「 再び母を偲ぶ 」
母の日を迎えるたびに、数年前に天へ送った母のことを思い出します。そして改めて、感謝の思いがあふれてきます。
母はよく、「あなたが生まれた頃は、家が最も苦しかった時期で、本当にすまなかった」と語っていました。父が営んでいた椎茸工場が倒産し、生活は困窮していたそうです。母は私を背負いながら竹で編んだ籠を担ぎ、何十キロも離れた町まで売りに行っていました。朝早く家を出て、日が暮れてから帰る毎日だったと聞いています。私は背中でよく泣き、病気をしても十分な治療を受けられず、百日咳を患ったこともあったそうです。
そんな過酷な生活を支えたのは、母の信仰でした。私を身ごもった頃から教会に通い始めた母は、商売の道すがら、長い時間を賛美歌を歌いながら歩いたと言います。「信仰がなければ耐えられなかかった」…それが母の本音でした。
振り返ると、母が子どもたちに否定的な言葉を口にすることはほとんどありませんでした。不平や恨みを漏らすこともなく、夜、一人静かに祈っていた母の背中を覚えています。家族のために屋台を出し、あらゆる仕事を厭わず働きながらも、常に最善を尽くし、子供たちが求めるものを与えようと心を砕いてくれました。
私が牧師になってから、疲れたと弱音を吐くと、母は「何が疲れるの。祈りなさい」と厳しく言いました。その言葉に反発したこともありましたが、今思えば、あらゆる苦難を神への希望だけで切り抜けてきた母だからこそ言える、言葉だったのだと痛感します。
この世で母の顔を見ることはもう叶いませんが、母は今も天にあって、私の働きと家族、そして小泉教会のために祈ってくれていると信じています。
シャローム。
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