2023年4月11日火曜日

2023.4.9 本日の宣教

 『 傷の人、イエス・キリスト 』 (ヨハネによる福音書20:24~29)

復活された主イエスを讃美いたします!

十字架の上で死なれた主イエスはお墓に葬られました。そして聖書に約束されていた通り、主イエスは死から復活されました。そして、復活された主イエスは、部屋に閉じこもって怯えていた弟子たちの間に現れ、ご自身が死から復活されたことを見せてくださいました。しかし、ちょうどその時、弟子の一人トマスは、その場にいませんでした。だから、他の弟子たちから「私たちは復活の主を見た」という話しを耳にしてもどうしても信じられないトマスでした。そこでトマスは、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(25節)と訴えます。…人々はしばしばトマスについて「疑い深い」という言葉を付け加えて呼びます。しかし、「疑い深い」という言葉は、決して肯定的な言葉ではありませんし、不信仰と同じ意味に受け取ることになるでしょう。

もしかしてトマスは、主イエスの復活が信じられなかっただけではなく、他の弟子たちが復活の主に会った時に、自分だけがそこにいなかったことのゆえに、一人取り残された感じがしたからかもしれません。すなわち、トマスは「復活についての疑い」と「一人残されたような寂しさ」を感じていたことでしょう。

復活の主はトマスの要望に応えるために再び弟子たちの間にご自身を現されます。そしてトマスに向けて、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(27節)と言われます。主イエスはただトマスだけのために、再びご自身を現され、傷跡を見せてくださったのです。そして、その後に続くトマスの告白「わたしの主、わたしの神よ」は、復活の主の傷跡に触れた人だけが告白できる言葉であります。ようやく、トマスの疑いの夜は過ぎ去り、新しい信仰の歩みが始まったのです。 

トマスが求めていたのは「主イエスの十字架の傷跡」でした。その傷跡に触れた人が、復活の主の栄光と永遠の命をいただくことができるのです。その通り、主イエスは傷の人でありました。主は私たちの手を取って両手、両足、また脇腹に、鮮明に刻まれている5つの十字架の傷跡を見せられ触らせてくださいます。そして今も傷ついた御手で、あなたが抱えている傷、あなたの痛みを癒そうとしておられます。そうです。復活された主イエスの傷跡に触れる時こそ、私たちの傷が癒される時、新しい信仰の世界に入る時であることを覚えましょう。

私たちは時々、トマスのように復活の主を疑ってしまう時があります。コロナや戦争、自然災害、経済問題など、どう

しても自分の頭では納得のいかない出来事を前にして“本当に神は生きているだろうか”と疑ってしまいがちです。しかし主イエスは、私たちに傷跡の手を差し伸べ、「あなたの傷を私の傷跡に重ね癒されなさい。私と共に歩もう」と御声をかけてくださいます。願わくは、あなたも主イエスのために傷を身につけられることを喜びとしますように…。 ハレルヤ!


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