2026年6月30日火曜日

2026.6.14 牧師室便り

  「 共に喜び、共に泣く社会のために!」

先週からサッカーワールドカップが始まりました。本来なら日本中が大きな盛り上がりを見せるはずですが、どこか冷めた空気を感じます。その背景には、近年オリンピックやWBCなどの国際大会が地上波テレビで放送されなくなり、有料のネット配信サービスでしか視聴できない場合が増えていることにあるでしょう。

かつて日本では、多くの人が同じ試合を見て、一緒に喜び、泣くという、スポーツは単なる娯楽ではなく、人々の心を結び合わせる共通体験でした。しかし今では、お金を払える人だけがその感動を共有できる仕組みになりつつあります。これは「お金がすべて」という資本主義社会の現実を映し出しているように思えます。

もちろん、放送権の取得や大会運営には多くの費用が必要であり、放送事業者にも経済的な事情があるでしょう。しかし、何でも市場原理で決められる社会となれば、それはいかに悲しいことでしょうか。お金がなければ共通の体験に参加できず、さらには電気や水道、ガスといった命に関わるライフラインさえ利用できなくなる現実を見ると、人間の尊厳より利益が優先されているように感じます。

聖書は「神と富(マモン)との両方に仕えることはできない」と教えます。お金そのものが悪いのではありませんが、お金が人間や社会を支配するとき、本来神から与えられた喜びや恵みまでもが失われてしまうでしょう。

神は私たちを孤立した存在としてではなく、互いに愛し合い、喜びや悲しみを分かち合う共同体の中で生きる者として創造されました。だからこそ私たちは、失われつつある共通体験を惜しむだけでなく、教会や家庭、地域社会において、人々が共に支え合う関係を築いていく必要があります。

この世界は今後ますます市場原理によって動いていくかもしれません。しかしクリスチャンは、その中にあっても神の国の価値観に立ち、人間の価値をお金ではなく神の愛に見出したいものです。シャローム。



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