『 神はわたしたちの砦 』
詩編46章2~4節
私たちは今、社会や経済、人間関係、健康や命などに関して、さまざまな不確実さの中を生きています。明日何が起こるか分からないという不安は、私たちの心を少しずつ蝕み、無力感をもたらします。
詩編46編は、このような混乱と脅威のただ中で、神への揺るぎない信頼を宣言しています。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」。たとえ地が姿を変え、山々が揺らぎ、海が荒れ狂うような事態になっても、私たちは恐れないと詩人は語ります。
ここでいう「砦」とは、危険から身を守る避難所や要塞を意味します。人間が築いた安全網や社会の仕組みは、どれほど堅固に見えても、困難の前に崩れることがあります。しかし、私たちの真の砦は、人間の造り出したものではなく、神自身です。恐れないでいられるのは、状況が変わらないからではなく、どのような状況にあっても神の慈しみと主権が変わらないからです。
10月は宗教改革を覚える月です。詩編46編は、マルティン・ルターの讃美歌『神はわがやぐら』の源となった御言葉です。破門され、ヴァルトブルク城に身を隠したルターを真に支えたのは、城壁ではなく、嵐の中でも共にいてくださる神への信仰でした。
私自身も、大学時代にイエス様と出会って以来、人生の試練に直面するたび、祈祷院や教会の礼拝堂で神の助けを求めてきました。私にとって礼拝堂は、神の御翼の陰に包まれる恵みの避け所です。 また、蜂窩織炎で緊急入院したとき、病室は父なる神と深く交わるための静かな場所となりました。困難の中でさえ、神は御言葉と平安を与えてくださることを経験したのです。
神が私たちの砦であるとは、困難が起こらない人生を意味するのではありません。困難に遭っても、絶望に押しつぶされずに生きることができるということです。私たちは不安や恐れを完全に消すことはできません。だからこそ、自分の力や環境の安定だけに頼らず、父なる神に身を委ねることが大切なのです。
祈りとは、真の神という砦に身を置くことです。「主よ、私の足元は揺らいでいます。あなたこそ私の砦です」と祈るとき、私たちの目は問題の大きさから、すべてを包み込む神の大きさへと向けられます。
詩編46編11節には、「力を捨てよ、知れ、わたしは神」とあります。世界が騒がしく、心が揺れ動くときこそ、祈りと讃美によって神様に心を向けましょう。震える声や心の中の小さな呟きであっても、主を信頼する告白は、私たちに平安と希望を与えてくれます。
私たちは自力で人生の嵐を鎮めることはできません。しかし、どのような嵐の中でも、揺らぐことのない神の砦に逃れ、主をほめたたえることができます。
本日のチャペルコンサートを通して、神こそ私たちの砦であり、真の神であることを、皆さんと共に証しする時となることを願っています。ハレルヤ!
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