2024年12月15日日曜日

2024.11.24 小さな泉の恵み

 ~岡山から~

「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。・・・これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」(レビ19:9-10)

先月、稲刈りを終え、ようやくゆったりと過ごせる時間を持てるようになりました。

稲刈りでは、田圃の隅まで刈り尽くし、落ち穂はくまなく拾い集めました。聖書の御言葉に反する行為ですね。貧しい人々が拾いに来てくれるのであれば、残しておくのですが、置いておいても腐らせるだけなので、拾い集めるしかありません。

時代が変わったと言えばそれまでなのですが、田舎で暮らし、農作業に従事するようになって思うのは、日々の糧を得るために汗を流し、そして収穫を与えてくださる神様に感謝することこそ、人間の暮らしの原点だということです。

収穫した米の一部は天日で干して美味しくいただいていますが、全ての米を稲架掛け(はざかけ)するのは大変なので、大半は農協に出荷して機械乾燥してもらうことになります。米不足が話題になったりしていましたが、いったん農協に出荷してしまうと、どこに行き、誰が食べているのか全くわかりません。無駄にされることなく、必要としている方の口に入りますように・・と祈っています。

稲刈りや田植えを多くの人と一緒にできないものだろうかと思います。大変なところを助けてもらいながら、収穫の喜びを共に分かち合えたら素敵です。

実現するには多くの課題がありますが、「落穂を拾い集めてはならない」と語られる神様ですから、きっと神様は導いてくださると信じて、祈っています。                

                            K.K.姉

2024.11.17 牧師室便り

 ~旅人への贈り物を~

先週のある夜、ある女性から電話がありました。「フードバンクから紹介を受けてお電話していますが、少し食料をもらえないでしょうか」とのことでした。少し戸惑いながらも事情をうかがい、「では、翌日の午後にお会いしましょう」と約束をして電話を切りました。翌日、渡せるだけの食料を集め、約束の時間にその女性を待っていましたが、時間が来ても現れませんでした。何があったのでしょうか。その日以来、その方のことが気がかりで、心が落ち着きませんでした。「何か事情があって教会を訪れることができなかったのでしょうか。」…さまざまな考えが頭をよぎります。

聖書はいつも隣人に対する責任について語りかけています。「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。(コヘレト11:1)」「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。(マタイ14:16)」私たちは裕福ではありませんが、「持っているものを快く分け与えなさい」という神の声に応えたいと願っています。

冬が近づき、日に日に寒さが増す中、路上生活をしている方々、自然災害に苦しんでいる方々、戦争の中で泣き叫ぶ子どもたちや、傷を負った人々のことが思い浮かびます。

最近数名の方が教会を訪ねてこられたことや、これから厳しい冬が訪れることを考えながら、しばらくの間、忘れていた「旅人たちへの贈り物」を再び集めたいと思います。無理に準備する必要はありませんが、少しでも分かち合える食品があれば、ぜひ教会にお持ちください。私たちが集めた小さな贈り物が、周囲の苦しい人々に温かな神の愛の福音を伝える道具となることを信じています。「主よ、助けたまえ、憐みたまえ!」 

シャローム!



2024.11.17 本日の宣教

 『上からの知恵に生きよう』

                                                      ヤコブの手紙 3章 13~18節

本日の御言葉でヤコブは、「知恵があるものは誰か」という問いかけから話を進めます。それから知恵には「地上の知恵」と「上からの知恵」があって、その違いについて語っています。

ここでの「知恵」は、実生活において正しいことと正しくないことを見分ける識別力と関係があり、「分別」はある物事に対する理解力と関係しています。すなわち、知恵と分別力を持つ者は、その知恵にふさわしい柔和な行いと立派な生き方によってそれを示さなければなりません。それは単なる言葉や知識にとどまらず、「立派な行い」によって証されるべきものであり、その行いは「知恵にふさわしい柔和な行い」となる必要があります。したがって、知恵のある人は高慢ではなく、柔和な態度でその知恵を表すべきです。

ヤコブはまず「地に属する知恵」、つまりこの世の知恵について述べています。それは肉に属し、悪霊に属する知恵であり、神の霊を欠いたものです。そのため罪と欲に満ち、常に妬みや利己心に動かされ、混乱やあらゆる悪い行いが起こり、憎しみや恨み、争い、呪いが生じます。特に終末の時代には、この地に属する知恵が著しく現れ、戦争や分裂、争いが最高潮に達することでしょう。

次にヤコブは「上からの知恵」の特質を紹介します。この知恵はまず「純真」であると述べられており、ここでいう純真とは、神に対する純粋な信仰を指します。更に、「温和で、優しく、従順なもの、憐れみと良い実に満ち、 偏見はなく、偽善的でもない」と教えるのです。これは神から与えられる知恵に基づく行動や心の態度であり、人間の力や努力で得られるものではなく、むしろ神に頼り、聖霊に満たされることで心が変えられ、自然に表れてくるものです。特に知恵が「偏見がなく、偽善がない」ものであることは、神の国の民としてキリストの愛をこの世に示す上で重要です。これは神と人の前で常に透明であり、ありのままの姿で接することを意味しています。

最後にヤコブは、主イエスの山上の説教を思わせる言葉で話を結んでいます(マタイ5:9)。ここで「平和を実現する人」とは、紛争がある所に調和と平和をもたらし、すべての人々と共に平和を保つことに力を尽くし、平和を実現する人のことを指します。

ヤコブが教える「上からの知恵」は、約束された神の国を見上げながら日々を生きる者として、他者にどのように接し、神の御心に従って生きるかを示しています。

願わくは私たちが上からの知恵を日々の生活に生かし、周囲の人々に神の愛と平和、真の希望をもたらすことができますように。そのため、地上的な知恵に流されることなく、常に神の御心に従い、上からの知恵に生きることを心がけたいものです。ハレルヤ!

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(コリントの手紙二4:18)」


2024.11.17 小さな泉の恵み

 近頃わたしが推してるアーティストは、「昨日よりも今日、少しでもいい人間であろうとか、少しでも優しい人であろうとか、努力、一応しながら僕は生きてます。」って言う。

「いい人間」と聞いて、なぜか、【イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」(マルコ10:18)】という御言葉が頭に浮かんだ。イエスさまが「善い」者でないなら、いい人間って、何だ?···。

善い者である神。そして、イエスさまは道であり、真理であり、命であり、イエスさまを通ってわたしたちは父なる神のもとに行く。イエスさまを信じ、示された「互いに愛し合う」という新しい掟に従い、聖霊を受け、共に歩む。イエスさまが愛してくださったように「互いに愛し合う」、それが、いい人間である、ってことなのかなと思う。

                         S.M.姉

2024.11.10 牧師室便り

  ~アメリカ大統領のために祈る~

ドナルド・トランプ氏がアメリカの大統領に返り咲きました。その結果、全世界に多くの議論が引き起こされています。特に、前回「アメリカファースト」を掲げつつ、差別や分裂を引き起こしてきたトランプ氏が、再び大統領の職務に就くため、不安と期待が交差している状況です。

何より、今回の大統領選挙でトランプ氏が語っていた「24時間以内にロシアとウクライナの戦争を終わらせる」という約束の実現を求めたいと思います。また、イスラエルとパレスチナの戦争についても、早く平和への道が開かれることを願っています。もちろん、世界は戦争だけでなく、経済問題や気候変動、食糧問題、エネルギー問題、移民問題など、多くの課題を抱えていますが、何よりも人の命が奪われる戦争を一日でも早く終わらせることが重要です。

さらに、トランプ氏にはクリスチャン大統領として、かつてリンカーン大統領がホワイトハウスを祈りの場としたように、神の御前に進み出、聖書の教えを基に神の御心を求めてほしいと願っています。どんなことに対しても「イエス様だったらどうされるだろうか」と問いかけつつ、御言葉に耳を傾ける大統領であってほしいものです。やがて任期の終わりには、世界平和と神の国のために素晴らしい働きを成し遂げたと評価されることを望んでいます。

神の家族の皆さん、日本に住む私たちとアメリカの大統領との関係は遠いように感じられるかもしれませんが、アメリカは世界一の強大国であり、日本の政治や経済、社会に多大な影響を与えています。私たちはそのことを忘れずに、執り成し続けなければなりません。主よ、助けたまえ。シャローム!



2024.11.10 本日の宣教

『讃美か、呪いか』

                                          ヤコブの手紙 3章 1~12節

本日の聖書箇所では、私たちの「舌」、つまり私たちの口から発する言葉がいかに大きな力を持っているかについて警告が語られています。ヤコブは、私たちが舌をどのように用いるかによって、神と隣人に対する姿勢がはっきりと現れると教えています。

日々使う「言葉」は実に重要です。適切な言葉を使えば、誰かを励まし、生かすことができますが、一方で間違った言葉を使えば、誰かを傷つけ、時には大きな害をもたらすことさえあります。まさに「人は言葉一つで生きたり、死んだりする」のです。キリスト者として、私たちは命を生かす言葉を語る者であるべきであり、むやみに人を傷つける言葉を避けなければなりません。

ヤコブ3章5節には、「舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。…どんなに小さな火でも大きな森を燃やしてしまう。舌は火です」と、舌についての警告が書かれています。その通り、私たちの舌は体の中では小さい部分ですが、その影響力は計り知れません。火が小さな火花から始まって大きな森を焼き尽くすように、私たちの舌も一瞬で人の心や関係を破壊する力を持っています。たった一言の批判や侮辱が人を深く傷つけることもあれば、逆に励ましや感謝の言葉が人を支え、立ち上がらせることもあるのです。

続いてヤコブは、「わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです(9節)」と述 べています。賛美の言葉とは神の愛と恵みに満たされた感謝の言葉や喜びの言葉であり、呪いの言葉とは不平や不満、批判、非難など、神の愛と恵みを知らない罪から出てくる言葉を指します。「泉の同じ穴から、甘い水と苦い水がわき出るでしょうか」というヤコブの問いかけは、キリスト者が同じ口で神を賛美し、同時に人を呪うことの矛盾を鋭く戒めています。

神の愛と恵みを体験しているキリスト者が口から出す言葉は愛に満ちたものであるべきです。しかし、もし心が神の愛から離れ、憎しみや妬み、怒りに支配されているなら、口から出る言葉もまたそのようなものになってしまいます。まさに、私たちの言葉は信仰と心の状態を映し出す鏡なのです。

詩篇141篇3節に「主よ、私の口に見張りを置き、唇の扉を守ってください」という祈りがあります。このように、私たちも日々神に助けを求め、自分の言葉が神と隣人にふさわしいものであるように心がけましょう。私たちの口から出る言葉が神の栄光を表す賛美となり、隣人を祝福し、支え、命をもたらすものであるように努めましょう。ハレルヤ!



2024.11.10 小さな泉の恵み

 ~楽しい聖書の学びを振り返って~

私は火曜日の聖書の学びに2014年4月より参加して11年目になります。参加した当時は創世記からではなく、預言書のダニエル書から始まり、マラキ書まで1年間学び、その後、新・旧約、中間時代を少し学んだ後、2015年5月より3年半に亘り、ローマの信徒への手紙から始まる13通のパウロの書簡について学び、引き続き2018年11月より2024年6月まで5年半の長きに亘りヘブライ人への手紙から始まる7通の公同書簡について学びました。現在は最も難解な書と言われる聖書最後の書であるヨハネの黙示録を学び始めたところです。なにしろヨハネの黙示録は黙示文学の代表的な作品であり、聖書の中で唯一全編が黙示的な形式で書かれてありますので、本文を学ぶ前に先ず予備知識として黙示文学の特徴や黙示録の書かれた執筆時代とその背景、執筆事情などについて学びました。これからは本文について、ゆっくり教えて頂きながら聖書理解を深めて行きたいと思っております。

いつもながら閔先生の詳細な説明文はわかりやすく、昔から今も私の宝物となっています。その宝物を主日礼拝前の教会学校の学びにも活用させて頂いており、感謝です。最後になりますが、この火曜日の聖書の学びに一人でも多くの方が参加されますようにお願いします。

                             I.H.兄