『 御言葉で祈り讃美する 』
コロサイの信徒への手紙3章16節
私たちの信仰生活の中心には、祈りと讃美があります。嬉しいときには自然に神を讃美し、苦しいときには神に祈ります。しかし、今日の御言葉は、祈りも讃美も、私たちの心の中に「キリストの言葉」が豊かに宿るところから生まれることを教えています。
パウロは「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」と勧めています。「宿る」という言葉には、ただ一時的に訪れるのではなく、そこに住み、生活するという意味があります。つまり、御言葉を日曜日に聞くだけではなく、私たちの日々の生活の中に迎え入れることです。
私たちは、ときに自分の思いを中心にして祈ります。「こうしてください」「これを与えてください」と神に願います。それは決して悪いことではありません。しかし、御言葉が私たちの内に豊かに宿るなら、祈りの言葉も少しずつ変えられていきます。「主よ、あなたの御心を教えてください」「あなたの御言葉に従う力を与えてください」と祈るようになるのです。
御言葉は、私たちの祈りを整えます。そして同時に、讃美を生み出します。
人生には、讃美できないように思える日があります。病や不安、悲しみ、失望の中では、喜びの歌を歌うことさえ難しくなります。しかし、そのようなときにも御言葉は私たちに語りかけます。「神はあなたを見捨ててはいない」「キリストはあなたと共におられる」と。 だから私たちは、自分の感情だけを土台にするのではなく、神が語られた御言葉を土台として讃美することができます。讃美とは、何も問題がないから歌うものではありません。問題のただ中にあっても、なお神を信頼するときに生まれるものです。
そしてパウロは、「詩編と賛歌と霊的な歌によって、感謝して心から神をほめたたえなさい」と勧めます。ここには、御言葉を受けた者同士が、互いに教え、励まし合う姿があります。私たちの祈りと讃美は、自分一人のためだけではありません。教会共同体の誰かの心を支え、誰かに神の愛を思い起こさせるものにもなるのです。
そうです。御言葉が心に宿るとき、祈りが変わります。讃美が変わります。そして、私たちの生き方そのものが変えられていきます。
今日、私たちの心に御言葉を迎えましょう。聖書を読むとき、ただ知識を得るだけではなく、「主よ、この御言葉を私の祈りにしてください」と願いましょう。そして、喜びの日にも、涙の日にも、御言葉を口ずさみながら「あなたをほめたたえます」と神を讃美しましょう。
私たちの内にキリストの言葉が豊かに宿るなら、祈りは神との交わりとなり、讃美は信仰の告白と変わるでしょう。御言葉によって祈り、御言葉によって讃美する、そこに、キリストと共に生きる幸いな人生が成就されるのです。
ハレルヤ!
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