『 共に喜び、共に泣き、共に歌う 』
ローマの信徒への手紙12章15節
~恵み~
手に入れたもののすべて 過ごしてきた時間すべて
歩んできた道すべて ただすべてが主のめぐみ
朝日昇り沈むのも 春の花も秋の実も
かわりゆく季節さえも ただすべてが主のめぐみ
すべてが 恵み 恵み 恵み 限りない
当たり前のものはない 何一つ すべては主の恵み
この世に生まれたことも ここまで歩んだことも
明日を夢見ることも ただすべてが主のめぐみ
神の子とされたことも 主を拝し賛美するのも
主を伝える祝福も ただすべてが主のめぐみ
すべてが 恵み 恵み 恵み 限りない
当たり前のものはない 何一つ すべては主の恵み
人は誰でも、喜びの時もあれば、悲しみの時もあります。嬉しいことを分かち合える人がいると、喜びは二倍になります。反対に、悲しい時にそばで泣いてくれる人がいると、悲しみは半分になる。そんな経験はありませんか。
昨年の元日、能登半島を襲った地震で、多くの方が家を失い、生活が一変しました。時間が経っても、今なお不便な暮らしを強いられている方々がたくさんおられます。私たちも「能登の方々に寄り添うことができれば」と思いながら、一年以上、小さな支援を続けてきました。しかし振り返ると、試練の中でも、温かい笑顔で私たちを迎え入れてくださる能登の方々のお姿から、かえって私たちが励まされ、慰められてきたことを感じています。
「共に泣く」というのは、ただ悲しみに沈むことではありません。相手の心に寄り添い、同じ痛みを感じようとする姿勢です。「共に喜び、共に泣き、共に歩む」、それがイエス・キリストの歩まれた道でした。
イエス様は神であられるのに、暗闇の中で涙する人々を救うために、人の姿でこの世にお生まれになりました。このお方は、喜ぶ人と共に喜び、涙する人と共に涙を流されました。そして最後には、私たちの罪や涙、病や痛みのすべてを背負い、十字架の上で私たちの身代わりとなって死んでくださったのです。けれども、イエス様はそこで終わりませんでした。愛する私たちと共に歩み続けるために、死を打ち破り、三日目によみがえられたと聖書は語っています。
神のひとり子であるイエス・キリストが、私とあなたのために十字架で命を捧げ、よみがえり、今も共に歩んでくださる…。そして、悲しみの日も喜びの日も、共に歌い、共に生きてくださるのです。それが、私たち一人ひとりに与えられている、恵みに満ちた人生なのです。
ぜひ、皆さんの人生の中にも、目には見えないが、皆さんの傍らで共に喜び、共に泣き、共に歌われるイエス様に出会われますようにと祈ります。ハレルヤ!
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