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~私とあなた~
宗教哲学者のマルティン・ブーバーは、著書『我と汝』で、現代人の人間関係を三つに分類しました。
一つ目は「これとこれの関係」です。この関係は、互いを物のように利用して捨ててしまいます。
二つ目は「私とそれの関係」です。この関係は、相手が自分を物のように利用しても、自分は相手を最後まで人格的に接するときに成立します。
三つ目は「私とあなたの関係です。これは、互いに人格的に接し合う関係です。
ブーバーは、ここで重要なことを付け加えています。「私とあなたが互いを人格的に信頼しても、その関係はいつでも壊れ得るという緊張感がある。これが人間の弱さである。そのため、『私とあなた』の間には、いつでも関係をつなげ、仲立ちをする存在が必要である。」…ブーバーはその存在を「永遠のあなた」と紹介し、それはイエス・キリストであると言っています。親子や夫婦、友人の関係をキリストを通して見る時、またキリストにあって共にひざまずくとき、赦し合い愛し合う完全な関係を築くことができるのです。
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2020年1月13日月曜日
2020.1.5. 小さな泉の恵み
2019.12.29 牧師室便り
~ 光の子としてアーメンを生きる ~
「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」(エフェソ5:8)
聖書はキリスト者を光の子と呼びます。光こそキリスト者のアイデンティティーであるからです。しかし、キリスト者を取り囲む世界は暗闇なのが現実です。暗闇の世界は光の子たちを倒し暗闇に閉じ込めようとします。光と暗闇は一緒に存在することはできず、光の力が増す時に暗闇は力を失うからです。聖書の中に光と暗闇の戦いが頂点に達した時こそが、イエス・キリストの誕生物語とゴルゴタの丘の十字架と復活の時として記されています。その光と暗闇の熾烈な戦いはやがて主イエスが再び来られ、サタンと暗闇の世界を裁かれる時に終わりを告げることになるでしょう。
光の子であるキリスト者は、主イエスの再臨の日を待ち望みつつ、常に暗闇との緊張した戦いの中を生きる存在なのです。しかし、暗闇との戦いに、決して押しつぶされてはなりません。絶えず、主イエス・キリストの十字架の愛と光に自分自身の罪や弱さを引き出し、癒していただき、新しい人を身に着けることです。そして聖霊との親しい交わりと力強い助けにゆだねることです。
そして、光の子として生活の全領域に及んで、主イエスの光を照らし続けることです。暗闇の世界において光の子として歩むためには、「いつも、あらゆることにおいて」、主イエスに喜ばれることが何であるかを見分ける生活習慣を身につけることでしょう。すなわち、いつ、どんな場面に置かれても、「主イエスだったらどうされただろうか」と忘れず問いかけることであって、その時示される御心に「アーメン」と応答する必要があるのです。
一年の最後の主の日を迎える神の家族の皆さんは、「アーメンの生活」を実践していますか。主イエスのチャレンジに、まず、心からアーメンと答え、体をもってアーメンの生活を歩むことです。私たちが光の子であれば、口だけのアーメンにとどまってはならず、アーメンという応答を口から心へ、心から生活へと広げていく時、暗闇の中にいる人々を光の方へと導くことができるのです。
“神の家族の皆さん、2019年の一年間、祝福の源としての歩みに感謝します”
2019.12.29 本日の宣教
『祝福の源となる人の祈り 』 (詩編130:5~8)
2019年、一年間の歩みを祝福し守ってくださった父なる神を賛美いたします。また、神の家族同士による執り成し、愛と支え合いをありがとうございます。
ラインホールド・ニーバーの祈り
神よ、
私に変えることのできないものは、
それを素直に受け入れるような心の平和を!
変えることのできるものは、
それを変える勇気を!
そして変えられるものと変えられないものとを、
見分ける知恵を!
この私にお与えください。
一日一日を大切に生き
一瞬一瞬を楽しみ
困難を平和への道として受け入れ
この罪深い世界を
私が求めるようにではなく
主がその現実を受け止められたように
受け止めさせてください
もし私が主のみ旨にゆだねるなら
主はすべてのことを
良きにしたもうことを
信じつつ
私がこの世でそれなりに
幸せに暮らし、
来るべき世においては
永遠に主と共に
最高に幸せな者となることができますように
アーメン
2019年の一年、52週間の歩みを振り返ると、この祈りの内容に立たされた経験があるでしょう。自分の力で変えることのできないものの前で変えて見せようと力んだり、イライラしていたこと、また変えることのできるものなのに勇気がなくあきらめてしまったことなど…。
ぜひ、一年間の歩みを導き守られた父なる神に感謝し、新たな一年の知恵を祈り求めましょう。ハレルヤ!
2019.12.29 小さな泉の恵み
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どうも高齢になると体調が悪くなるといろいろのことを思う時がある。
ここ二,三年は起伏の多い年である。今年も電光花火のように歳月が流れもう一年は終わりますが、その間悲しいことや嬉しいことが交々のことが多くあり、なおさら早く過ぎたような感じがします。
自分のことを言えば、11月の中ばより、軽いセキ・のどの痛み、身体のだるさがありそれが大したことがないだろうと思っていたらだんだん重くなりそれが長い間発病しなかった坐骨神経痛が併発して歩くのも苦痛、セキと微熱・神経痛に襲われ、神様は大変な試練を与えてくださいました。家で静かにしていていよいよ私にも神様がお迎えが近いのだと考え、もう教会の皆様には会えないのかと淋しい思いをしておりました。
過日の聖日体調が少し良くなったので、出席。久しぶりに皆様の顔をみていると自然に体が良好になり。普段と変わりなく体調良好。
感謝しております。今年は令和になっての最初のクリスマスも無事に終了。今年もあとわずか。
昔の人はいいました。
これは神様からもらった生命を素直に頂いていくもの。私もそういう言葉で自然体に進みたいと思います。
A.M.姉
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2019.12.22 牧師室便り
~キリストと食事会を!~
ウォーレン・バフェットという世界一の投資家で金持ちである人のことをご存知でしょうか。彼は今から20年前の2000年のある日、“自分と二人だけで昼食会ができる権利をオークションにかけたい!”という驚くべき企画をしました。第一回目の昼食会に落札された人が出したお金はなんと3百万円であったそうです。神の家族の内に一回の食事に300万円の代金を払って食事できる人はいるでしょうか。・・・興味深いことに、2000年から毎年行われたその昼食会は今年で20回を迎えることになりましたが、年々その落札価格が上がっていき、今年ウォーレン・バフェットさんとの昼食会の落札価格が日本の円で約5億円にまで上ったそうです。本当に驚きです。
一般人は普段、百万円というお金も手にすることさえ難しいのに、ささやかな食事とウォーレン・バフェットとの3時間ほどの時間を共に過ごす、たった一度の昼食会のために5億円を払ってまで、ウォーレン・バフェットという人と交わりたいという選択をする人もすごいと思いますよね。そこで、さらに驚くべきことは、過去20年間、バフェットと昼食をする権利を得た人々のうち、誰一人自分が出した昼食会のお金を惜しまなかったということでした。本当に驚きの連続です。ちなみに落札されたお金は全額、慈善団体に寄付されるそうです。
本日、ウォーレン・バフェットさんとは比べられないほどの金持ちで、最高の知恵と力をもっている方が皆さんに会いたい!と望んでおられます。その方こそ、天地万物を創造され、あなたと私を救うために命まで捨ててくださり、永遠の命をプレゼントとして与えてくださるイエス・キリストです。クリスマスは命のパンとして私たちのうちにやってこられたイエス・キリストを迎え入れる時です。そして、主イエスに会うために必要なものは、金や銀ではありません。素晴らしい名声でも、地位でも、知識でもありません。主イエスが求められるのは、ただ貧しく悔いる心、また、その方に会いたいという飢え渇く謙遜な心です。それだけでいいのです。神の家族の皆さんは主イエスの食事会への招きに応答できますか。
2019.12.22 本日の宣教
『 主に喜ばれる贈り物を献げましょう 』 (マタイによる福音書2:9~11)
あなたがイエス様のお誕生のプレゼントをするのであれば、どのようなものを献げられるでしょうか。宇宙万物を造られ、すべてを所有された方にどのような贈り物がふさわしいでしょうか。恐らく、これといった贈り物を選ぶことは大変難しいことでしょう。しかし、そのような困った中で、一つヒントをくれる人たちがいます。その人たちこそ、東方の博士たちです。彼らは黄金と乳香、没薬という当時の宝物を捧げましたが、私たちは目に見えるこれらの宝物ではなく、目には見えませんが、彼らのうちに素晴らしい贈り物が隠れていたことを探して見たいと思います。
まず、博士たちに隠れていた贈り物として「希望」がありました。星を追い求めていた博士たちは旅の途中、どれほど多くの藤に直面したことでしょうか。しかし彼らは決して最初に抱いた「世界の王に会って礼拝したい」という「希望」を捨てることはありませんでした。この「希望」が幼子イエス様に出会わせてくれたのです。もし、あなたの人生においても真っ暗な夜に襲われた時、あなたは何を仰ぐでしょうか。真っ暗闇に目を向けましょうか、輝く星を仰ぐでしょうか。真っ暗な「絶望」でしょうか、暗闇の中で輝く「希望」でしょうか。神は私たちの人生の旅においても時々、2000年前の東方の博士たちにされたように、輝く希望の星を現すために、暗闇を用いられることを覚えましょう。光は暗闇の中でだけその光を輝かせるからです。彼らが携えていた希望を主イエスは喜ばれたことでしょう。
次に、彼らに隠れていた贈り物として「時間」がありました。聖書学者たちによると、東方の博士たちはペルシア王国、現在のイランから星を追いかけて来たと言われています。すなわち、太陽のあるうちは休息を取りながら、夜だけ旅を続けるしかありませんでした。そのため1~2年ほどの時間がかかったと言われているのです。その長い旅の中で、時には病気にかかったり、強盗に襲われたり、体力的な問題、経済的問題など、紆余曲折があったに違いありません。考えてみましょう。もし皆さんが一年以上も、安定していた家、安定していた生活を離れ、山を越え、川を越え、荒野で迷うことを想像して見てください。そうです。クリスマスこそ、待ち望む人に出会ってくださる神の御心が示された時です。皆さんは、皆さんの大切な時間を神との交わりのために献げていますか。
最後に、東方の博士たちに隠れていた贈り物は「礼拝」でした。東方の博士たちは身分からしても、また彼らが持ってきた宝物にしても、博士という知識の面にしても、間違いなく経済的に富んでいて、社会的な名声や影響力をもっていたに違いありません。しかし彼らは、ベツレヘムの暗く狭い、また動物たちのフンの匂いで充満していた汚い馬小屋に入ることを躊躇しません。そして彼らは、みすぼらしい若い夫婦と生まれたばかりの赤ちゃんを目の当たりにした時、「ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。」(2:11)…そうです。東方の博士たちは、幼子イエスの前にひれ伏し礼拝をささげたのです。真心から献げる礼拝を通して、私たちは最も近くで神の御姿をはっきりと見ることができますし、私たちと共におられるインマヌエルのイエスの臨在に包まれることになり、私たちに出会わせてくださる神の熱心に触れることになるのです。ハレルヤ!
2019.12.22 小さな泉の恵み
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~不安な時間~
週報の係をしていて、埋まっていない欄があるのはとても不安です。とりわけ小さな泉の恵みや奉仕表も空欄になっている時の、私の不安な思いを書かせていただきます。
実は先日、礼拝を欠席したので、11月分「リビングライフ」を受け取っていませんでした。いつでも教会に寄って取ってくるわ。と、思っていましたが、今日は…明日は…と、日がすぎて、「ま、いいや」と、結論付けてしまいましたが、なんだか寂しくて不安だったんです。
ほんの少しの時間をなまけて、何日も冊子に触れないこともたくさんあったのに。持っているだけで、安心しているなんて、私は、なんという勝手なんだ…
讃美歌「FOOT PRINT」を口ずさんで、涙がじわっと出ています。
キャッ!ごめんなさい。
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