私がもしクリスチャンで無ければ心配に押しつぶされて、私らしくいられなかったと思います。今でも心配性ではありますが【あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。詩編37編5節】の御言葉に励まされ、寝ても覚めても主が共にいて下さる事に感謝して委ねていきたいです。
K.K 姉
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2019年9月20日金曜日
2019.9.8 小さな泉の恵み
2019.9.1 牧師室便り
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スマートフォンからの解放 ~
「・・・しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」(列王記上19:11~12)
混沌としている世界情勢です。あまりにも目まぐるしく変化する中で、朝、目を覚める時から緊張感に包まれている近頃です。とりわけ現代社会はスマートフォン社会と言えるほど、毎朝、目を覚ましてすぐスマートフォンを手にしLineを確認する、Youtubeを見る、インターネットから新しいニュースや情報を確認するなど、スマートフォンの虜になったような人が多いのではないでしょうか。先日、日本人の年代別スマートフォンの一使用時間をまとめた図を調べたところ、日本人のスマートフォン利用者数が7,000万人、10代から50代までのほとんどの人が、一日当たり、一人が3時間以上スマートフォンを使っているという結果が出ていましたね。そして使用時間はだんだんと長くなりつつある状況です。何よりも恐ろしいことは、幼い子どもたちが手からスマートフォンを話さないことではないでしょうか。
神の家族の皆さんはいかがでしょうか。スマートフォンのお陰で、簡単に情報を得ることができ、すぐ連絡が取れる、また体を動かさなくても必要としていたものが手に入る・・・。少しでも余裕があれば、すぐスマートフォンを手にし、何かを始める。そのように現代人の暇つぶしにスマートフォン以上のものはないでしょう。しかし、いつの間にか、私たちの感情と時間、生活そのものをスマートフォンに捕われているような気がしてなりません。昔から、科学の発達により生活の余裕と豊かさが与えられるだろうと言われていましたが、実際、科学の発達がもたらしたのは、人々の生活をますます忙しくさせ、人間関係を妨げ、静まって神と交わる時を失わせたのではないでしょうか。
ぜひ、一週間のうち、一日はスマートフォンから離れ大自然に出かけましょう。また、愛する人とスマートフォンなしで目と目を合わせてじっくりと話し合いましょう。そして、神の前に近づき静かな交わりの時をもとうではありませんか。
2019.9.1 本日の宣教
『神の独り子、われらの主』 (ヨハネによる福音書1:18 ,ヘブライ人への手紙1:1~3)
しばらくの間、休んでいた「使徒信条」の学びを今週から再開します。「使徒信条」の学びを通して、私たちの信仰の土台となるものをしっかりと確かめる時を過ごしたいと願います。さて、私たちは前回「イエスはキリストである」という内容を学びましたね。イエス・キリストは「油注がれた者」として、「真の王、真の預言者、真の祭司」となられ、私たちのすべての生活に関わってくださり、キリストとしての主イエスを信じることを望まれることを分かち合いました。
本日は、「わたしは、その独り子、私たちの主、イエス・キリストを信じます。」という内容について学びたいと願います。聖書ははっきりとイエスは「神の独り子」であると宣言します。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ1:18)、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)・・・主イエスは、神の独り子と呼ばれますが、聖書が教えるイエス様は「神」であります。主イエスは、創造の時に神と共にあり、万物は主イエスによって成ったと宣言します。本質は創造者としての神であるけれど、その神が人の体をもって罪人たちと同じように生まれ、罪人たちのために命を捨てられたのだ!と教えているのです。そこで、驚くべきことが記されているのですが、神の独り子は、ご自身を信じる者たちを「聖なる者」だと、また彼らを「兄弟」と呼ぶことを恥としないお方だと教えます。「事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない・・・」(ヘブライ2:11)神の独り子と兄弟とされた恵みを信じ生きることはいかに素晴らしいことでしょうか。
続いて、イエス・キリストこそ「わたしたちの主」であるという信仰告白です。イエス・キリストを「主」と告白する信仰は、初代教会に広く定着し用いられていました。「イエスは主である」(ローマ10:9)、これこそ教会共同体の共通した告白であって、初代教会を迫害から支える力であったのです。「主」(ギ:キュリオス)と言う意味は、”主人、所有者“です。しかし、主なるイエスは、この世における所有者としての主と違って、私たち罪人たちのために十字架の上でご自身の命を身代わりとして献げられた主、また神の全能の力によって死人のうちから復活させられることによって栄光の主となられたのです。また、やがて再び来られ救われた神の民を迎え入れる主として聖書は宣言しているのです。そして、キリストは、教会の主であるだけでなく、全世界の主であるから、イエス・キリストを「主」と告白し信じる私たちは、生活のすべての領域において、主イエスの教え、主イエスの御心に従って生き、主イエス・キリストを証しすることを心がけなければならないのです。
「神の独り子、われらの主」なるイエス・キリストへの信仰を確かなものとし、生きた礼拝者として歩みましょう。
2019.9.1 小さな泉の恵み
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あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるに違いない。」(マタイ7:9〜11)
先週末の夜中、大阪に住む息子から、自宅で気分が悪くなり救急車を呼んだとの連絡が入りました。それから、急患センターで診察を受け、無事だと分かるまでの数時間、生きた心地がしませんでした。幸い息子は、皆さまのお祈りの力も加わり感謝なことに数日で元気になったのですが、この出来事を通して気づかされたことがあります。
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るところの無い神さまは、一体どれだけ私達のために心を痛めておられるのだろうかとい
うことです。律法を与え、預言者を送っても、自分勝手な生き方を改めない私達。ついに
は、ひとり子さえ惜しまず与えてくださった神さま。その愛の深さに感謝しつつ、信頼し
て生きることの大切さを強く覚えた出来事でした。
A.T姉
2019.8.25 牧師室便り
~一人の力~
「広場で尋ねてみよ、ひとりでもいるか、正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう。」(エレミヤ5:1)
「広場で尋ねてみよ、ひとりでもいるか、正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう。」(エレミヤ5:1)
今から30年ほど前、大学生だった私が感動を受けた映画があります。「パワーオブワン」という映画です。植民地時代の南アフリカの人種差別という堅い壁を崩すために、「レインメーカー」とされる一人の力の素晴らしさを描く映画でした。「一人の人が自分自身の内側にある恐れと弱さを乗り越え、社会の不条理に目覚めていく、そして周りの人々を目覚めさせ一致を作り上げ、社会を変えていく。」・・・映画が伝えようとするメッセージに心打たれ、感動を受け、自分の将来への思いを新たにさせられたことを覚えています。映画の中で、一滴の水が集まって川となり、いくつもの川が巨大な滝に集められ、凄まじいパワーで落ちてくるように、一人の小さな力が最初は弱く目立たないけど、一人が二人、三人に、そして大きな群れを成していくことで、いつの間にか世界を変える爆発的な力をもつようになるのです。
先週21日の水曜祈祷会ではわが教会が30年以上もクリスマス献金で支援している「日本国際飢餓対策機構」(現:ハンガーゼロ)の黒坂栄司師による報告会が行われました。映像と共に世界の貧しい人々のために広がる働きとそこで結ばれる実を見ることができました。その中でも心に響いたのが、「パメラ」という一人の兄弟の物語でした。アフリカで影響力をもつ国のコンゴですが、全人口の95%の人が一日2ドル以下で生活する世界最貧国の一つと言われている国、しかも内戦で殺し合いが絶えない現実。パメラさんも部族同士の殺し合いから逃れて、国内避難民になるという厳しい状況に追い込まれていましたが、日本飢餓対策機構から遣わされた宣教師に出会い、クリスチャンとなります。その後、パメラさんの一人の働きによって同じ村の人々が将来への希望をもつようになり、周りの村にも影響力を広げていく、まさしく一人の力がもたらすパワーを確かめることができました。小泉町教会のお一人お一人が聖霊によって変えられ、家庭、教会、町、国、世界を変えていく勇気と希望に包まれるように・・・。シャローム!
2019.8.25 本日の宣教
『 救われた者として 』 (マタイによる福音書5:1~16)
S.Y執事
私たちは神様の一方的な愛と憐れみによって救いへと導かれました。それは神様の大きな犠牲、即ち御子が十字架にかかりその尊い血の対価によってもたらされました。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3:16)」神様は全ての人が救いを得ることを願って下さいます。決して誰一人滅びに至るように定めてはおられません。「わたしたちはわたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。(ヨハネの手紙一4:16)」神様は私たちを完成に導く為に様々な形で訓練を与えてくださいます。「『わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。』あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神はあなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。(ヘブライ人への手紙12:5~8)」
今、私たち小泉町キリスト教会に集う者に一つの課題が与えられています。それは福井教会の復興です。それを成す為には何が必要なのでしょう。私たちに福井県に住む方々への愛はあるでしょうか。祈りは充分でしょうか。福井教会の求めに耳を傾けているでしょうか。土地柄や福井教会の賜物を充分に理解しているでしょうか。本日の宣教の聖書箇所は有名な山上の説教の主イエスからの励ましです。私たちを「地の塩、世の光」であると言われます。世を照らし傷ついた魂への働きかけや奉仕には天に報いがあると約束して下さいます。神様にお出来にならないことはありません。「イエスは言われた。「「できれば」と言うか。信じる者には何でもできる。」(マルコによる福音書9:23) 金沢教会の田口昭典牧師と閔丙俊牧師、土肥兄が度々支援の在り方を相談しておられます。私たちも一人一人何が出来るのか模索しながら心を一つにして祈り求めていかなければなりません。福井教会が抱える問題は福井教会だけが持っている問題ではありません。私たちのこれからの歩みが主に喜ばれ、神の栄光が現れるものとなりますように。主の御名が誉め称えられますように。 S.Y執事
2019.8.25 小さな泉の恵み
| 何をを書こうかなあといろいろ悩み結果、神様から頂いた感動を正直に皆さんと分かち合いたいです。
20代からイエス・キリストを信じて今までの長い日々、自分の中に起きた恵みの変化がありました。家族、職場、教会など、いろんな人との出会いの中で、嫌なこと、自分が好きじゃない人、また、自分の力と能力では何もできなくなったとき、今は昔と違って神様の御言葉を思い出して御言葉通りに生きようとします。常に神様の立場に立って考えようとする自分がすごく嬉しく思います。まだまだ神様に対してわからない部分が沢山沢山ありますけど、少しでも神様が喜ぶことを選択して生きていこうとする自分がなんか嬉しいです。
まだまだ、未熟者で智慧がなく、いろんな事や、人に傷つけたりしている自分ですが、これからも、ずっと神様の御言葉通りに生きていきたいのです。
すべてのことに感謝します。
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