『 真の改革こそ、悔い改めから 』
コリントの信徒への手紙二5章17節
10月になると、私たちは宗教改革を覚えます。1517年、マルティン・ルターが「95箇条の提題」を掲げたことをきっかけに、宗教改革は大きく広がりました。しかし、その本質は単なる教会制度の改革ではない。神の御言葉と福音に立ち返ること、すなわち「悔い改め」にありました。
私たちは「改革」という言葉を聞くと、制度や仕組み、環境を変えることを考えます。漢字から一つのイメージを受け取るなら、「革」を「改める」こと、すなわち古い革を剥ぎ取るという意味になります。革を剥ぐというのは、表面を少し手直しすることではありません。古くなった皮を取り除き、その下にあるものを新たにすることです。
だからこそ「改革」とは、単に既存の制度や組織を部分的に修正することではなく、古い仕組みを根本から見直し、必要であればその「古い革」を剥ぎ取って、新しい形へと作り変えていくことを意味するのです。
しかし、どれほど立派な制度をつくっても、それを担う人間の心が変わらなければ、同じ過ちや利己主義が繰り返されます。本当の改革は、どこから始まるのでしょうか。
今日の御言葉は、「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」と語ります。聖書が語る改革とは、まず私たちの心と命が神によって新しくされることです。
私たちの中には、神から離れ、自分を中心に生きようとする「古いもの」があります。人を愛するより自分を優先し、自分の正しさや功績に頼ろうとする心です。だから真の改革は、「社会を変えよう」「教会を変えよう」と叫ぶことからで はなく、「主よ、変わらなければならないのは私自身です」と神の前に立つことから始まります。私たちの罪のために、キリストが十字架にかかり、その血を流してくださったからです。悔い改めとは、自分の罪を見つめて絶望することではなく、その罪を背負ってくださったキリストを仰ぐことです。「主よ、私は自分の力では自分を変えることができません。私を赦し、あなたの十字架の贖いと恵みによって新しくしてください。」という祈りから、新しい命が始まります。
特に、「新しく創造された者」とは、少し改善された者ではありません。キリストと結ばれるとき、神が私たちを新しい者としてくださるのです。失敗や弱さが残っていても、それらが人生の最後の言葉ではありません。最後の言葉は、十字架と復活のキリストの恵みです。
宗教改革を覚える十月、キリスト教会は、御言葉によって改革され、福音へと立ち返り続ける共同体です。聖書に戻り、福音に戻り、キリストの十字架に戻ること。そこから真の改革が始まります。もちろん、私たち自身も神の前に悔い改めによる改革をいただくことです。
「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」
神の家族の皆さん、大切なのは、自分の力で自分を作り直すのではありません。十字架のキリストが私たちを新しくしてくださいます。自分の正しさではなくキリストの義によって、自分の功績ではなくただ恵みによって生きることです。
真の改革は、悔い改めから始まります。そして、その先には、私たちの罪のために十字架で血を流し、私たちを新しく創造してくださるイエス・キリストがおられます。アーメン。
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