2020年1月13日月曜日

2019.12.15 本日の宣教

『互いにキリストのように  』 (フィリピの信徒への手紙2:58)   

先日、悲しい知らせが届きました。「アフガンの聖者」と呼ばれていた中村哲兄が天に召されたというニュースでした。日本での平安な生活を後にし、パキスタンとアフガニスタンに渡り、NGOペシャワール会の医師として36年間弱く貧しい人々に寄り添って医療活動と井戸掘りに力を注いできた中村兄でした。その働きの素晴らしさが報われ2003年にはアジアのノーベル平和賞に当たる「マグサイサイ賞」を受賞するほど、世界平和のためにも力を尽くされました。そして124日、武装集団の銃撃によって73年間の人生を終えられたのです。中村兄の追悼式にはアフガニスタンのガニ大統領も出席し、大統領自ら棺を担ぐほど大切に扱われるのを通して、彼の働きがいかに素晴らしかったかを顧みることができました。なお、中村哲兄は日本バプテスト連盟香住ヵ丘バプテスト教会でバプテスマを受け、現在に至っています。

救い主の来られるのを待ち望むアドベントに入っての中村さんの訃報は、主イエスからの“クリスマスのメッセージをもう一度確かめなさい!”という御心ではないかと思わされました。クリスマスこそ、罪人で滅びていくべき私たちを救うために、神の身分である神の独り子が、神のお姿を捨てご自分を無にして、罪人たちと同じ姿でお生まれになり、恵みのしもべとなられた時です。それだけではない。馬小屋の飼い葉桶でお生まれになった日から、徹底してへりくだりの道を歩まれ、やがては十字架の死に至る歩みを続けられたのです。お誕生の飼い葉桶から十字架による死は最初から定まった父なる神のご計画であり、主イエスはひたすら父の御心に従順な姿勢を貫き通されました。

そこで使徒パウロは、フィリピの信徒への手紙を読む人々に次のように勧めるのです。「互いにこのことを心がけなさい。それはキリストイエスにみられるお姿ですよ。」(5節)と。本日の聖書箇所は、「キリスト讃歌」と呼ばれている箇所で、初代教会の礼拝において歌われていた讃美歌として知られています。私たちは本日の「キリスト讃歌」を通して2000年前のクリスチャンたちと時間と空間の壁を乗り越えて一つとなる恵みを受けています。
神の家族の皆さん、今私たちはどのような「キリスト讃歌」を歌うべきでしょうか。誉れと栄光に満ち溢れる讃美、力と権威と裁きに満ちたキリストを歌うべきでしょうか。いいえ、このクリスマスの季節、私たちが歌うべきキリスト讃歌は、しもべの歌、へりくだりのキリストの謙遜をほめたたえる歌、そして、“キリストのように、互いにしもべとなり、自分を無にできる者にしてください”と歌うべきではないでしょうか。そうです。クリスマスを迎えるキリスト者が備えるべき姿勢こそ、互いにへりくだり、しもべの姿を身に着けることです。私たちの信仰の主であるキリストがしもべとなられたのに、なぜ私たちは隣人のしもべになることを拒むことができましょう。真のキリスト讃歌を歌う私たちでありますように…。

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