~ 主の住まいを慕い求む ~
「万軍の主よ、あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。私の魂は主の庭に思い焦がれ、絶え入りそうです。 生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。(84:2~3詩編)」
日本バプテスト連盟から出版されている「聖書教育」の10月から11月までの聖書のテキストはエズラ記とネヘミヤ記です。ユダヤ教において、エズラ記とネヘミヤ記はもともと一冊の書物として扱われてきました。とりわけ二冊の主題は、エルサレム神殿再建と城壁再建です。礼拝の民であったイスラエルが神に背き、滅ぼされ捕虜としての生活を余儀なくされてから、イスラエルが滅ぼされた理由が礼拝の民としてのアイデンティティーを失ったことにあることに気づきます。そういうこともあって、ペルシア帝国のキュロス王によるエルサレム帰還の時に、第一の優先順位となったのがエルサレム神殿再建でした。当時の神殿再建と城壁再建の物語がエズラ記とネヘミヤ記に細かく記されていますし、総督や祭司長などのリーダーグループはもちろん、イスラエルの民らも感動と喜びに満ちて神殿再建に加わっていたことを学んでいます。
紆余曲折を経て完成したエルサレム神殿を前にしてのイスラエルの民らの感動と喜びに満ちた涙を思います。まさしく新しい礼拝を献げるイスラエル共同体の感動は何にも代えがたいものであったことでしょう。本当に一つとなって賛美し喜び祝ったに違いありません。ところが、時間の流れと共にイスラエル共同体の礼拝は再び感動を失い、形式的なものに変わってしまいました。そのようなイスラエルの民らの様子にエズラは悔い改めによる礼拝改革を断行することになるのです。
今の私たちはいかがでしょうか。神を信じて信仰生活を始めた時、礼拝、祈り、聖書の学び、ディボーション、献金、奉仕、伝道など、神と教会、兄弟姉妹、隣人のための働きに喜びと熱心さがあったことを覚えています。最初の頃は、礼拝だけでは物足りず、祈祷会や聖書の学びの会、伝道や奉仕などにも励んでいたことでしょう。しかし、時間の流れと共に信仰生活にも、他の生活がそうであるように、気づいたらもう慣れてしまい、いつの間にか心の底から込み上げてくる感動、刺激などを失ってきていた私たちかもしれません。…礼拝こそ、主の住まい、神の民が恵みの主に出会う場です。宗教改革の季節、信仰と心を新たにしていただき、主の住まいを慕い求む神の家族でありますように…。シャローム!