2024年12月15日日曜日

2024.11.17 本日の宣教

 『上からの知恵に生きよう』

                                                      ヤコブの手紙 3章 13~18節

本日の御言葉でヤコブは、「知恵があるものは誰か」という問いかけから話を進めます。それから知恵には「地上の知恵」と「上からの知恵」があって、その違いについて語っています。

ここでの「知恵」は、実生活において正しいことと正しくないことを見分ける識別力と関係があり、「分別」はある物事に対する理解力と関係しています。すなわち、知恵と分別力を持つ者は、その知恵にふさわしい柔和な行いと立派な生き方によってそれを示さなければなりません。それは単なる言葉や知識にとどまらず、「立派な行い」によって証されるべきものであり、その行いは「知恵にふさわしい柔和な行い」となる必要があります。したがって、知恵のある人は高慢ではなく、柔和な態度でその知恵を表すべきです。

ヤコブはまず「地に属する知恵」、つまりこの世の知恵について述べています。それは肉に属し、悪霊に属する知恵であり、神の霊を欠いたものです。そのため罪と欲に満ち、常に妬みや利己心に動かされ、混乱やあらゆる悪い行いが起こり、憎しみや恨み、争い、呪いが生じます。特に終末の時代には、この地に属する知恵が著しく現れ、戦争や分裂、争いが最高潮に達することでしょう。

次にヤコブは「上からの知恵」の特質を紹介します。この知恵はまず「純真」であると述べられており、ここでいう純真とは、神に対する純粋な信仰を指します。更に、「温和で、優しく、従順なもの、憐れみと良い実に満ち、 偏見はなく、偽善的でもない」と教えるのです。これは神から与えられる知恵に基づく行動や心の態度であり、人間の力や努力で得られるものではなく、むしろ神に頼り、聖霊に満たされることで心が変えられ、自然に表れてくるものです。特に知恵が「偏見がなく、偽善がない」ものであることは、神の国の民としてキリストの愛をこの世に示す上で重要です。これは神と人の前で常に透明であり、ありのままの姿で接することを意味しています。

最後にヤコブは、主イエスの山上の説教を思わせる言葉で話を結んでいます(マタイ5:9)。ここで「平和を実現する人」とは、紛争がある所に調和と平和をもたらし、すべての人々と共に平和を保つことに力を尽くし、平和を実現する人のことを指します。

ヤコブが教える「上からの知恵」は、約束された神の国を見上げながら日々を生きる者として、他者にどのように接し、神の御心に従って生きるかを示しています。

願わくは私たちが上からの知恵を日々の生活に生かし、周囲の人々に神の愛と平和、真の希望をもたらすことができますように。そのため、地上的な知恵に流されることなく、常に神の御心に従い、上からの知恵に生きることを心がけたいものです。ハレルヤ!

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(コリントの手紙二4:18)」


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