2024年12月15日日曜日

2024.11.10 本日の宣教

『讃美か、呪いか』

                                          ヤコブの手紙 3章 1~12節

本日の聖書箇所では、私たちの「舌」、つまり私たちの口から発する言葉がいかに大きな力を持っているかについて警告が語られています。ヤコブは、私たちが舌をどのように用いるかによって、神と隣人に対する姿勢がはっきりと現れると教えています。

日々使う「言葉」は実に重要です。適切な言葉を使えば、誰かを励まし、生かすことができますが、一方で間違った言葉を使えば、誰かを傷つけ、時には大きな害をもたらすことさえあります。まさに「人は言葉一つで生きたり、死んだりする」のです。キリスト者として、私たちは命を生かす言葉を語る者であるべきであり、むやみに人を傷つける言葉を避けなければなりません。

ヤコブ3章5節には、「舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。…どんなに小さな火でも大きな森を燃やしてしまう。舌は火です」と、舌についての警告が書かれています。その通り、私たちの舌は体の中では小さい部分ですが、その影響力は計り知れません。火が小さな火花から始まって大きな森を焼き尽くすように、私たちの舌も一瞬で人の心や関係を破壊する力を持っています。たった一言の批判や侮辱が人を深く傷つけることもあれば、逆に励ましや感謝の言葉が人を支え、立ち上がらせることもあるのです。

続いてヤコブは、「わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです(9節)」と述 べています。賛美の言葉とは神の愛と恵みに満たされた感謝の言葉や喜びの言葉であり、呪いの言葉とは不平や不満、批判、非難など、神の愛と恵みを知らない罪から出てくる言葉を指します。「泉の同じ穴から、甘い水と苦い水がわき出るでしょうか」というヤコブの問いかけは、キリスト者が同じ口で神を賛美し、同時に人を呪うことの矛盾を鋭く戒めています。

神の愛と恵みを体験しているキリスト者が口から出す言葉は愛に満ちたものであるべきです。しかし、もし心が神の愛から離れ、憎しみや妬み、怒りに支配されているなら、口から出る言葉もまたそのようなものになってしまいます。まさに、私たちの言葉は信仰と心の状態を映し出す鏡なのです。

詩篇141篇3節に「主よ、私の口に見張りを置き、唇の扉を守ってください」という祈りがあります。このように、私たちも日々神に助けを求め、自分の言葉が神と隣人にふさわしいものであるように心がけましょう。私たちの口から出る言葉が神の栄光を表す賛美となり、隣人を祝福し、支え、命をもたらすものであるように努めましょう。ハレルヤ!



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