2025年11月23日日曜日

2025.11.16 牧師室便り

 「 秋の紅葉から創造主を賛美する 」

先週、私たち夫婦は韓国からの2人の姉妹とともに称名滝を訪れました。称名滝は、私が富山で最も愛する場所であり、毎年春になると必ず訪れて大自然の力をいただく特別な場所です。今回は、初めて秋の称名滝を訪れる機会となりました。

車で山を登っていく途中、両側の絶壁に広がる紅葉の美しさが目に飛び込んできました。赤や黄色の葉が岩肌を彩り、そのあまりの美しさに私たちの口からは感動と感嘆の言葉しか出てきませんでした。「輝く日を仰ぐとき」の賛美歌が自然と口をついて出るような、神が造られた大自然そのものが賛美をささげているような瞬間でした。

季節ごとに神が大自然を通し、恵みを与えてくださっていること、そしてその存在に気づかせてくださっていることを、私たちは日々の忙しさの中で忘れてしまいがちです。しかし、神は日本の民に四季という豊かな恵みを与え、それぞれの季節の美しさを味わうようにしてくださっています。近年は地球温暖化の影響で四季の区分が薄れてきたように感じることもありますが、それでも四季の香りや彩りを与え続けてくださる主の恵みに心から感謝しています。

本日はチャペルコンサートの日です。聖書は、造られたすべてのものが創造主なる神を賛美するよう勧めています。賛美することこそ、私たちが与えられたアイデンティティであり、使命でもあります。

願わくは、本日のチャペルコンサートに来られたすべての方が、賛美の響きを通して神の愛と恵みに包まれる祝福のひとときを過ごされますように。神の霊が、お一人お一人の上に豊かに注がれますよう心からお祈りします。シャローム。



2025.11.16 本日の宣教

 『 共に喜び、共に泣き、共に歌う 』

                      ローマの信徒への手紙12章15節

      ~恵み~

手に入れたもののすべて 過ごしてきた時間すべて

歩んできた道すべて ただすべてが主のめぐみ

朝日昇り沈むのも 春の花も秋の実も

かわりゆく季節さえも ただすべてが主のめぐみ

すべてが 恵み 恵み 恵み 限りない

当たり前のものはない 何一つ すべては主の恵み


この世に生まれたことも ここまで歩んだことも

明日を夢見ることも ただすべてが主のめぐみ

神の子とされたことも 主を拝し賛美するのも

主を伝える祝福も ただすべてが主のめぐみ

すべてが 恵み 恵み 恵み 限りない

当たり前のものはない 何一つ すべては主の恵み


人は誰でも、喜びの時もあれば、悲しみの時もあります。嬉しいことを分かち合える人がいると、喜びは二倍になります。反対に、悲しい時にそばで泣いてくれる人がいると、悲しみは半分になる。そんな経験はありませんか。

昨年の元日、能登半島を襲った地震で、多くの方が家を失い、生活が一変しました。時間が経っても、今なお不便な暮らしを強いられている方々がたくさんおられます。私たちも「能登の方々に寄り添うことができれば」と思いながら、一年以上、小さな支援を続けてきました。しかし振り返ると、試練の中でも、温かい笑顔で私たちを迎え入れてくださる能登の方々のお姿から、かえって私たちが励まされ、慰められてきたことを感じています。

「共に泣く」というのは、ただ悲しみに沈むことではありません。相手の心に寄り添い、同じ痛みを感じようとする姿勢です。「共に喜び、共に泣き、共に歩む」、それがイエス・キリストの歩まれた道でした。

イエス様は神であられるのに、暗闇の中で涙する人々を救うために、人の姿でこの世にお生まれになりました。このお方は、喜ぶ人と共に喜び、涙する人と共に涙を流されました。そして最後には、私たちの罪や涙、病や痛みのすべてを背負い、十字架の上で私たちの身代わりとなって死んでくださったのです。けれども、イエス様はそこで終わりませんでした。愛する私たちと共に歩み続けるために、死を打ち破り、三日目によみがえられたと聖書は語っています。

神のひとり子であるイエス・キリストが、私とあなたのために十字架で命を捧げ、よみがえり、今も共に歩んでくださる…。そして、悲しみの日も喜びの日も、共に歌い、共に生きてくださるのです。それが、私たち一人ひとりに与えられている、恵みに満ちた人生なのです。

ぜひ、皆さんの人生の中にも、目には見えないが、皆さんの傍らで共に喜び、共に泣き、共に歌われるイエス様に出会われますようにと祈ります。ハレルヤ!


2025.11.16 小さな泉の恵み

 ~大自然が教えてくれたこと~

私は桜と紅葉が大好きで、今は寝たきりの夫が元気な頃、よく県内や近県の桜や紅葉の名所に出かけていました。今は県外に出かける機会はずいぶん減りましたが、それでも街中や少し郊外に車を走らせるだけで、息を飲むほどの素晴らしい風景に出会えます。

先週の祈り会の後、空港近くの友人宅に用事があり、出かけた帰りに近くにある運動公園周辺の紅葉を見に立ち寄りました。想像以上に美しい青空をキャンバスにしてサッと筆を走らせたような白い雲が所せましと描かれ、その下に広がる立山連峰とそのふもとに紅葉した木々の赤からオレンジ、黄色そして緑へと変わるグラデーションの美しさに、まさに息をのむ思いでした。そして、この美しい自然を作られた天地創造の主なる神様に心から感謝の念がこみ上げてきました。

 思えば、聖書の難解さや内容に疑問を持っていた時に、自分の蒔いた小さな種が、みるみる自分の身長を超えたのを見、この世界にあるすべての動植物の驚くべき法則や森羅万象が完璧なバランスで成り立っているのを見て私は聖書は神が作られたものであり全てを信じますと主に祈りました。最近体のことで落ち込み気味だった私の心に光がさしました。

主よ、感謝します!   

                            S.Y.姉

2025.11.9 牧師室便り

 「私は信じます。日本のリバイバルを」

先週、久しぶりに東京を訪れ、母校l学院大学のホームカミングデイに参加しました。先生方との約束もあり、25年以上ぶりに神学校のキャンパスを歩きました。寮やチャペルを見ながら、当時の信仰の熱心さや祈りの感動がよみがえってきました。卒業の前年、チャペルで祈っていた時に「あなたは日本で主のために献身する一人の弟子を作りなさい」という神の御声を聞いた瞬間の感動は、今も忘れられません。

しかし、久しぶりに歩いたキャンパスには雑草が生え、かつての活気が失われていました。大学では神学校以外の学部が閉鎖されると聞き、少し寂しさを覚えました。先生方によると、神学校入学者は毎年わずか一人か二人。西南のバプテスト神学部でも同様で、どの教派でも献身者の減少が続いているとのことでした。少子化に伴い高齢化しているキリスト教会の牧師たち、また長引く不況やコロナ禍の影響もあり、日本の教会の未来に不安を覚えます。

 それでも私は信じています。主はこの日本に、聖霊による真の悔い改めとリバイバルを必ず起こしてくださると。主の来られる日の前に、日本の民を救いへと導き、神の国の福音のために豊かに用いてくださるという確信があります。だからこそ、私たち富山小泉町教会が、リバイバルを備える群れとして、御言葉に燃え、聖霊に満たされ、神の御心を尋ね求める教会でありたいと願います。

主に喜ばれる教会、そして「イエス様だったらどうされるだろうか」という問いかけを常に黙想しながら歩み続ける、神の家族一人ひとりでありますように。

シャローム。



2025.11.9 本日の宣教

 『  光の子として主の日を待つ 』

                   テサロニケの信徒への手紙一5章1~6節

使徒パウロは、主イエス・キリストの再臨、すなわち「主の日」について、キリスト者がどのような心構えを持って生きるべきかを語っています。私たちもまた、終わりの時代に生きる者として、この教えを真剣に受け止めなければなりません。聖書は、主の日は「夜中の盗人のように来る」と語ります。それは突然であり、人間の予想や都合を超えて到来するものです。では、私たちはただ恐れながら怯えて待つべきなのでしょうか。いいえ、パウロは語ります。「あなたがたは光の子、昼の子である」と。つまり、主の日は私たちにとって裁きの日ではなく、救いの完成の日、栄光の主と顔と顔を合わせる希望の日なのです。問題は、その日がいつ来るかではなく、私たちがどのような者としてその日を待っているかにあります。

「光の子、昼の子」として生きるとは、日々み言葉に照らされ、祈りによって心を目覚めさせ、主の臨在を意識して生きる生活です。光は隠されません。暗闇に輝き、周囲を照らします。キリスト者の生活は、単に道徳的に正しくあることではなく、暗闇の世界の中で神の光として輝く使命を帯びているのです。もし私たちが光の子であるならば、自分の信仰を隠すことはできません。私たちの言葉、態度、生き方そのものが、主の再臨を待つ者の姿として現れることになるでしょう。

主イエスは山上の説教の中でこう言われました。「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あ なたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ5:16)

 闇の中では、人は隠れ、ごまかし、自分の都合の良いように行動します。しかし、光の子は隠れる必要がありません。真理が私たちを覆い、愛が私たちのすべての行動の動機となり、希望が私たちの道しるべとなるからです。

主の日が来たとき、闇に属する人々にとっては予期せぬ「盗人」に襲われたように思えるでしょう。しかし、光の子である私たちにとっては、待ち望んでいた愛するキリストとの「再会」の日、勝利の日なのです。ですから、私たちのアイデンティティが「光の子」である以上、もはや闇の中で眠ることは許されません。目を覚まし、身を慎み、日々、私たちの視線を永遠の光であるキリストに向けつつ、キリストの光を反射する者として立ちたいものです。

願わくは、子ども祝福式を迎える富山小泉町教会の子どもたちが、「光の子、昼の子」としてのアイデンティティを持って育まれ、暗闇の世界にあって真の光である主イエスを人々にプレゼントできますように。神の家族の皆さんが、祈りと愛をもって見守ってまいりましょう。

日々、暗闇が深まっている季節です。二千年前、救い主を待ち望んでいた人々に光として来られたクリスマスの恵みが、神の家族の上に豊かに注がれますように。

ハレルヤ!


2025.11.9 小さな泉の恵み

 「てにをは」  

ワタシの教会で、「『ここに教会がある』ということを、地域の人々に知らせていきたい」という話が出ました。  そのあと少しして、教会で音楽会をやったとき、しばらく教会を離れていた人々が来てくれました。その時ワタシは『教会はここにある』ということを思いました。    

さらに、ある人が、「今、教会に課題はいろいろあるけれど、『ここに教会はある」ことを信じよう」といいました。 「ここに教会がある」...悩める人、求める人が、ふと通りかかった教会に行って見ようと思うように。 

「教会はここにある」...かつて教会にいた人が、いつでも帰ってこれるように。「ここに教会はある」... 人の力に寄らず、イエス・キリストによって成った教会は、私たちの弱さにも世の力にも揺らぐことなく、あり続ける。  

「てにをは」「語順」が違うと意味がちょっとずつ違う。でも、みんなアーメン。と思いました。

                                    S.M.姉          

2025.11.2 牧師室便り

 「 主がつないでくださった出会い 」

先週も、神の家族の尊い支えとご奉仕によって、「小さな泉のカフェ」が恵みのうちに行われました。今回は一麦教会の方々が欠席され、参加者が少なくなるのではと心配しましたが、小泉町教会だけで12名が出席し、すべてのプログラムを無事に終えることができました。火曜日からビンゴ大会の準備をしてくださった方々、水曜日の買い出しや食材の備えを手伝ってくださった皆さん、またカンパに協力してくださった神の家族の皆さんに、心から感謝いたします。

今回、特に心に残ったのは、これまで柳田公民館の館長として、長年にわたり素晴らしい働きをされたU館長のことでした。ご自身の家も大地震に見舞われ、仮設住宅での生活を続けながら、柳田地区の方々を支えてこられましたが、積み重なった疲れから体調を崩され、その後もなかなか回復せず、9月をもって館長の職を退かれたとのことです。「これ以上皆さんに迷惑をかけたくない」と静かに語られたその思いには、地域と人々への深い愛が感じられました。

それでもU館長は、いつもの穏やかな笑顔で「小さな泉のカフェがあるときは必ず参加します」と言ってくださいました。その言葉と笑顔に、どれほど多くの人が励まされたことでしょう。今までのU館長の尊いお働きに感謝とエールの拍手を送りましょう。

どうか、愛する主がU館長のお体と心、そして魂を豊かに癒し、これからの歩みを祝福してくださいますように。また、新しく来られる館長の方とも良い関係が築かれ、「小さな泉のカフェ」がこれからも柳田地区の皆さんにとって、これまで以上に喜びと慰めの場となりますように祈ります。主がつないでくださった出会いと交わりを感謝しつつ、これからも祈りと愛をもって、この働きを続けてまいりましょう。シャローム。



2025.11.2 本日の宣教

 『  私たちが抱く希望  』

                  テサロニケの信徒への手紙一4章13~18節

パウロは、いよいよⅠテサロニケの信徒への手紙の中心主題である、キリストの再臨とその時に起こる死者の復活について説明します。

キリスト者にとって、死とは生の終わりではなく、主イエスと再び出会い、永遠に生きるための入口です。ですから、キリスト者は死に直面しても悲しむことなく、むしろ喜びをもって受け止めることができます。

しかしパウロの時代、すでに死んだ信徒たちが、主イエスの再臨の時に、生きている信徒と同じように栄光にあずかることができるかどうかについて、議論がありました。これに対してパウロは、今生きている信徒たちだけでなく、すでに死んで肉体が朽ちてしまった信徒たちも、主イエスの再臨の時に神によって招かれるのだとはっきり語っています。ですから、死は決して悲しむべきことでも、悲劇でもありません。むしろ、死は祝福なのです。

次に、再臨の主と出会う信徒たちの情景を、生き生きと描くパウロの言葉に耳を傾けましょう。

「すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」(4:16~17) この再臨の希望は、単なる未来の出来事の予告ではなく、今を生きる私たちの信仰生活を形づくる力です。パウロは最後に、「ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい」(4:18)と勧めています。主の再臨を信じる信仰は、恐れや不安をあおるものではなく、むしろ互いを慰め、励まし、希望を分かち合う源となるのです。死を越えても続く神の愛と約束を信じるとき、私たちは失望ではなく、確信に満ちた歩みへと導かれます。

現代社会の中では、戦争や災害、病や孤独が絶えず人々を不安にさせています。しかし、そのような闇のただ中でこそ、キリストの再臨の希望は光を放ちます。主が再び来られるという約束は、すべての悲しみと涙がぬぐわれ、永遠のいのちが完成する日を指し示しているからです。

ですから、私たちは「いつまでも主と共にいる」(17節)というこの約束を心に刻み、主を待ち望みながら、地上においても信仰と愛に生きる者でありたいと思います。私たちが抱くべき再臨の希望に生かされるとき、死をも超える神の勝利が、すでに私たちのうちに始まっており、その勝利者として、栄光に満ちた人生を歩み続けることができるのです。ハレルヤ!


2025.10.26 牧師室便り

 「 大丈夫、主が喜ばれるから 」 

「シオンよ、恐れるな、力なく手を垂れるな。お前の主なる神はお前のただ中におられ、勇士であって勝利を与えられる。…」(ゼファニア3:16-17)

突然訪れた寒さに、皆さんも戸惑っておられることと思います。本当に冗談のような話ですが、まるで四季が二季に変わってしまったかのように感じられます。世界は人間の罪によって混沌とし、その混乱はさらに複雑さを増しています。どうか神の家族お一人お一人が、体調管理に十分お気をつけてお過ごしください。

このような状況の中にあっても、私たちの教会では秋のチャペルコンサートをはじめ、「小さな泉のカフェ」、そしてクリスマス集会の準備が始まっています。皆さんそれぞれお仕事を持ちながら、教会の奉仕の備えもしなければならず、心身ともに疲れを覚えておられることと思います。特に昨年から毎月行われている「小さな泉のカフェ」によって、その疲れが積み重なっている方もおられるでしょう。しかし、私たちの主は皆さんの労苦を喜んで受け取ってくださり、必ず最善の実を結ばせてくださるに違いありません。

一つお願いしたいことは、お一人お一人が神に祈りつつ、ご自身の能力を超えて無理をすることなく、喜んでできるところまで準備していただければ、それで十分であるという
ことです。時には準備したことが発揮されなくなり、計画どおりに進まず、つまずきを覚えることもあるかもしれません。しかし、主は神の家族の心を見ておられます。私たちが心を一つにして仕えるのであれば、主は必ずそれを喜んでくださいます。
愛する主が神の家族一人一人を励まし、必要な力を豊かにお与えくださいますように。また、私たちの労苦を主が喜んで受け入れてくださり、新たな力で満たしてくださることを信じつつ、小泉町教会がすべての面においてさらに祝福されるよう、共に祈り求めてまいりましょう。
どうか互いに支え合いつつ、兄弟愛に満ちあふれた小泉町教会を築き上げていきましょう。どのような方がこの教会を訪れても、「こここそ神の家族であり、主に喜ばれる群れである」と感じられるような教会となるように。シャローム。

2025.10.26 本日の宣教

  『 わたしたちの国籍は天 』

                       フィリピの信徒への手紙 3章20節

小泉町教会の皆さんの多くの方はご存知ですが、私の父は日本人、母は中国人です。子どもの頃から日本と中国の平和の架け橋として育つことを期待されました。 

母は、湖南省長沙で生まれ、3歳の時に父親の仕事で上海に移り、少女時代を過ごしました。高校時代は、香港のミッションスクールに入学し、寮生活をするとともにキリスト教に出会います。

父は、祖父が開業した海産問屋の日本橋のたもとの家で生まれ、クリスチャンの祖母に導かれて幼少期から聖書に親しみました。商業学校を卒業後三井物産に勤めていたのですが、召集令状によって陸軍重機関銃部隊に配属されました。軍隊の訓練中に重傷を負い、陸軍病院に入院することになり、その入院中に幹部候補生としての試験に受けることを薦められ、下士官として1940年に南京に派兵されました。大虐殺があった南京事変の2年後のことです。

南京で父は、南京日本YMCAに通うようになり、日本YMCA同盟から派遣された主事の導きにより、兵隊でありながら会員となる機会を得て、現地の方々との友好事業に参加していたようです。

母は、上海にいる父親に手紙を託され、シンガポールの華僑の貿易商人と結婚した姉を訪ね、日中戦争勃発により帰国できぬまま中華街に住んでいました。

2年間の南京兵務の後、父はシンガポール侵攻の先遣部隊に配属されることになりました。1942年暮れ火の海となったジョホール街道をマレーシアから母のいるシンガポールに攻め込んでいったわけです。

シンガポールで日本軍は、華僑である中国人の若者を捉え拷問をかけ、多くの若者が虐殺されました。

母の親しかった若者も突然帰らなくなり、母は義理の兄に、その若者の行方を探す手立てがないか相談しました。そこで三井物産と貿易をしていた義理の兄、つまり私の義理の叔父は、日本軍の三井物産系列の陸軍の将校がいることを知り、事務官であった父が紹介されました。

両親の出会いはそこから始まりました。父は憲兵からその青年をそれ以上探すなと言う通達によって、その後すぐにその青年たちが捉えられて殺されているだろうと言うことを伝えたようです。 

敵国人同士がこの様に出会い、どのようにして2人が結婚することを誓い合うようになったのかと言う事は定かではありません。 ただクリスチャンであった父は2人が正式に結婚を前提にして付き合うのではなければ付き合うべきではないと言うことを話しあい、結婚することを誓い合います。

父は、1943年に5年間の軍隊の兵役期間が終わり、帰国する前にシンガポールYMCAのそばにある教会で、2冊の中国語の聖書を買い、この二冊の聖書がいつか1つの棚に並ぶことを祈り合い、父は日本に帰国いたしました。 その際に父は、聖書の裏表紙にフィリピの信徒への手紙4章4節「主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」のみ言葉を英語で書き、婚約者である母に渡し、日本に帰国したのです。

                             島田 茂


2025.10.26 小さな泉の恵み

 うちのパソコン、10年使ってましたが、いつの頃からか起動にかなりの時間がかかるようになり、買い替えを決意しました。そして、購入後のセットアップを店の人にやってもらうのは、手数料もったいないし、部屋片付け面倒だし、訪問日調整も難しいし、なんとか自分でできないものだろうか?と思いました。私でもできるかどうか、職場の同僚や、知人友人、清水姉にお聞きしたら、できなくもない感じ。最後に息子にも聞いてみたら、「一緒にセットアップするよ、パソコン買うのも付き合うよ」とありがたきお言葉。そんな返事、想像もしてなかったのでものすごく嬉しかったです。

そして、息子と清水姉のサポートのおかげで無事新パソコンを購入、使えるようになりました。起動が早くなり、Zoomもすぐ開くのでお祈り会に参加しやすくなりました。

「求めなさい。そうすれば与えられる。」(マタイ7:7) すべてが恵み。神さまに感謝です。

                             S.M.姉