れる時として作り上げたいものです。シャローム!
2019.12.15 本日の宣教
『互いにキリストのように
』 (フィリピの信徒への手紙2:5~8)
先日、悲しい知らせが届きました。「アフガンの聖者」と呼ばれていた中村哲兄が天に召されたというニュースでした。日本での平安な生活を後にし、パキスタンとアフガニスタンに渡り、NGOペシャワール会の医師として36年間弱く貧しい人々に寄り添って医療活動と井戸掘りに力を注いできた中村兄でした。その働きの素晴らしさが報われ2003年にはアジアのノーベル平和賞に当たる「マグサイサイ賞」を受賞するほど、世界平和のためにも力を尽くされました。そして12月4日、武装集団の銃撃によって73年間の人生を終えられたのです。中村兄の追悼式にはアフガニスタンのガニ大統領も出席し、大統領自ら棺を担ぐほど大切に扱われるのを通して、彼の働きがいかに素晴らしかったかを顧みることができました。なお、中村哲兄は日本バプテスト連盟香住ヵ丘バプテスト教会でバプテスマを受け、現在に至っています。
救い主の来られるのを待ち望むアドベントに入っての中村さんの訃報は、主イエスからの“クリスマスのメッセージをもう一度確かめなさい!”という御心ではないかと思わされました。クリスマスこそ、罪人で滅びていくべき私たちを救うために、神の身分である神の独り子が、神のお姿を捨てご自分を無にして、罪人たちと同じ姿でお生まれになり、恵みのしもべとなられた時です。それだけではない。馬小屋の飼い葉桶でお生まれになった日から、徹底してへりくだりの道を歩まれ、やがては十字架の死に至る歩みを続けられたのです。お誕生の飼い葉桶から十字架による死は最初から定まった父なる神のご計画であり、主イエスはひたすら父の御心に従順な姿勢を貫き通されました。
そこで使徒パウロは、フィリピの信徒への手紙を読む人々に次のように勧めるのです。「互いにこのことを心がけなさい。それはキリストイエスにみられるお姿ですよ。」(5節)と。本日の聖書箇所は、「キリスト讃歌」と呼ばれている箇所で、初代教会の礼拝において歌われていた讃美歌として知られています。私たちは本日の「キリスト讃歌」を通して2000年前のクリスチャンたちと時間と空間の壁を乗り越えて一つとなる恵みを受けています。
神の家族の皆さん、今私たちはどのような「キリスト讃歌」を歌うべきでしょうか。誉れと栄光に満ち溢れる讃美、力と権威と裁きに満ちたキリストを歌うべきでしょうか。いいえ、このクリスマスの季節、私たちが歌うべきキリスト讃歌は、しもべの歌、へりくだりのキリストの謙遜をほめたたえる歌、そして、“キリストのように、互いにしもべとなり、自分を無にできる者にしてください”と歌うべきではないでしょうか。そうです。クリスマスを迎えるキリスト者が備えるべき姿勢こそ、互いにへりくだり、しもべの姿を身に着けることです。私たちの信仰の主であるキリストがしもべとなられたのに、なぜ私たちは隣人のしもべになることを拒むことができましょう。真のキリスト讃歌を歌う私たちでありますように…。
神の家族の皆さん、今私たちはどのような「キリスト讃歌」を歌うべきでしょうか。誉れと栄光に満ち溢れる讃美、力と権威と裁きに満ちたキリストを歌うべきでしょうか。いいえ、このクリスマスの季節、私たちが歌うべきキリスト讃歌は、しもべの歌、へりくだりのキリストの謙遜をほめたたえる歌、そして、“キリストのように、互いにしもべとなり、自分を無にできる者にしてください”と歌うべきではないでしょうか。そうです。クリスマスを迎えるキリスト者が備えるべき姿勢こそ、互いにへりくだり、しもべの姿を身に着けることです。私たちの信仰の主であるキリストがしもべとなられたのに、なぜ私たちは隣人のしもべになることを拒むことができましょう。真のキリスト讃歌を歌う私たちでありますように…。
2019.12.15 小さな泉の恵み
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~クリスマスの恵み~
先日、朝のニュース番組で、有名な昭和のスターUさんが亡くなったことを、伝えていました。その映像の中で、同じく昭和のスターで、彼の大親友だったMさんが2年ほど前に亡くなった時に、今回亡くなったUさんが残したコメントと映像が流れました。 お二人とも、この世の栄華の全てを得たと言っても、過言ではないような方々でした。
その映像のUさんは、大切な親友が亡くなったショックからか、「死んだらおしまいだ。さっきまで生きていたのに小さな骨になってしまって。死んだらおしまいだよ。」というようなことを悲痛な絶望した表情で絞り出すように話していました。
その時に浮かんだのは、小泉町教会の兄弟方が天に召される直前の様子でした。どなたも死に対する恐怖や絶望は、表情からも態度からも伺えず、反対にキラキラと輝いて、私たちを勇気付けてくださいました。神様に愛され、天に帰るという大きな喜びと希望があったからでしょう。
今、ディボーションしているエペソの手紙では、「in Christ=キリストにあって」という言葉がよく出てきます。イエス様を離れずに生きること、そして神様が私たちをどれほど深く愛してくださっているかを思います。
2019年も、後2週間余りになりました。来週は喜びと恵みに満ちたクリスマスがやってきます。みんなで心を込めて感謝と賛美をお捧げし、クリスマスを祝いましょう!
S.Y.姉
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