2021年12月21日火曜日

2021.12.12 本日の宣教

 『 愛が冷えている世界で 』  (Ⅰヨハネの手紙4:7~12)

「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」(Ⅰヨハネ4:12)

“愛の使徒”という呼び名をもっていたヨハネは、その呼び名通り、本日の御言葉の中だけで「愛する者」、「愛する」、「愛は」など、愛と関わる言葉を15回も用いて手紙を書いています。とりわけヨハネは、愛の根源が神にあることを伝えます。そして神の愛については、その創造された人々が知っているはずだと断言します。

なるほど、聖書は、人間について神の似姿に造られ、神の目には値高く尊いと記しています。しかし、神の愛に満たされながらも神に反逆の罪を犯してしまい滅びの道を辿るしかなかった人類を救うために、神は御自分の独り子を反逆の世界へ遣わされ贖われるという愛の極めを示されました。

そしてヨハネは、神の愛をいただいた者は、神を愛する者であり、神を愛する者は神を知っていると断言します。そしてもう一歩進んで、神の愛を知っている者であると言いながら、隣人を愛さない者は神を知らない者だと厳しく迫っていきます。その理由は、「神は愛」だからです。愛である神を知っていると言いながら互いに愛し合わなければ、それは矛盾であり、実は神を知らない者に他ならないことになります。私たちの信仰と愛は切り離せないもので、信仰は愛によって証明され、愛によって完成されることを忘れてはなりません。

ヨハネが語る愛とは、口の言葉や概念ではありません。真の愛とは、目に見えることであり、実践することで定義されるものであることが分かります。ヨハネは、罪人たちのために独り子をお与えになったことから、「ここに、愛があります」(10節)と宣言します。まさしく、人間の罪は、神の御子を十字架につけて殺すほど大きかったのですが、そのために独り子を犠牲にする神の愛は、その罪を覆い清めるほど大きかったのです。その愛によって、私たちの罪が赦され、神の国と永遠の命をいただいたのです。すなわち私たちが先に神を愛したのではなく、愛なる神が先に私たちを愛されたと認めることで、独り子イエス・キリストの十字架の愛の意味が分かるようになります。

それでは、その愛を知った者たちはどう生きるべきでしょうか。ヨハネは神の愛について知っている者たちを「愛する者たち」と呼びかけます。そして、神の大いなる愛を受けたキリスト者たちに向けて、「互いに愛し合いましょう」と勧めます。その理由こそ、私たちが父なる神の独り子をいけにえとして与えるほどの犠牲的な愛を受けたからです。神の大きな愛を受けたならば、神を愛することと人を愛することを避けることはできないからです。続けてヨハネは、私たちが互いに愛し合うことによって起こる驚くべき奇跡を約束するわけですが、それは、誰も見たことのなかった神の姿が、愛し合う群れの中から現され、神の愛が愛し合う人々の内で全うされるという約束です。

神の家族の皆さん、皆さんは日々、神の姿を見出していますか。見えない神を見出すための道は見える兄弟を愛することにあります。それは神の愛を受けたキリスト者の使命であり、約束への応答です。「愛が冷えている世界」を生きる私たちですが、主イエスの御言葉に従い、「あなたがたが互いに愛し合うならば、あなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」という約束が成就するでしょう。ハレルヤ!   


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