『 砂漠で花を咲かせる人々 』(イザヤ35:1~6)
主イエスの復活の命による恵みと平和が礼拝に集われたお一人おひとりの上に豊かに注がれますように祈ります。過ぎ去った一週間、神の家族の皆さんは復活の主と共に歩む恵みを感じながら過ごされたことでしょう。
さて、預言者イザヤは、本日の35章の御言葉を通して、やがて到来すべきメシア王国で成し遂げられるべきことを描いています。「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ、砂漠よ、喜び、花を咲かせよ、野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ、大いに喜んで、声をあげよ。(35:1~2)」・・・ここで描かれている「荒野、荒れ地、砂漠、野ばら」とは、神の国、メシア王国が実現する前の廃墟となっていたイスラエルの状況、また、罪と欲望によって堕落し、神様と断絶してしまった人間社会の状態を、象徴的に描いている表現です。まさに、今現在の私たちの世界ではないでしょうか。
しかし、イザヤは砂漠や荒野のような絶望の上を歩いているイスラエルの民らに向けて、「神はあなたたちの罪と不義、堕落に対して、恐ろしい裁きをくだされたけれど、神はあなた方をそのままにしておかず、必ず大いなる御業を成し遂げられる。」という、希望のメッセージを告げます。
そうです。まことに預言者は、絶望の中から、神の希望と未来を見出す人です。私たちクリスチャンもそうでしょう。預言者としての目を持ち、神様がどのように世界の中に介入され、どのように御心を成していかれるかを見続け、神の御心を人々に大胆に告げる役割を担う人こそ、クリスチャンであります。コロナ、戦争、自然破壊、経済危機などの影響を受けている、砂漠のような厳しい現実にしっかりと目を向け、神の御業を望み、次のような全く新しい御心を伝える使命を、委ねられているのです。
「弱った手に力を込め、よろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。『雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。』(35:3~4)」
復活の主が、弟子たちの内に現される前の弟子たちは、まさしく砂漠や荒野のように、希望も、命も、讃美も見出すことができないまま、立ち上がる力も失い、絶望と憂鬱といった雰囲気に覆われていました。しかし、彼らの只中に復活のイエス・キリストが来られることによって、大いなる変化が起こり始めました。まさに素晴らしい逆転劇です。「荒野、荒れ地、砂漠」のような人々が、復活の主の現れによって花を咲かせ、喜びの声を上げるように変わる。「弱った手、よろめく膝、心おののく人々」の心と生活に、想像を超えるような変化が起こったのです。
神の教会こそ、復活の主の命と力を受けて、砂漠、荒野、荒れ地のような周りの絶望の地で、神の恵みの花を咲かせる群れにならなければなりません。「主イエスが復活されました。復活の主がいつもあなたと共におられます。」と、慰めと励ましの言葉の種を蒔き散らし続け、やがて美しい花を咲かせる人々、それが私たち小泉町教会に委ねられた使命です。ハレルヤ!