2022年1月4日火曜日

2021.12.26 牧師室便り

 ~ 互いに感謝の拍手を!!! ~

「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。」(フィリピ1:3~4)

一年間の52週の主日礼拝が御手の中で祝福され恵まれたことを感謝します。コロナ下という時代を歩む中で神の家族の支えがあって今日の日を迎えることができました。本当にありがとうございました。

コロナパンデミック2年、私たちの生活は大きな変化に追われながら、落ち着かない日々を歩んできましたね。希望の兆しが見えていると思いきや、変異株が繰り返し現れたことで、一年中マスクを外すこともできませんでした。誰よりもかわいそうだったのは、触れ合いの中で様々なことを学びつつ成長していくはずの学生たちだったかなと思います。実際、娘も中学生になったけれど、学校では一度もマスクを外すことなく、同じクラスの子らと顔と顔を合わせて時間の流れるのも忘れて、楽しくしゃべったり騒いだりするという思い出を作るチャンスを、失ってしまったことは寂しいことです。

ふり返ると、否定的なことしか残ってないような気がするかもしれませんが、インマヌエル(神、我らと共におられる)の主が私たちの傍らで共に歩まれ、守り、助けてくださったことを思うと、賛美せざるを得なくなります。また、愛する神の家族の皆さんとの執り成しと愛の交わりに支えられ守られたことは言葉では言い表せない感謝でいっぱいです。2021年の最後の主日礼拝、互いに感謝の拍手を送りましょう!“あなたがいて、わたしもいます。”シャローム!”


2021.12.26 小さな泉の恵み

 ~灰色の断想~

誠実、無欲、色で言えば真っ白な人、  不実、貪欲、色で言えば真っ黒な人、そんな人は現実にはいません。いるのは、そのどちらでもない灰色の人でありましょう。 比較的白っぽい灰色から、比較的黒っぽいのまでさまざまではありますが、とにかく人間は、灰色において一色であります。その色分けは一人の人間においても一定ではなく、白と黒の間をゆれ動いている者同志の分別に過ぎません。よく見ればお互いに灰色であります。灰色は、明るくはありませんが暖かい色です。人生の色というべきでありましょう。

藤木正三著 「灰色の断想」より

藤木正三先生は、牧師で教育者でもあった方で、何冊もの著書を残しておられます。  イエス様が、私の心の扉をノックされる音に気付かせてくださった恩師です。人とのかかわりの中で、疲れたり落ち込んだりした時、この文章を思い出すと何だかほっとします。真っ白なのは神様だけです。  

                            S.Y.姉


2021年12月21日火曜日

2021.12.19 牧師室便り

 ~ あなたのスターは誰ですか ~

今年の流行語大賞に「リアル二刀流/ショータイム」が選ばれました。この言葉は、メージャーリーグで活躍している大谷翔平選手の姿から作られたものです。打者か投手のうち、どっちかだけを選んで鍛えて行く中で一流を目指すのが一般的なプロ野球選手の姿でしたが、大谷翔平さんが打者と投手両方を、しかも世界最高レベルのメージャーリーグで成し遂げたということは日本のみならず、世界においても特別なことでした。しかも両方ともに一流の成績を残し、その活躍が認められ、アメリカン・リーグの年間MVPも受賞することになったのです。驚きです。まさしくコロナ時代に暗いニュースで覆われ落ち込んだ日本の人々にとって一筋の光でしたね。

暗闇がますます深まっているアドベントの日々です。主イエスが光としてお生まれになるクリスマスを待ち望みつつ、 今、神の家族の歩みを照らす光は確かでしょうか。「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」(詩編119:105)コロナという闇に覆われて神の家族の道を照らす光を失ってはいませんか。皆さんを取り囲む様々な闇の力に何もできず、自分の内側にとどまり、光り輝く恵みの世界に足を運ぶ勇気を失ってはいませんか。スターとしての大谷選手の放つ光は一瞬のものであり、いつその放つ光を失うか分かりません。

聖書は永遠に変わらず輝き続ける光こそ、イエス・キリストであると教えます。そして、その光に照らされる者も、再び光輝く者となるようにと勧めます。イスラエルの歴史上、最も厳しい闇に包まれていた預言者ダニエルは、その暗闇に呑み込まれることはありませんでした。彼は闇が深ければ深いほど、真の光なる神の方に方向を固定します。その光に照らされて、自らがスターとしての役割を果たします。今こそ、暗闇の人々を照らすスターが求められます。あなたが主イエスの光に照らされ、暗闇に住む人々のスターになりませんか。シャローム!


2021.12.19 本日の宣教

『 闇の中に光が輝く 』 (イザヤ8:23~9:6)

世界が暗闇に包まれています。気になるのは、その暗闇が日に日に増しているということでしょう。コロナパンデミックが終息どころか次々と変異株が出現し、世界をパニック状態に陥れたこの二年間でした。最近は、コロナだけではありません。いつ大地震が起きても不思議でないような状況が日本各地に続いていますし、世界規模で地震、火山噴火、地球温暖化による異常気象が頻繁に起きています。少しずつ良くなってきているようであればいいのですが、日に日に悪くなるばかり…。このまま終末を迎えるような気がする近頃です。

本日のイザヤが描くユダの民は暗闇と死の陰に覆われた地で生きていました。イスラエルの北部にあるガリラヤは、アッシリアとバビロンのような北方民族に侵攻されたときに、一番先に踏みにじられた地域でした。それでガリラヤはユダの人々からさえ蔑視と差別を受けていた地域でした。まさに、ガリラヤは暗闇の地だったのです。

しかし預言者イザヤは、その暗闇の場所からメシヤの働きが始まり、暗闇の地に光が照らされることを宣言します。政治と宗教の中心地であったエルサレムではなく、異邦人の地ガリラヤでメシヤが働かれるということは、当時の人々にとって非常に衝撃的な内容でした。実際、主イエスはガリラヤ地域を中心に働かれ、ガリラヤの疎外されていた民を訪ねられ、彼らを癒し、彼らの友となられました。主イエスは、マタイ4:14~16でイザヤを引用し、預言が成就したことを告げられました。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(イザヤ9:1)…今も主イエスは罪と死の陰に覆われている暗闇の世界に来られ、命の光を照らしてくださいます。罪の中にいる人々の希望こそ、メシヤなる主イエスの光を受けることで、その光を受けた者は一人の例外もなく救いに加えられるのです。

イザヤが預言したメシヤは、みどりごとして生まれると紹介されています。しかし、みどりごとしては想像できないような特別な存在であることが記されています。「彼の肩には権威があり、驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」として来られるという。最も弱く小さなみどりごが成し遂げられる驚くべき御業です。さらにイザヤは、神がこの世に人として来られることを「万軍の主の熱意」によるものだと告げます。ここで「熱意」をより正確に訳すると、「嫉妬、ねたみ」になります。罪と死に満ちた暗闇の世界に光を照らし、メシヤをみどりごとして遣わされた理由こそ、神のねたみのゆえだったのです。すなわち、私たち人類を愛するゆえ、ご自身の民が暗闇を愛し、暗闇にご自身の民らを奪われることを許されません。私たちの神は、神の民に向かってねたまれるお方であることを覚えましょう。

本日、M兄のバプテスマ式が執り行われます。M兄の人生は生まれた時から暗闇でした。そのため暗闇を照らす光をずっと待っていたことでしょう。主イエスはM兄の願いに答え、光の子の恵みを与えられたのです。ハレルヤ!


2021.12.19 小さな泉の恵み

 

 12日の礼拝後、愛する村上隆兄が所属する富山ハンドベルの会「ブルー・リンガー」のサロンコンサートに行きました。「きよしこの夜」や「星に願いを」などアンコールを含め全九曲が披露されました。素晴らしい演奏で、透き通るような音色に大いに癒され満たされました。16人(17名?)のメンバーが息を合わせる為に、大変な練習を積まれたことでしょう。
 
「一度しか産まれたことのない人は二度死に、二度産まれた人は一度死ぬ」村上隆兄の2度目の誕生日バプテスマを共に喜び祝福します。医師から二十歳まで生きられないだろうと言われた隆兄を主は五十歳を超える今日まで育み護られ、更に永遠の命へと導きいれられました。主に感謝を捧げ褒め称えます。クリスチャン生活は決して平穏な道ばかりでは有りません。かえって主の道は棘の道、涙を流す日もあるでしょう。しかし如何なる時も主は共におられ導き支えて下さるので主を信頼し歩んでいきましょう。「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイによる福音書28:20)」村上隆兄と御家族、周りの全ての皆様に豊かな祝福がありますように。
                           S.Y.兄

2021.12.12 牧師室便り

 ~民全体に与えられる大きな喜び~

最近、なかなか天候が落ち着かなく荒れた日が続いてきたため、クリスマスの装飾の諸作業を、一人で行うことが多くなってきました。コロナが来る前までは、大人と子どもがワイワイと騒ぎながら、ツリーを綺麗に飾ったり、礼拝堂を綺麗に掃除したり、礼拝堂の外のイルミネーション作業を行ったりしていました。しかし、コロナに覆われるようになってからは、教会に遅くまで残ることも、みんなで触れ合いながら楽しく奉仕することも難しくなってしまったため、異様に静かなクリスマスの季節を過ごしている私たちです。さらに、クリスマス諸集会に誘うことも、ままならない状況ですし、周りの人々に、「クリスマスは教会で!」という言葉をかけることも、あきらめてしまっている私たちかもしれません。

それでは、いつまでこのような無気力な信仰生活をすればよいのでしょうか。コロナが終わる時まででいいでしょうか。 コロナが終わらなければ、伝道することから手を放してもよいのでしょうか。もしかしたらコロナということを言い訳にして、私たちの姿勢を正当化しようとする試みに、呑み込まれているのかもしれません。…しかし、聖書ははっきりと命じています。「折が良くても悪くても伝道に励みなさい」ということを!…折が悪い時に、コロナは例外だ!という人がいるかもしれません。しかし、闇が深ければ深いほど、小さな灯の存在が大切にされるはずです。今だからこそ、「民全体に与えられる大きな喜び」が示されたクリスマスの恵みを、宣べ伝えるべきなのです。神の家族の皆さん、ぜひ周りの方々に「神の独り子がお生まれになりましたよ!あなたを救うための神からの最高のプレゼントを受け取ってください!」と声をかけませんか。シャローム!


2021.12.12 本日の宣教

 『 愛が冷えている世界で 』  (Ⅰヨハネの手紙4:7~12)

「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」(Ⅰヨハネ4:12)

“愛の使徒”という呼び名をもっていたヨハネは、その呼び名通り、本日の御言葉の中だけで「愛する者」、「愛する」、「愛は」など、愛と関わる言葉を15回も用いて手紙を書いています。とりわけヨハネは、愛の根源が神にあることを伝えます。そして神の愛については、その創造された人々が知っているはずだと断言します。

なるほど、聖書は、人間について神の似姿に造られ、神の目には値高く尊いと記しています。しかし、神の愛に満たされながらも神に反逆の罪を犯してしまい滅びの道を辿るしかなかった人類を救うために、神は御自分の独り子を反逆の世界へ遣わされ贖われるという愛の極めを示されました。

そしてヨハネは、神の愛をいただいた者は、神を愛する者であり、神を愛する者は神を知っていると断言します。そしてもう一歩進んで、神の愛を知っている者であると言いながら、隣人を愛さない者は神を知らない者だと厳しく迫っていきます。その理由は、「神は愛」だからです。愛である神を知っていると言いながら互いに愛し合わなければ、それは矛盾であり、実は神を知らない者に他ならないことになります。私たちの信仰と愛は切り離せないもので、信仰は愛によって証明され、愛によって完成されることを忘れてはなりません。

ヨハネが語る愛とは、口の言葉や概念ではありません。真の愛とは、目に見えることであり、実践することで定義されるものであることが分かります。ヨハネは、罪人たちのために独り子をお与えになったことから、「ここに、愛があります」(10節)と宣言します。まさしく、人間の罪は、神の御子を十字架につけて殺すほど大きかったのですが、そのために独り子を犠牲にする神の愛は、その罪を覆い清めるほど大きかったのです。その愛によって、私たちの罪が赦され、神の国と永遠の命をいただいたのです。すなわち私たちが先に神を愛したのではなく、愛なる神が先に私たちを愛されたと認めることで、独り子イエス・キリストの十字架の愛の意味が分かるようになります。

それでは、その愛を知った者たちはどう生きるべきでしょうか。ヨハネは神の愛について知っている者たちを「愛する者たち」と呼びかけます。そして、神の大いなる愛を受けたキリスト者たちに向けて、「互いに愛し合いましょう」と勧めます。その理由こそ、私たちが父なる神の独り子をいけにえとして与えるほどの犠牲的な愛を受けたからです。神の大きな愛を受けたならば、神を愛することと人を愛することを避けることはできないからです。続けてヨハネは、私たちが互いに愛し合うことによって起こる驚くべき奇跡を約束するわけですが、それは、誰も見たことのなかった神の姿が、愛し合う群れの中から現され、神の愛が愛し合う人々の内で全うされるという約束です。

神の家族の皆さん、皆さんは日々、神の姿を見出していますか。見えない神を見出すための道は見える兄弟を愛することにあります。それは神の愛を受けたキリスト者の使命であり、約束への応答です。「愛が冷えている世界」を生きる私たちですが、主イエスの御言葉に従い、「あなたがたが互いに愛し合うならば、あなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」という約束が成就するでしょう。ハレルヤ!