2024年11月5日火曜日

2024.10.20 牧師室便り

 ~ 心の貧しい者は幸い ~

 聖書には、貧しいやもめと金持ちの献金の場面が描かれています。やもめは200円ほどのわずかな金額を献げ、隣の金持ちは多くの金貨を献げました。これを見た主イエスは弟子たちに「どちらが多く献げたのか」と問いかけます。弟子たちは当然、金持ちを選びましたが、主イエスは「金持ちは有り余る中から献げたが、やもめは乏しい中からすべてを献げた」と教えられます。神は額の大小よりも、感謝と愛の心からの献げものを喜ばれるのです。人はうわべを見ますが、神は人の心を見ておられることを覚えましょう。

小泉町教会は小さく弱い群れです。それでも、「もらうより与える方が幸いである」という御言葉を与えられ、苦しむ人々に助けの手を差し伸べるように命じられました。その御心に従い、約9年前から「路上生活者の自立を助けなさい」というビジョンが与えられ、「小さな泉の村」を立ち上げ、毎月一度、弁当や食品などを提供する活動を始め、今に至っています。また、今年の元日に発生した能登半島地震の際も、神から「被災地の人々を助け、慰めなさい」との使命が与えられ、能登町の小さな村との出会いが与えられ、支援活動を始めました。本日も被災地支援のためのチャリティーコンサートを開催する運びとなりました。

最近、不思議な出来事がありました。それは、教会の玄関前の聖句が書かれた壁の上に、毎日少しずつ硬貨が置かれるようになったのです。最初は置き忘れかと思いましたが、何日も続いたため、掲示板の支援活動の案内に心を動かされた方が、自分の持っている小さなものを献げられたのかもしれません。

神が求められる献げものは、心の貧しさを持ちつつ、人に見せるための大げさではなく、感謝と喜びをもって、周りの最も小さな人に神の愛の手を差し伸べることです。持っている小さなものを喜んで献げる人を、神は喜ばれるのです。

「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。(マタイによる福音書25章40節)」

シャローム!



2024.10.20 本日の宣教

 『 嘆きから喜びの歌が 』

                                                       詩篇30篇12~13節

~You  raise me up~

悲しみに沈むとき 苦しみに悩むとき

私は立ち止まり待つ 主が来てくださるのを

You raise me up 険しい山も

You raise me up 嵐の日も

あなたがそばにいるから わたしは強くなれる


渇いて命尽きても 心が休めなくても

あなたが満たしてくれた 永遠の喜び見る

You raise me up 険しい山も

You raise me up 嵐の日も

あなたがそばにいるから わたしは強くなれる


主が支えてくださると わたしは強くなれる

主がわたしに力を  与えてくださるから

You raise me up 越えて行ける


人生において、嘆きは誰にとっても避けられない現実です。思い通りにいかない状況、大切な人との別れ、病気や災害、心が折れそうな時――私たちは日々、多くの苦しみを経験します。

しかし、嘆きの現実を受け入れるだけで終わらないのが、聖書の教えです。詩篇30篇12節では、嘆きを踊りに、悲しみを喜びへと変える神の力を告げています。このような変化は、単なる気持ちの切り替えではなく、神との関わりを通して実現するものです。

「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え」とあるように、愛なる神は悲しみをそのままに置かず、そこに希望と新しい働きを始められます。 「荒布」は、死の悲しみや悔い改めを象徴する衣ですが、神はそれを取り除き、喜びの衣をまとわせてくださいます。この変化は私たちの力ではなく、神の恵みと介入によって実現します。

愛なる神は、今悲しみや苦しみに悩む人々、嵐のような試練に心が折れそうになっている人々に近づいてくださり、彼らを支え、立ち上がらせてくださると約束されています。

神の家族の皆さん、今、試練の中で涙を流している能登半島の災害地の方々の上に、主の愛の御手が置かれ、人知を超えた慰めと助け、勇気と希望で満たしてくださるよう祈りましょう。そして、私たちが出かけて行き、神の愛と御心を届けましょう。ハレルヤ!




2024.10.20 小さな泉の恵み

 ~ 岡山の地から ~

先日、岡山神召教会に新大阪第一アッセンブリー教会の西海馨師を招き、礼拝説教が行われました。「兄弟たちが一つになってともに生きることは(詩編133:1)」は、今切に求められていることです。

例えとしてイスラエルとガザ、ロシアとウクライナ、ミャンマーの内戦が挙げられていましたが、元々は仲良く暮らしていたのに今はお互い非難しあい戦争が続いています。翻って私にも弟がいますが、体が不調ということで農作業や親の介護等で分担できず困っています。仲良くともに生きるということは簡単ではないと思っています。ところで、ウクライナは穀倉地帯で人口が増えれば優良な土地の奪い合いが戦争の一要因になっています。

現在、日本ではほとんど輸入依存しているパン小麦のみならず米までも高騰しています。米は昨年の不作であるとかインバウンドの影響とか言われていますがこれは国が減反政策を続けていることも関係しています。気候変動により高温障害や干害等で米生産環境は厳しく、一方で戦争により肥料等の資材価格は高騰し、生産者にとって二重苦です。とはいえ、日本は島国ですので、戦争により食料輸入が止まれば大変です。弟の関係も含めて一日も早く平和な世の中になるよう祈りながら、食料生産に貢献していきたいと思っています。

                             K.K.兄

2024.10.13 牧師室便り

   ~ クリスチャン首相を迎えて ~

新たに首相に選ばれた石破茂氏は、敬虔なクリスチャンとしても知られています。彼は鳥取教会で18歳の時にバプテスマを受け、東京に移った際には、世田谷の伝道所で日曜学校の教師を務めていたこともあり、現在も鳥取教会の会員として信仰生活を続けているといいます。また、彼の母方の家系は四代続くクリスチャンで、曾祖父の金森氏は熊本バンドのメンバーとして活動していたそうです。

石破首相は公に自分がクリスチャンであることを表明し、今年の日本国家祈祷会では、「議員になろうが大臣になろうが、人間というものは神の前では塵芥のような存在であり、できることは『罪人の私をお赦しください』ということと『御心ならば御用のためにお用いください』ということしか、結局のところ祈ることしかできないのではないかなと、日々思っているところです」と語ったそうですね。

しかし、彼は常にキリスト教の教えと政治活動の間で葛藤しており、その苦悩を隠すことなく、そうした中で神の声に耳を傾け続けているとも述べています。さらに、「同じ信仰を持つクリスチャンからの批判が一番辛いことだ」とも告白しています。

私はこの混沌とした時代において、彼がクリスチャンとして新しく首相に選ばれたことに、神の御心があると信じています。日本の人口の中でクリスチャンが1%にも満たない中で、一人のクリスチャンが日本の首相となったのです。まさしく厳しい世界情勢や危機的な状況の中で、彼がどのような政策を打ち出し、どのような決断を下し、どのようにして平和な国へと日本を導いていけるか注目しています。

もちろん、様々な場面で妥協を強いられることもあるでしょうし、私たちを失望させるようなこともあるかもしれません。しかし、石破首相が常に神の御心に従い、神の国と神の義をまず優先して求めることができるよう、知恵と力が与えられるよう、神の家族も共に祈りをもって支え、主の助けと導きを求めたいと願っています。

シャローム!



2024.10.13 本日の宣教

 『試練の中で響き渡る讃美  』          

                                                       詩編 22編1~6節

詩人は苦しみと絶望の叫びから詩を始めています。詩人ダビデにとって、神は日々の助けであり、常に信頼を置いてきた存在でした。しかし今、彼は「なぜわたしをお見捨てになるのですか?」と叫ばなければならないほどの状況に追い込まれていることが分かります。

とりわけ2節の「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」の言葉は、十字架の上で叫ばれた主イエスの嘆きの言葉として知られています。つまり、キリスト自身が人類の罪を背負い、父なる神から見捨てられたかのような深い孤独と絶望の中に置かれていたのです。その時に主イエスが叫ばれた言葉です。

私たちも信仰生活の中で試練が重なり、祈りが届かず、神が沈黙されているように感じるとき、心が揺れ動いてしまいます。そのとき私たちは神に叫ぶのです。そして試練の中での私たちの叫びに、主イエスは共感され、共に泣いてくださることを覚えましょう。それから、叫びそのものが神への信頼の表れであり、信仰者の持つ「希望のしるし」であることを忘れてはなりません。

続けて詩人は、神の過去の働きを思い起こし、神の民に対する守りと救いの歴史を振り返ります。嘆きの叫び声をあげていた詩人は、「だが、あなたは、聖所にいましイスラエルの賛美を受ける方」(4節)と告白し、イスラエルの先祖たちがどのようにして神に信頼し、救いを得たかを思い出しています。ここで「だが」とは、苦しみの中で「しかし、それでも」と信仰を告白する心の姿勢を指しています。この一言に、信仰者の揺るぎない確信が表れているのです。たとえ現実が神から見捨てられたかのように見えても、愛なる神は決して揺るがず、私たちの賛美を受けてくださるお方(他の訳では「賛美の中に住まわれる方」)であることを告白できるのです。

私たちは、耐えられない試練の中で孤独や絶望を感じるとき、自分の経験や感情だけに囚われがちです。しかし、詩人は、神がどのようにして過去にその民を救い、導いてこられたかを振り返り、神の変わらない愛を思い起こします。これが信仰者の持つ強さです。状況がどれほど困難であっても、神の真実なお姿は変わらず、依り頼んで、裏切られたことはない事実に目を向けるべきだと教えているのです。

神の家族の皆さん、試練は私たちを圧迫し、神を疑わせようとします。しかし、試練を通して私たちは、神の偉大な御業をより深く経験する機会を得るのです。試練の中でこそ、私たちの賛美はより強く、より美しく響き渡ることができます。何も問題がないときに歌う賛美も美しいですが、涙と共にささげられる賛美には特別な力があり、それは神に喜ばれるものです。

次週はチャペルコンサートが執り行われます。特に今年のチャペルコンサートは、元日に発生した能登半島地震と先日起きた豪雨による災害支援を目的としたチャリティーコンサートとなります。ぜひチャペルコンサートを通して、試練の中で歌われる賛美を受けてくださる神をほめたたえ、その賛美を用いて試練の中にいる人々を力づけ、希望の光を照らしてくださる神に感謝を献げたいと願います。ハレルヤ!




2024.10.13 小さな泉の恵み

 狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、生命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。  (ルカ13-24)

私は、体調が整わず、最近、礼拝に行くこともできていません。

たまに、祈祷会にzoomで参加するだけです。

うなされて寝ていると、リビングライフを開く余裕も無くて辛いです。

たまに、体調が回復したら、聖書を開いて、みことばに触れると、明るい落ち着いた気持ちになれます。

人それぞれ、皆さん違う苦労を背負うと思いますが、感謝する喜びを持てることは、何よりの恵みで、生きている介を感じます。

喜びは、狭き門を通ることにあるように思います。  

                        S.N.姉

2024.10.6 牧師室便り

  ~ 主に知られる恵みを ~

先週の水曜日、敬愛する富山N教会のI牧師が心筋梗塞で召されたとの知らせが届きました。I先生とは教派も違い、深い交わりを持つことはありませんでしたが、富山市民クリスマスの委員会でお会いするたびに、いつも笑顔で接してくださり、常に熱心に福音伝道に励んでおられた先生でしたので、突然の知らせに驚きと悲しみでしばらく何も手につきませんでした。

木曜日の前夜式、そして翌日の葬儀・告別式では、多くの方々が先生の生涯を偲びました。司式を務められたK教会のK先生のメッセージの中で、I先生は末期の膵臓癌と診断され、しばらく入院生活をされていましたが、病床にあっても伝道集会の準備などに取り組んでおられ、退院されることを信じておられたとのことでした。

I先生の最初の赴任地は能登半島の輪島教会で、そこで結婚し、長男を授かったそうです。そのため、今年の能登半島の地震と豪雨による被害は先生の心を深く痛め、輪島教会の復興に尽力しておられたそうです。葬儀では、先生の遺志により、お花料を輪島教会の復興に用いるようにとの願いが伝えられました。

K先生は詩篇22篇とガラテヤ4章の御言葉を取り上げ、「神は私たちを決して裏切られることのないお方であること、また神が私たちを知っておられること」を語られ、I先生への神の御心を示されました。
私たちも突然の病の宣告や愛する者との突然の別れを経験することがあります。しかし、私たちの神はすべてをご存知であり、決して私たちを裏切ることなく、神の子どもとされた人々への十字架と復活、永遠の命と御国への約束を必ず成し遂げられることを信じ、神の御手にすべてを委ね、与えられた人生を全うしていきたいと願います。
I先生の突然の召天に悲しみの中にあるご遺族やN教会の皆さんの上に、主イエスの慰めと助けが注がれますように祈りましょう。神の家族の皆さんも、先に天に召された愛する神の家族を偲びつつ、天の御国の希望を抱きながら、福音伝道の歩みを続けてまいりましょう。お一人お一人の人生とすべての歩みが神に知られていることを覚え、御手にゆだねつつ祝福された歩みを続けましょう。
シャローム!