『互いに愛し合うためには・・・? 』
ヨハネによる福音書 13章34~35節
イエス様は、十字架にかけられる前に弟子たちに「新しい掟(おきて)」を与えられます。「互いに愛し合いなさい」という、一見やさしいことのように思われるシンプルな掟です。この「掟」は、私たちへの遺言ともいわれる最も大切な信仰者のルールです。
「互いに愛し合う」あり方は、「私(イエス様)があなた方(弟子たち)を愛したように」という修飾語がつき、互いに愛するあり方を伝えています。
それでは、イエス様はどのように弟子たちを愛されたのでしょうか?私たちは、福音書や使徒言行録からイエス様がどのように弟子たちを愛されたのかということを思い浮かべます。言葉や祈りに加えて、弟子の足を洗うなど行動をもってイエス様が弟子たちを愛している場面が記述されています。子どもや女性、病や弱くされた人々に手を差し伸べ、癒し、人々の批判や自らの命の危険をもかえりみず、一方的にいつくしみ愛されている姿が心に浮かびます。
もちろん私たちは、神ではなく、完全ではないので、イエス様のように病をいやすことなどはできません。 完全にはできなくても、パウロが教えてくれているように、少しでも「目標を目指してひたすら走ること」(フィリピの信徒への手紙3章14節)はできます。パウロは、すべての手紙を通して、「イエス様のように」というあり方を自らの行動を、人生を通して示しています。私たちは、「パウロのように」もできない自分がいますが、人生を通して目指す目標が与えられています。
バプテスマを通して新たにいのちを与えられたはずの私が愛せず、憎しみや怒りがあるのは、なぜなのでしょうか?ちょっとした言葉や相手の仕草に傷つき、相手を恨んだり、とことん批判したりする私は、何者なのでしょうか?相手を知らないのに、国や文化の違いで嫌ったりする私もいます。自分自身をも愛せない私もいます。
私は、自分の過去を変えることはできません。そして、家族であっても他者を変えることはできないのです。しかし、自分が変わると相手も変わり、自分の未来が変わる可能性があるのです。
島田 茂
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