2026年6月30日火曜日

2026.5.10 本日の宣教

 『聖霊によって希望を生きる』  

                ローマの信徒への手紙5章2~5節

人は希望があるときは前へ進むことができます。しかし希望を失うと、心は立ち止まり、暗く沈んでしまいます。宗教改革者 マルティン・ルター は、「この世で行われるすべてのことは、希望によって行われる」と語りました。農夫が収穫を信じて種をまき、商人が利益を期待して商売を始めるように、人間の営みは希望によって支えられています。

しかし現実の人生には、病や不安、人間関係の痛み、将来への恐れなど、多くの試練があります。その中で「希望を持ちなさい」と言われても、簡単にはそう思えない時があります。けれども聖書は、クリスチャンこそ希望を生きる者であると教えています。

本日の御言葉で、パウロは希望を単なる楽観ではなく、「神から与えられる確かなもの」として語ります。私たちは信仰によって神の恵みの中に導き入れられ、その恵みの上に立たされています。しかし信仰を持っても苦難はなくなりません。それでもパウロは、「苦難をも誇りとします」と語ります。それは苦難そのものを誇りとするという意味ではなく、苦難の中にも神が働いておられるという確信があるゆえの誇りです。

パウロは、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」と語ります。その通り、人は試練を通して深められます。病を通して日常の尊さを知り、失敗を通して他者への優しさを学び、孤独の中で祈りを覚え ることがあります。私たちの神は苦難を無意味なままでは終わらせないお方です。

そして、この希望の根拠は私たち自身の強さではありません。パウロは、「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」と語ります。聖霊は、あらゆる苦難の中で「あなたは見捨てられていない」と支えてくださるお方です。希望とは、「きっとうまくいく」という漠然とした期待ではなく、「神が共におられる」という確信なのです。 

母の日を迎えるにあたり、母の愛の中にもこの神の愛の姿を見ることができます。子どものために祈り、忍耐し、支え続ける母の姿は、私たちに寄り添う聖霊の働きを思い起こさせます。母から受けた愛は、神の愛を知る大切な導きとなります。

世の希望は状況によって崩れ去ることがあります。しかし、聖霊によって与えられる希望は決して私たちを欺くことも、失望に終わることもありません。たとえ今、試練の中にあったとしても、神は聖霊を通して私たちに愛を注ぎ続けておられます。その愛によって、私たちは再び立ち上がり、希望のうちに歩み続けることができるのです。

ハレルヤ!


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