『 神の御心に適う祈りを 』
ヨハネの手紙一 5章14~15節
私たちは日々さまざまな心配を抱えて生きています。心理学者アーニー・J・ゼリンスキーによれば、“人が心配することの多くは、実際には起こらないことや、すでに過ぎ去ったこと、あるいは自分ではどうにもできないことだ”と言われています。
私たちは皆、祈ります。病のときには癒しを、問題に直面すれば解決を、愛する者のためには守りと祝福を祈ります。祈りは信仰者の呼吸であり、神との交わりの大切な時です。しかし、祈り続けていても、願ったとおりにならないことがあります。その時私たちは、「神は私の祈りを聞いておられるのだろうか」「祈っても意味がないのではないか」と心を曇らせてしまうことがあります。
今日の聖書箇所で、使徒ヨハネは「神に対する確信」について語っています。ここで用いられている「確信」という言葉は、ギリシャ語で「パレーシア」といい、「大胆さ」や「包み隠さず堂々と語ること」を意味します。私たちは神の前で恐れたり遠慮したりする必要はありません。神は父として私たちの祈りに耳を傾けてくださるからです。
しかしヨハネは同時に、「神の御心に適うことを願うなら」と教えています。祈りは単に自分の願望を実現するための手段ではありません。祈りとは、自分の心を神の御心へと合わせていく営みです。
主イエスはゲツセマネの園で、「この杯を取りのけてください」と祈られました。しかしその後、「わたしの願い ではなく、御心のままになさってください」と祈られました。ここに祈りの本質があります。祈りとは自分の願いを神に押しつけることではなく、自分の願いを率直に申し上げながらも、最終的には神の御心に身を委ねることなのです。
私たちは何が最善かを十分に知りません。しかし神は私たち以上に私たちを知り、愛し、人生のすべてをご覧になっています。だからこそ、神の御心に信頼して祈る時、私たちは平安を得ることができます。
神の答えは必ずしも私たちの期待どおりではありません。時には「はい」、時には「待ちなさい」、また時には「いいえ」という答えが与えられます。しかし、そのすべては神の愛から出ています。祈りがすぐにかなえられない時でも、神は決して沈黙しておられるのではありません。私たちの見えないところで最善の御業を進めておられます。だから私たちは大胆に祈り、同時に謙遜に祈ることができます。
「主よ、これが私の願いです。しかし、あなたの御心がなりますように。」
私たちの確信は、自分の信仰の強さや祈りの熱心さではなく、祈りを聞いてくださる神の真実にあります。神は私たちの祈りを聞き、最善の時に最善の方法で御心を成してくださいます。この確信をもって、神の御心に適う祈りをささげ続ける者でありたいと思います。
ハレルヤ!
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