~岡山から~
「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。・・・これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」(レビ19:9-10)
先月、稲刈りを終え、ようやくゆったりと過ごせる時間を持てるようになりました。
稲刈りでは、田圃の隅まで刈り尽くし、落ち穂はくまなく拾い集めました。聖書の御言葉に反する行為ですね。貧しい人々が拾いに来てくれるのであれば、残しておくのですが、置いておいても腐らせるだけなので、拾い集めるしかありません。
時代が変わったと言えばそれまでなのですが、田舎で暮らし、農作業に従事するようになって思うのは、日々の糧を得るために汗を流し、そして収穫を与えてくださる神様に感謝することこそ、人間の暮らしの原点だということです。
収穫した米の一部は天日で干して美味しくいただいていますが、全ての米を稲架掛け(はざかけ)するのは大変なので、大半は農協に出荷して機械乾燥してもらうことになります。米不足が話題になったりしていましたが、いったん農協に出荷してしまうと、どこに行き、誰が食べているのか全くわかりません。無駄にされることなく、必要としている方の口に入りますように・・と祈っています。
稲刈りや田植えを多くの人と一緒にできないものだろうかと思います。大変なところを助けてもらいながら、収穫の喜びを共に分かち合えたら素敵です。
実現するには多くの課題がありますが、「落穂を拾い集めてはならない」と語られる神様ですから、きっと神様は導いてくださると信じて、祈っています。
K.K.姉
0 件のコメント:
コメントを投稿