『神の船を漕ぐ者たち 』
コリントの信徒への手紙一 4章1~2節
コリント教会は、聖霊による豊かな働きを経験し、生き生きとした教会でした。しかし、「派閥問題」という大きな課題を抱えていました。信徒たちがパウロ、ペトロ、アポロなど特定の人を慕って争う姿に対し、パウロは「大切なのは植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神だ」(Ⅰコリント3:7)と戒めます。教会は人間を中心にするのではなく、ただ神によって成り立つのです。この信仰の原点に立つとき、教会は分裂を避け、神の祝福で満たされます。
パウロは教会の働き人や信徒の姿を「キリストに仕える者、神の秘められた計画を委ねられた管理者」(Ⅰコリント4:1)と表現しました。「仕える者」と訳されるギリシャ語「ヒュペレテース」の語源は、「船の下層で櫓を漕ぐ者」、すなわち「主人のもとで黙々と力を合わせる助け手」です。大型船を前進させるには、目立たない最下層にいる漕ぎ手たちが指揮官の合図に耳を澄まし、息を合わせなければなりません。私たちは皆、キリストという船長のもとで、見えないところで共に櫓を漕ぐ「神の手伝い手」に過ぎないのです。
ただ流されるだけだった旧約の「ノアの箱舟」とは異なり、新約の教会は聖霊と御言葉の合図に合わせて共に力を合わせて漕ぎ出す船です。また「管理者(オイコノモス)」という言葉は、自らを低くして仕える謙遜な姿勢とともに、主 から託された「責任と委託」を表しています。指導者も信徒も主の前では共に船を漕ぐ同労者であり、神の家の中でそれぞれの役割を忠実に果たす責任を負っています。
この管理者に求められる最大の資質とは「忠実さ」です(Ⅰコリント4:2)。救いは100%神様からの恩寵であり、私たちの自慢や誇りが挟まる余地はありません。私たちの奉仕や努力は救いを得るための条件ではなく、救ってくださった神様への愛と感謝の応答なのです。
富山小泉町教会にも、病床で最後まで教会のために祈り続けた方々、毎週黙々と小さな奉仕に喜んで尽くしてくださる神の家族がいます。人の目には小さく見える奉仕も、神の目には極めて尊いものです。主の前で自分を誇らず、小さなことにも喜んで仕える漕ぎ手が集まるとき、教会は祝福で満たされます。
これからの小泉町教会の航海には穏やかな日も嵐の日も、思うように進まない日もあるでしょう。しかし、船を動かし導くのは神ご自身です。私たちがなすべきことは、自分に託された櫓をしっかりと握り、主の御声と聖霊の語りかけに耳を澄ませて、与えられた場所で忠実に漕ぎ続けることです。神の恵みを信じ、互いに支え合いながら、救いの港へと共に前進していきましょう。ハレルヤ!
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