2020年1月13日月曜日

2019.12.22 本日の宣教

『 主に喜ばれる贈り物を献げましょう 』マタイによる福音書2911)

あなたがイエス様のお誕生のプレゼントをするのであれば、どのようなものを献げられるでしょうか。宇宙万物を造られ、すべてを所有された方にどのような贈り物がふさわしいでしょうか。恐らく、これといった贈り物を選ぶことは大変難しいことでしょう。しかし、そのような困った中で、一つヒントをくれる人たちがいます。その人たちこそ、東方の博士たちです。彼らは黄金と乳香、没薬という当時の宝物を捧げましたが、私たちは目に見えるこれらの宝物ではなく、目には見えませんが、彼らのうちに素晴らしい贈り物が隠れていたことを探して見たいと思います。

まず、博士たちに隠れていた贈り物として「希望」がありました。星を追い求めていた博士たちは旅の途中、どれほど多くの藤に直面したことでしょうか。しかし彼らは決して最初に抱いた「世界の王に会って礼拝したい」という「希望」を捨てることはありませんでした。この「希望」が幼子イエス様に出会わせてくれたのです。もし、あなたの人生においても真っ暗な夜に襲われた時、あなたは何を仰ぐでしょうか。真っ暗闇に目を向けましょうか、輝く星を仰ぐでしょうか。真っ暗な「絶望」でしょうか、暗闇の中で輝く「希望」でしょうか。神は私たちの人生の旅においても時々、2000年前の東方の博士たちにされたように、輝く希望の星を現すために、暗闇を用いられることを覚えましょう。光は暗闇の中でだけその光を輝かせるからです。彼らが携えていた希望を主イエスは喜ばれたことでしょう。

次に、彼らに隠れていた贈り物として「時間」がありました。聖書学者たちによると、東方の博士たちはペルシア王国、現在のイランから星を追いかけて来たと言われています。すなわち、太陽のあるうちは休息を取りながら、夜だけ旅を続けるしかありませんでした。そのため12年ほどの時間がかかったと言われているのです。その長い旅の中で、時には病気にかかったり、強盗に襲われたり、体力的な問題、経済的問題など、紆余曲折があったに違いありません。考えてみましょう。もし皆さんが一年以上も、安定していた家、安定していた生活を離れ、山を越え、川を越え、荒野で迷うことを想像して見てください。そうです。クリスマスこそ、待ち望む人に出会ってくださる神の御心が示された時です。皆さんは、皆さんの大切な時間を神との交わりのために献げていますか。
最後に、東方の博士たちに隠れていた贈り物は「礼拝」でした。東方の博士たちは身分からしても、また彼らが持ってきた宝物にしても、博士という知識の面にしても、間違いなく経済的に富んでいて、社会的な名声や影響力をもっていたに違いありません。しかし彼らは、ベツレヘムの暗く狭い、また動物たちのフンの匂いで充満していた汚い馬小屋に入ることを躊躇しません。そして彼らは、みすぼらしい若い夫婦と生まれたばかりの赤ちゃんを目の当たりにした時、「ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。」(2:11)…そうです。東方の博士たちは、幼子イエスの前にひれ伏し礼拝をささげたのです。真心から献げる礼拝を通して、私たちは最も近くで神の御姿をはっきりと見ることができますし、私たちと共におられるインマヌエルのイエスの臨在に包まれることになり、私たちに出会わせてくださる神の熱心に触れることになるのです。ハレルヤ!

0 件のコメント:

コメントを投稿