『 創造と刷新の御霊 』~旧約の御霊~
詩編51編12~14節
旧約聖書には「聖霊」という言葉が登場します。ヘブライ語では「ルアハ」といい、それは「風」や「息」「呼吸」という意味も持っています。
聖書の最初の一ページ(創世記1章)には、この世界がどのように始まったかが記されています。
「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」(創世記1:2)
まだ何も形をなしておらず、ただ真っ暗で、水が広がっているだけの世界。そこに、神の霊が「動いていた」とあります。聖霊は、何もないところに形を与え、闇に光をもたらし、創造を成し遂げられる神の息吹です。もし今、あなたが暗闇の中にいるとしても、そこは暗闇のままでは終わりません。そこは、聖霊が新しい命を与え、御心を成し遂げるために「動いておられる」まさしく「創造の場所」へと変わるのです。
創造の時に働かれた聖霊は、同時に私たちの内面を造り替える「刷新」の霊でもあります。詩編51編は、ダビデ王が大きな過ちを犯し、自らの罪の深さに打ちのめされた時に捧げた祈りです。…「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください。」(詩編51:12-13)
ここでダビデが使っている「創造し」という言葉は、創世記1章1節の「神は天地を創造された」で使われている ものと同じ動詞です。つまり、ダビデは自分の性格を少し修正してほしいと願っているのではなく、「自分の中に、全く新しいものをゼロから造り出してほしい」と切望しているのです。
さらに、彼は「聖霊を取り上げないでほしい」と嘆願します。この箇所からは、旧約聖書における聖霊の特徴が示されています。すなわち、いかに立派で偉大な信仰者であっても、その人が神の前で罪を犯し続けるならば、聖霊はその人から去ってしまうということです。ダビデはそのことをよく知っていました。実際、聖書には、一度は聖霊が下りながらも、罪を犯して悔い改めなかった人々から、霊が離れてしまった例が記されています。
罪は、私たちの霊的な機能を麻痺させ、神とのつながりを断絶させます。ダビデは王としての地位や名声を失うことよりも、神の霊を失うことを何よりも恐れました。なぜなら、聖霊こそが私たちの魂の「息、呼吸」であり、聖霊なしでは人間は単なる「土の器」に過ぎないことを知っていたからです。
もし今日、あなたの心と人生に変化と刷新を求めるのであれば、聖霊の働きと助けを求めましょう。何もないところから創造を成し遂げ、罪と弱さの中ですべてを新しくされる聖霊にゆだねましょう。日々、聖霊を感じながら、素晴らしい再出発を期待し、祈りましょう。ハレルヤ!
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